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パンの話――明治の人たちの奮闘

日本にパンがやってきたのは戦国時代だそうだ。種子島(鉄砲)と一緒である。そういえば、「パン」はポルトガル語のpãoだった。しかし、その後、日本の食事としては定着しなかった。再び日本のパンの歴史が動くのは、江戸時代末である。幕臣・江川英龍(1801‐1855)が、初めて堅パンを焼き、パン祖と言われるようになった。この堅パンは、西洋兵学とともにもたらされた保存食であり、ビスケットのようなものである。

食パンはヨコハマから

私たちが「パン」という言葉から想像するものに近いものを最初に焼いたのは内海兵吉で、1860年のことだった。フランス軍艦乗り組みのコックから手ほどきを受けたという。内海は富田屋を開業した。
続いて、ヨコハマで外国人がパンを焼き始める。1861年(文久元年)には、アメリカ人のW.グッドマンと、ポルトガル人のF.ホセが相次いで横浜にベーカリーを開業。1864年(元治元年)、グッドマンは一時帰国することになり、イギリス人のロバート・クラークに店を預けた。そのクラークが独立し、1865年に開業したのが、ヨコハマベーカリーだ。
ヨコハマベーカリーの名物がイギリスパンだった。いわゆる食パンである。型にいれて、ふんわりと焼き上げる(上に蓋をしないので、山型になる。アメリカ人は蓋をして、四角形にした)。明治政府は文明開化にあたりイギリス人を重用していたため、ヨコハマベーカリーのパンは重宝がられたに違いない。この店で修業したのが打木彦太郎で、1888年(明治21年)に暖簾を継ぎ、ヨコハマベーカリー宇千喜商店を開業した。現在もウチキパンとして暖簾が続いている。

ビールとの意外な関係

生地をこねて酵母に発酵させるふんわりとしたパン作りに欠かせないのが酵母である。小麦粉を練った生地の糖質を酵母が分解して二酸化炭素を発生し、ふんわりとしたパンにする。ヨコハマベーカリーのクラークがイギリスから持ち込んだのが、天然酵母のホップ種だった。
酵母や乳酸菌がいい感じに育っている糠床が漬物作りに欠かせないように、ホップ種もパン作りには欠かせない。クラークは内心、「このホップ種がダメになったらどうしよう」と不安だったことだろう。当時の日本に、ホップは育っていない。ホップは暑さが苦手な植物で、横浜に植えたところで育たないのだ(東北以北が栽培適地)。
しかし、その不安を払拭してくれる出来事が1869年に起きる。ノルウェー人のウィリアム・コープランドが、横浜・天沼に日本初のビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」(Spring Valley Brewery)を作ったのだ。
ビールこそ、ホップが不可欠。天然酵母はホップ以外にも候補はあるが、ホップのないビールはビールとして認められない。これはバイエルン公ヴィルヘルム4世が決めたことだ(ビール純粋令/1516年)。ヨコハマベーカリーは、スプリング・バレー・ブルワリーからホップをわけてもらうのである。
KIRIN BEER LABELところで、コープランドのブルワリーはその後経営難となり、トーマス.B.グラバーを頼った。グラバーは三菱財閥の岩崎弥之助らに資金援助を依頼して再建を果たす。現在のキリンビールである(だからキリンは三菱グループなのだ)。2014年、キリンは「ビールにワクワクする未来を」というテーマを掲げたプロジェクトを発表したが、その名前が「SPRING VALLEY BREWERYプロジェクト」だったので彼・彼女らの本気を感じた。キリンにとっては起業の心に帰る名前なのである。

