2020年4月7日、安倍首相が緊急事態宣言を行った。さまざまな報道がなされているが、違和感があったのは、つぎのニュースだ。
「慎重論を押し切った」という表現が気になる。「慎重に対応する」と書けば聞こえはいいが、すなわちこれは「なにもしない」ということだ。新型コロナウイルスの感染者が急増しそうな情勢において、「緊急事態宣言」VS. 「なにもしない」という二つの意見があったという話である。
どちらが「慎重」だろうか。たとえば、自動車を購入するケースで考えてみる。ニュース記事にあわせた文面にすると、「家族内では任意保険加入による家計への影響を懸念する声が強かったものの、交通事故が減っていないことで状況は一変。巨額賠償による人生崩壊への危機感を募らせた妻が慎重論を押し切った」とでもなるだろう。違和感、あるでしょう? なにもしない人より、事故に備えて任意保険に入る人のほうが、間違いなく「慎重な人」だ。緊急事態宣言も、これと同じではないか。緊急事態宣言派のほうが慎重だと私は考える。
歴史にifはない
この宣言による結末は、もちろんまだわからない。たしかに経済への影響は大きいだろうし、これでも感染増加をくい止めることができないかもしれない。もっと早く宣言すべきだった、という人もいるだろうし、出す必要はなかった、という人もいるだろう。百家争鳴だ。
私はこう考えたい。「歴史にifはない」という。いまさら「1週間前に出すべきだった」という話をしても、なにも変えられない。早かろうが、遅かろうが、損得勘定より人命を優先した判断は支持されるべきだし、宣言した以上は、できるかぎり、大きな効果を出すように誰もが努力すべきだろう。
政府が宣言したということは、これによって受けた経済的損失に対して、交渉する余地ができた、ということでもある(だから躊躇する時間もあったに違いない)。しかし、それはまず、生命の危険が過ぎ去ってからでいい。まだ実感していない人がいるようだが、たとえるなら、東京も大阪も福岡も、空から爆弾がドン・・・・・ドンと落ちている状態だ。運のいい人は怪我で済むが、地獄の苦しみ。運の悪い人は生命を落とす。戦争じゃないか。
まずは爆撃をなくすのが優先だろう。「ドン・ドン」くらいの間隔の爆撃になったら、もう拡大は誰にも止められない。
結果を出すことに集中すべき
さて、緊急事態宣言による効果は、大きく二つあると思っている。第一は、クラスターを多く生む場所を閉鎖することだ。営業自粛のお願い、という体裁をとっているが、許認可権をもつ行政から頼まれれば、そうそう断れるものではない。「三密」となる空間での営業は、自粛することになるだろう。
第二は、移動による感染の地理的拡大を抑えこむことである。イタリアの感染拡大は、都市部の住人が地方に移動したことが大きな原因のひとつだと言われている。すでに日本でも、京都から富山に帰省した大学生が、周囲に感染を広めてしまった事例がある(この例まで、富山県内の感染者は0だった)。
この第二の目的を達するには、抜き打ちの宣言で、かつ、移動を制限する必要がある。今回の緊急事態宣言とその根拠法(新型インフルエンザ等特別措置法)は、この部分が弱い。二日前から情報を小出しにして、宣言を周知していた上に、移動を禁止することも法的にできない。結果、以下のように、最悪の事態を招いている。
帰省してきた家族への対応法
帰省する人たちそれぞれに事情はあるだろう。大学も始まらない、バイトも中止。勤務先も休業・閉鎖ということになれば、実家に帰省するほうが合理的だ。しかし、これでは、緊急事態宣言によって、全国の各地域に新型コロナウイルスをひろめてしまうことになるかもしれない。記事にある午後9時40分新宿発→午前5時5分盛岡着のバスの場合、7時間25分にわたって、ウイルスと同居することになる。
宣言時の記者会見の終わりのほうになって、やっと「若者はできるだけ東京にとどまっていただきたい」と口にしたが、それはあまりにも遅すぎる。会見の冒頭でお願いするべきことだし、そもそも「緊急事態宣言を検討」というニュースのときから、強調すべき事柄だった。海外のロックダウンなら、真っ先にバスタ新宿が封鎖されているだろう。
せめて、帰省先で適切な対応がとられることを望む。無症状の感染者(キャリア)が帰省してきた、という想定で接するべきだ。具体的には、この投稿(初期診療の手引き)で紹介している各種資料が役立つだろう。
時々刻々と変わる状況に対応を
新型コロナウイルスの感染者増が問題になったのは、2月のことだった。英ロンドン市長選の保守党候補が「(東京がコロナ問題で難しいというなら)オリンピックはロンドンで開催できる」とツイートしたのが、2月20日(現地時間19日)のことである。この時点では、誰もボリス・ジョンソン英国首相がCOVID-19で集中治療室に入ることになるとは(4月7日午後)、想像してなかったはずだ。
