誰も責めてはならぬ

失われた20年が30年となり、そろそろ「40年になるんじゃないか」という意見も出てきている。そういう恐れは確実にあると思う。日本社会は悪い循環にハマッている気がするからだ。「貧すれば鈍する」というが、いまの日本の状況は「貧すれば足をひっぱる」である。インターネットの掲示板やSNSがこれに拍車をかけた。鈍する人が、「うまいことやっている人間」を叩く。オリンピックに出場するアスリートの心が折れるようなひどい投稿が問題視されていたけれども(とくに新型コロナ問題があったので、TOKYO2020はひどかった)、これもいまの日本社会の縮図だとしか思えない。

「やった人」を責めると「やらない人」が出世してしまう

前々から日本社会にはそういう傾向があったと思うけれども、日本人はとかく他人の失敗を論うのが好きで、成功を喜ばない。傷口に塩を塗る文化とでも言えばいいのか。安倍‐菅政権に対する野党の態度がまさにそれだ。なんだかんだいって、mRNAワクチンも早期に大量に確保し、ものすごい速度で国民にワクチン接種を進めた。そして現実に、2021年10月4日の東京都の感染者数は87人だ。手放しで喜べる状態ではないが、ともかく第5波は乗りきりそうじゃないか。褒めるところは褒めるべきだ。

やって失敗すると叩かれるが、なにもやらないでいれば汚点にならないというのは最悪である。なにをしないというのは、サボタージュと同義だ。しかし、現実には、なにもしない人が失点ゼロで出世していく一方で、トライして失敗した人は責任をとらされる。失われた40年にしたくないなら、まずここを改めるべきだろう。「なにもしない人」は、「新しいことをやって失敗した人」より評価を低くするべきだ。

私は次のように切り分けるべきだと思っている。

  • 「チャレンジしたこと」は評価の対象とする
  • その結果については、分析の対象とする

成功しても、失敗したらなおさら、分析をしっかりやるべきだ。なぜそうなのか、ということが理解されていないと、同じ成功を求めることはできず、同じ失敗を繰り返すことになる。しかし、それを人事評価に対象にはすべきではない。まずチャレンジしたことそのものを評価するシステムに変更しなければ、日本人は萎縮していくばかりである。

(たぶん)意味がなかった富田林市のケース

格好の事例が、富田林市(大阪府)のケースである。withnewsの記事によると、

大阪府の富田林市が、厚生労働省などが推奨しない「空間除菌」をうたう約2万個の雑貨を購入し、そのうち約1万6000個を2021年3月までに市民に配布していたことがわかりました。購入に使われた税金は約4000万円に上るとみられます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fd2e30ae46c3a6a9825a8fa2364afc7a6346eb9e

という。この記事は人への有効性や安全性が未確立な空間除菌グッズを安易に市が採用し、配布したことにより、「コロナ対策品」というお墨付きを行政が与えてしまったことを批判する記事だ。それはその通りだと思う。しかし、「なにもやらなかった人たち」より、この担当者が評価を下げることはあってはならないと思う。市民のために、なにかしようと仕事をしたことは事実なのだから。

新型コロナウイルス対策はとても新しい分野なので、ある程度の試行錯誤はそもそも仕方がないだろう。地震対策など、もう慣れ親しんだ分野であっても、巨額の税金をつぎこんだシステムがまったく動かなかったりするわけだ。大切なのは、実施したことを科学的に分析し、その結果を共有し、失敗の確率を減らすことだ。この富田林市の空間除菌グッズの配布を「実験」だと考えてはどうか、という話である。

ちょうど市のウェブページに感染者グラフがあったので、重ね合わせてみよう。

一目瞭然、「空間除菌グッズの配布で感染拡大を抑えた」と主張するのはかなり難しい。もちろん、市民がどうグッズを使ったかもわからないし、厳密には人口も町並みも人の動きも富田林市と似ていて、空間除菌グッズを配布していない他の自治体を選んで比較しないといけないわけだが、そこまでしなくても、第4波と第5波を抑えられなかったことは事実だ。