日本のパン革命は大阪から

横浜から8年遅れて開港した神戸でも、横浜と同じ現象が起きていた。在留外国人がパン屋を開業したのである。そしてその傾向は、関東大震災(1923年9月1日)のあと、関西に避難してきた在留外国人によって加速される。大正時代、神戸は横浜を超えるパンの街となっていた。
ここで頭角を現していたのが、1904年(明治37年)に「マルキ号製パン」を大阪の地で開業していた水谷政次郎である。水谷は大阪の大火のおり、消防士にパンを配って名前を売り、1918年の米騒動の際にも評判をとった。便乗値上げをするパン屋が多い中、マルキ号製パンは値上げをしなかったからである。
会社を急成長させた水谷は、1924年(大正13年)、アメリカとヨーロッパに視察の旅に出る。とくにアメリカで、水谷はショックを受けた。食パン製造が機械化されていたからだ。その秘密は、イースト(Yeast)にあった。
イーストは、パン生地の発酵に向いた酵母(Saccharomyces cerevisiae)を人工培養したものだ。きっかけは第一次世界大戦(1914‐1918)で、偶然の産物だった。ドイツの酵母製造業者が戦時下の物資不足に困り、代替品を使って酵母を培養したら、良質の酵母が大量にできたのである。
アメリカでは早速、イーストを使ってパン製造を機械化していた。性能が安定しない天然酵母だと、職人が発酵の様子を見ていないといけないが、イーストなら発酵が安定しているし、短時間で発酵できるので、機械任せにできるのである。味も安定した。
帰国した水谷は、娘婿の水谷清重(その後、精成と改名)をアメリカのAmerican Institute of Baking(AIB)に留学させる。3年後の1927年(昭和2年)、帰国した清重が日本で初めてイーストの科学的培養に成功し、マルキイースト菌研究所を設立。マルキ号製パンとマルキイースト菌研究所は、ここから日本のパン業界に革命を起こしていくことになる。

技術を公開し、業界団体を設立

イーストを手にいれた水谷政次郎は、工場を機械化していく。一時は「東洋一」とうたわれた機械化製パン工場を大阪に設立。関西でこうした「工場」が登場した背景には、宇治川水系など山間部で水力発電をし、都市部に送電する宇治川電気の存在もあった。
水谷政次郎・清重親子の功績の第一は、惜しげもなく技術を公開したことである。マルキ号以前のパン屋は秘密主義だった。それぞれのパン屋が独自の天然酵母種の秘密を守り、製法も秘伝にしていたのである。酵母種を守る職人は「タネモチ」と言われ、外出するときも酵母種をもって出たそうだ。
そこにイーストと機械化を持ち込んだ水谷親子は、工場も見学自由にし、ノウハウをオープンにした。自然と水谷のもとに人が集まり、イーストを使った科学的製パン法を研究する「全関西パン研究会」が発足。これを母体として、1930年(昭和5年)には「大日本製パン工業会」が誕生し、水谷政次郎が初代会長となった。これが、業界が団体を作り、情報を共有した最初だと言われている。この会には全国から約200社が参加した。

戦争に翻弄されたマルキ

水谷政次郎がイーストの次に目をつけたのが小麦で、パン用小麦の国産化をめざし、北海道でアメリカ型の大規模農園の経営にも取り組んだ。その広大な農園の跡地に、いまの千歳空港がある。
しかし、順調に成長してきたマルキ号製パンと大阪のパン業界を戦争が襲う。1942年(昭和17年)、食糧管理法が成立。大阪食糧営団はマルキ号をはじめとするパン工場に狙いを定め、接収したのである。水谷政次郎(マルキ号)や浅香忠雄(木村屋製パン)らは、特別高等警察(特高)もからむ政治的圧力に負けて、次々と工場を手放すほかなかった。その上、戦争末期には空襲で工場そのものも失う。
敗戦後、水谷清重はマルキ号製パンの再建に取り組むが果たせなかった。『マルキ号製パンの光と影――水谷政次郎氏伝』(水知悠之介著、新風書房、2008)では、「マルキ号製パンのプリンスながら先が読めず」とマルキ号没落の責任を清重ひとりに負わせているが、これは厳しすぎる評価だと思う。戦中・戦後の荒波の中、判断を誤ったことは事実に違いないが、戦争とその影響に翻弄されている部分が大きいわけだし、「先が読めなかった」と言えるのは後世の私たちだからこそである。この評価は結果論に過ぎる。
彼は彼なりの「マルキ号」に対する思いを貫こうとしたのだと思う。戦後の物資不足の中でも、ブランドを守ることを優先し、そして守りきれなかった。会社はなくなったが、水谷政次郎・清重親子の功績までもが消えるわけではない。菓子パン分野は「あんぱん」を開発した銀座木村屋の功績が大きいが、食パン分野では、なんといってもマルキ号製パンの貢献が大きいのだ。また、清重は製パン業の復活には失敗したが、戦後も酵母の研究を続け、生きたままの酵母を腸に届けるコーティング技術などを開発し、1964年(昭和37年)に全国日本学士会のアカデミア賞を受賞している。AIBに留学して以来、酵母と共に生きた人生だったと言っていいだろう。