すなわち、相手は変異をかさねるウイルスであり、時々刻々と状況は変わっている。日本の場合、2月から3月にかけての対応はよかったが、3月から4月にかけての対応はよろしくなかったと評価せざるを得ない。第一波がはっきり言ってたいしたことがなかったため、油断して、第二波にやられたとみていいだろう。第一波と第二波では、ウイルスの種類が違うにもかかわらず、である(「第二波への覚悟」参照)。
私は、2月後半から言っていることが変わらないような政治家・専門家は信頼するに値しないとさえ思っている。もちろん普通は、発言の整合性を問われるものであるが、戦争中は、そんな悠長なことは言っていられない。気にしなくてはいけないのは、目の前の情勢の変化に対して、どう対応するかだけだ。朝令暮改でいい。
第一波をうまくやりすごして、ちょっと慢心したところにサクラが満開となり、歓送迎会の時期となり、新しくやってきた感染力の強い「L亜型」の新型コロナウイルスの餌食にされたのが、いまの日本である。
これがわかっているのだから、緊急事態宣言を検討した瞬間から、長距離バスの運行をとめるべきだった。海外からの帰国者に待機を要請するなら、感染者の多い地域から地方に行くことも止めないと整合性がとれない。
常識をフル動員して判断しよう
ますます、冷静な判断が求められていると思う。そのためには、正確な知識が絶対に必要だ。テレビ番組もSNSも興奮状態にあり、この期に乗じてデマを飛ばすのは本当に悪いやつだが、それに乗せられてシェアする無知な人も同罪である。
相手は感染症なのだから、「検査して陰性だった」といっても、まったく安心はできない。陽性なのに陰性と判定してしまう精度の問題もあるが、そもそも検査の帰り道に感染する可能性もあるのが感染症だ。
デマには常識をフル動員すべきである。ぬるいお湯を頻繁に飲むと感染しないというなら、お茶をたくさん飲む国で感染者が増えるわけがない。赤道近くの暑い国でも感染者がひろがっているのであるから、温度に弱いというのは眉唾である。あきれたのは二酸化塩素ガスで予防する話だ。新型コロナウイルスが瞬時に死滅するような濃度にしたら、人間のほうも相当な健康被害が出るだろう。
気にすべきは、条件である。「数時間で99%死滅」では、意味がない。数時間の間に感染するからだ。試験管の中と体内を同一視するのも困る。試験管の中でウイルスをやっつけた話と、それを服用したら体内のウイルスが死活するという話は、紙飛行機とロケットくらいの乖離がある。
まったくシェアに値しないのが、「専門家である本人の投稿ではないもの」である。「友人の夫が」「~病院に勤務する友人が」という書き出しの話は、すべてデマ認定でいい。それどころか、最近は医師や看護師のフリをしてまで、デマを投稿する悪質なアカウントもある。いい加減、学べ。
オーバーシュートは「感染過剰」
最後に、話題のカタカナ語問題についてである。「オーバーシュートを防ぐ」ために、今回の緊急事態宣言が発出されたわけだが、これを「感染爆発」と訳するのはどうかと思う。
この場合の「オーバーシュート」は、必要な手当ができる医療資源を使い切って、治療行為ができなくなるほどの感染者が出てしまった状態を示している。感染者が100万人となっても、100万人分の医療資源があるなら、オーバーシュートではない。私は「感染過剰」と書いてはどうかと思っている。
この感染過剰の程度が一目でわかるのが、新型コロナウイルス対策ダッシュボードだ。 感染者数と、感染症対応病床数が都道府県別に出ており、感染過剰になると黒バックになる。この事実を国民に周知すべきだ。たとえば富山県や佐賀県、香川県あたりの感染症病床数の少なさを知れば、帰省のヤバさも理解できるのではないか。
それにしても、感染増大のメカニズムの分析、遺伝子分析、そして治療に尽力してくださっている専門家・医師・検査技師等関係者のみなさんには、感謝の言葉しかない。だからこそ、感染者数をごまかしている、死亡者をごまかしているといったデマには腹が立つ。
肺炎で亡くなった方の検査についても、テレビで議論があったそうだが、そもそも、「肺炎」と判定されているのであれば、治療にあたった医師は、CTやレントゲン画像から、COVID-19疑いの患者か、そうでないかの察しはついているはずだ。「全力で治療しているはず」という前提が頭から飛んでいるのは、あまりにも医療関係者に対して失礼だと思う。
ぐちゃぐちゃ言う前に、「肺炎で亡くなった人の数」を素直に合計して、比較すればいいではないか。「陰謀」を疑うかぎり、建設的な議論にはならない。