この結果を日本中の自治体や企業が共有すれば、4000万円のコストも安いものではないか、というのが私の意見だ。それ以上の浪費を防げるからである。当該記事は市が空間除菌グッズに「お墨付き」を与えてしまったことを批判しているが、市がこの結果を科学的に分析した成果を発表すれば、その汚名を返上できるはずだ。

「雑貨」だから問題なのではない

私はコロナ対策品を市民に配布するという富田林市のトライそのものは評価する。安倍政権がマスクを配ったのも評価している。アベノマスクの配布は、市中で高騰していたマスクの価格を下げる効果があり、国全体でみると黒字だというのが私の評価である(関連記事)。対して、空間除菌グッズを配布したのは失敗とみるべきだと思うが、それでも、「これでは防げない」ことは確認できたわけだ。

当該記事は配布されたのが法律上の雑貨にすぎないものであることを批判の根拠のひとつにしている。ただ、これを指摘するなら、薬機法が「未曾有の危機に、とれる手を阻害する壁」になっていないか、という視点も欲しかった。2020年2月にパンデミックが明らかとなり、そこから対策品を開発したとして、早くて2020年秋の完成。ここから必要な治験をやり、医薬品・医薬部外品・医療機器認定をとりにいっていたら、発売できるころにはパンデミックが終わっている。新型コロナウイルスパンデミックのような非常時に、薬機法遵守は正義なのか、ということである。

私は機動的な承認体制を国がつくることも、これから必要なことだと考えている。国が率先して、効果を期待できる雑貨をとりあげて確認し、その成果を発表するのが正しい姿なのではないか。事前に書類審査をやって、実証をする。効果を確認できれば国がお墨付きを出す。こういう非常事態に即応する体制ができていないから、雑貨側は大学にお金を積んで論文を書いてもらうなど、あの手この手でアプローチする。

さまざまな研究成果が発表されているが、はっきり言って、消費者を騙す道具に使われそうなものが多い。「30分で99パーセント不活化」という論文が出れば、売る側は「○○大学で実証」と大きくうたう。いやいや、不活化に30分もかかるようでは、その間に感染してしまうだろう。早い話が、システムがうまくいっていないのだ。とかく医療体制の充実ばかりが主張されるけれども、公的機関が素早く「お墨付き」を出す体制を整えることも大切だと思う。もちろん、「それは意味がない」「むしろ有害」というのだって「お墨付き」である。

たとえば、The California Air Resources Board(CARB)は、Hazardous Ozone-Generating Air Purifiersという記事を公表し、オゾン発生器が1)低濃度ではほとんど意味がない、2)空気中の既存の化学物質と反応して、ホルムアルデヒドや超微粒子などの有害汚染物質をさらに発生させる、3)濃度が高いと肺に回復不可能な損傷を与えるなどの理由で、ヒトと動物のいる環境でのオゾン発生器の利用に反対する、というお墨付きを出している。こうした情報発信を国や国の機関が効果的に行うことがとても大事だと思う。

「やっているフリ」は困る

ところで、富田林市については、もうひとつ話題になっていることがある。とある企業から機器が寄付され、市内の公立学校すべてにオゾン発生装置が導入されたのだ。これこそ、批判されなくてはならない内容だと思う。なぜなら、判断力のない子どもを相手した強制行為だからである。

大人であれば、たとえ空間除菌グッズが配布されても、自分の判断で捨てることもできるだろう。しかし、学校にオゾン発生装置が導入された場合、子どもには選択肢がない。捨てることも逃げることもできない。文部科学省の『学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル~「学校の新しい生活様式」~』には
<人がいる環境に、消毒や除菌効果を謳う商品を空間噴霧して使用することは、眼、皮膚への付着や吸入による健康影響のおそれが あることから推奨されていません。>(p.35)
と書かれている。それを無視して、専門家に意見を聞くこともなく(学校医・園医、富田林医師会学校医部会など、地元の専門家に相談することもなく実行されたという)、「寄付してもらったから、全校に設置した」というのは安易にすぎるだろう。