イーストについての誤解

ところで、「天然酵母パンはおいしい」という話がある。「天然酵母」でネット検索すると、「イーストは人工的に合成された添加物で、健康によくない」というデマまで書かれていて、驚いてしまう。あまりにもこうした偏見が多いことから、最近は「パン酵母」という言い方をすることも増えてきた。
イーストも天然酵母である。短時間でパン生地を発酵させる能力をもつエリート酵母だから、人工的に、そして大量に培養されているだけだ。じつは天然酵母も、市販されているものは人工的に培養されているから、イーストと天然酵母の本質的な相違は、「イースト以外の雑菌が含まれているか否か」だけである。
いま意図的に「雑菌」と書いた。こう書かれると、ちょっとイヤな感じがするのが人間心理だ。実際には、その雑菌は乳酸菌だったりして、パンの風味や味わいを豊かにすることもあるわけだ。そして自宅でうかつに天然酵母種を起こすと、雑菌がほんとうに大腸菌だったりすることもある。
そもそも「発酵」も「腐敗」も、食べ物の成分に菌が作用するという点では同じである。人間にとって都合のいい結果が得られれば発酵といい、不都合な結果になれば腐敗という。都合のいい結果を生む雑菌を含んだ酵母種が、いわゆる天然酵母種であり、要するに天然酵母は「イースト」+「その他の菌」である(天然酵母種でも、ふくらませる部分はやはりイーストの働きだ)。

パン製造についての誤解

そういえば、「ヤマザキパンはなぜカビないか」という話もあった。(発ガン性が指摘されている添加物の)臭素酸カリウムが原因でカビないというのである。事実は異なる。工場の衛生状態が極めて良好だから、カビにくいだけだ。缶詰やペットボトルが(開封しない限り)、カビや悪玉菌の餌食になりにくいのと話は同じである。
この手の話は、いつも「量」の概念が抜けている。一部のヤマザキパンはたしかに臭素酸カリウムを添加しているようだが、残留する臭素酸カリウムは水道水の1/20だと言われている。ヤマザキパンが臭素酸カリウムのせいで食べられないのであれば、水はもっと飲めない。
「ただちに健康に被害の出るレベルではない」と言われるとごまかされた感じがして、頭から否定したくなるのも人情だが、やはり量の概念は大切である。たとえばワラビが発ガン性物質を含むのが事実であるとしても、年に1度か2度、小鉢に入ったワラビを食べたくらいでガンになるようなら、もはや人体としての機能は失われていると思ったほうがよい。
似た話で、スーパーマーケット紀ノ国屋のイギリスパンに対するクレームがある。原材料表記のどこにも保存料が書かれていない(実際に使っていない)が、たまに「こんなにカビにくいんだから、絶対に使っているはず。ウソをつくな」というクレームが入るという。事実は、「ホップ種だから、カビにくい」である。ホップの殺菌力が効いているのだ。これはまさに天然由来である(もちろん、「天然だからいい」という単純な話ではない)。
さらにそういえば、いま流行のキュレーションメディアなら、ソーシャルメディアでのシェアを狙って、「パンと酵母に人生を賭けた明治の人たちの奮戦に涙が止まらない」といったタイトルをつけるのだろうが、もちろん私はやらない。品性は大切である。
(2014年9月7日)

参考資料