「濃度が低いからヒトに安全」というのは、「濃度が高いとヒトに危険」を裏返した一面的な見方にすぎない。上で紹介したCARBの情報によれば、オゾン発生器はホルムアルデヒドや超微粒子などの有害汚染物質をさらに発生させるから、この面での評価も必要なはずだ。化学物質過敏症の子どもには地獄のような環境になる恐れもある。

こんなのは、「やっているフリ」をしているだけである。

「特定の条件下」がとても重要

この1年半、全国で悲劇だけでなく、喜劇も繰り返されてきた。マスク着用拒否でのトラブルをはじめ、日本の将来を憂えてしまうようなトラブルが多い。はっきり書いておこう。効果があると証明されたわけではないオゾン発生装置を学校に配備なんて、喜劇以外の何者でもない。第一、オゾンの効果を発揮するには、部屋を密室にするほうが望ましい。一方で、感染予防策として最も重要視されているのは換気だ。この二つのおりあいをどうつけるのか。オゾン派の教師が窓を閉め、換気派の教師がすかさず窓をあけるという喜劇が起きそうだ。

いま「効果があると証明されたわけではない」と書いた。「藤田医科大学や奈良県立医科大学やが証明している」という反論がきっと来るだろう。研究発表をみてみたが、私はこれをもって効果を証明したというのは難しいと思う。なぜなら、研究内容は「ある条件で低濃度オゾンガスが新型コロナウイルスを不活化した」というものであって、「教室に低濃度オゾンガス発生器を置いたら感染を防げる」という内容のものではないからである。

特定条件下でウイルスの感染力を奪ったという研究が、すぐさま教室での感染を防ぐエビデンスになるとは思わない。藤田医科大学の発表をみると、
1)密閉した容器で0.1ppmの低濃度オゾンガスを使うと、
2)10時間後に容器内のステンレスに付着させたウイルスの多くが不活化した(オゾンを使わない場合の4.6%まで減らした)
という内容である。類似研究の奈良県立医科大学の発表は、
1)密閉した容器で6ppmの低濃度オゾンガスを使うと、
2)55分後に1/1,000~1/10,000まで不活化した
である。この研究からわかるのは、密閉した小さな箱で0.1ppmのオゾンを使うと新型コロナウイルスを10時間がかりで不活化できる、6ppmなら55分がかりで不活化できる、という話である。

たしかに「低濃度オゾンが新型コロナウイルスを不活化する」ことは確認されている。しかしこの内容から、「教室に低濃度オゾンガス発生器を置くと感染を予防できる」と想像することはできない。「すれ違っただけで感染した」という話もあれば、「互いに不織布マスクをしていても10分以上対面で会話していれば濃厚接触」(感染リスク大)と言われているのに、55分は待たないと不活化できないと研究が証明している。これで感染予防ができる? しかも、教室は実験に使われている小箱よりはるかに広く、そして密閉されていない。

「イスの足がこわれた」と学校に言ったら、完全な接着に1時間かかる接着剤で足を補修され、すぐに座らされているような感じだ。当然、負荷がかかったらまた壊れる。ここは瞬間接着剤でなければ通用しない。あるいは、1時間はイスを使わず、外で待つか、である。

実効性が非常に疑わしいという点では喜劇、ホルムアルデヒドを増やしてしまうような機器を、拒否権のない子どもたちに使う点で悲劇である。これでもしも子どもたちに健康被害が出たら、誰がどう責任をとるのか。おそらくこの後始末こそ、全国から注目されている。

教室での効果が非常に疑わしく、悲劇が起きる可能性がゼロではない以上、私は名誉ある撤退を勧める。非常時の朝令暮改は恥ではない。

付記

重要なのは「条件があう」かどうかだけである。接着剤選びと同じだ。当該の低濃度オゾン発生器も、それにあう条件で使えば、すばらしく感染予防の役にたつものだ。たとえばタクシーの場合、仕事の終わりにスイッチをいれ(無人の閉鎖空間で使う)、スイッチを切って換気をしながら走るという使い方なら、とても条件にあう。