これほど「消毒」とか「除菌」を気にする日々がやってこようとは、夢にも思わなかった。
(「消毒」と「除菌」という用語が世の中に入り乱れているのは、薬機法という法律による。医薬系の承認をとり、基本、薬局で売られているものだけが「消毒」という用語を使える。同じ機能があっても、どの店でも売られているものは法律上「雑貨」であり、「消毒」という用語を広告等で使えない。なので「除菌」と書いているわけだ。この二つはけっして消費者目線ではない使い分けなので、この文章はあえて「消毒」で統一する。「ウイルスは菌じゃないから、除菌剤はきかないはず」なんていう、おかしな疑問を生じさせないためである。)
消毒は意外に難しい
しかし消毒は意外に難しい。いまどきは飲食店でもデパートでも、入店時に手指消毒を求められるが、観察するとほとんどの人が消毒できていない。ちょこんとアルコールを出して、軽くスリスリするだけ。そうじゃない。ポンプを最後まで押し切り、たっぷりとアルコールを出す必要がある。両手がびしょびしょになる量を使わないと、爪の間や、シワに潜むウイルスを消毒できないからだ。
これは「知らない」ということもあるのだろうが、心理的な要因があると私は思っている。アルコールによる手荒れの悩みだ。アルコールは皮膚のタンパク質を変性させてしまうので、継続的に使うと必ず手が荒れる。できれば、使いたくない。その気持ちが、ポンプの押し方に出てしまうのではないか。「できれば、少しで済ませたい」、いや、「できれば、アルコール消毒はしたくない」という気持ちが、申し訳程度のポンプの押し方に出るという説だ。
私はGSE(Grapefruit Seed Extract)に出会ってから、GSE水溶液を小型のスプレー容器と充電式超音波式加湿器に入れて持ち歩いている。GSEは化粧品の品質保持剤に使われるくらいで、まったく手荒れがしなくなった。これはありがたい。手がびしょびしょになるほど使っても、水で濡らすのと同じ感覚。手が荒れるんじゃないかとビクビクしないで済む。
でも、手洗いできる環境にあるときは手洗いを選択する。石鹸の二度洗いが、圧倒的に優秀だからである。とくに気になるのは食事のときだ。ピッツァやサンドイッチなど、意外に手を使って食べている。もちろん、手づかみするその一瞬に緊張するわけだ。私は、石鹸で二度洗いして席に戻り、さらに手を使って食べる前に、必ずGSEで手指を消毒する癖をつけている。いくら手洗いしてから食事を始めたとしても、どこでウイルスを拾うかわからない。「手を使う直前」に消毒するのが確実だ。食事中に何度も手指消毒をする。
とくに調味料を使った後には、必ず消毒している。調味料はテーブルの上にずっと置かれていて、清掃されることもない。食べるときは、誰もがマスクをとるわけだから、前の客が感染者で、大量のウイルスを吐出する時期だったとすれば、絶対にウイルスをかぶっているだろう。調味料は手で触るものだ。接触感染を媒介することも十分考えられる。そもそも入り口の手指消毒がゆるすぎるし、まったく油断できない。
しかし、近くの立ち食いうどんの店で、途中で手指消毒をすることはない。手づかみで食べるメニューがないからである。手にウイルスが付着したとしても、それを目・鼻・口にもっていかなければ問題はない。
ウイルスは熱に弱いことを利用する
圧倒的に私は「温かいメニュー」を選択することが増えた。ウイルスは熱に弱いからである。インフルエンザでもそうだが、42度レベルの高熱を出すことが多いのは、身体がウイルスを熱で死滅させようとするからだ。ということは、熱々の料理にウイルスが降り注いでも、熱で不活化するということになる。
「黙食」と言われても、「大事な友人がそこにいるのに、しゃべらないで食べるなんて無理」と思われるだけかもしれない。「料理が出てきたら熱々のうちに黙って食べろ」が正しいだろう。料理が出てきたら、冷める前に黙って食べきる。サラダなど冷たいものなら、ウイルスをかぶらないうちに急いで食べる。そしてマスクを再びつけてしゃべりなさい、という話だ。もちろんマスクは不織布マスク一択である。ウレタンマスクなら、話すのはNGだ。
それにしても、ウイルスは紫外線と熱に弱いから、「夏場はいったん終息する」のが常識だった。インフルエンザは冬の病気と思われているが、これが理由である。なのに、この夏はどうだ? あんなに暑かったのに、感染が爆発してしまった。冷房が普及しているということもあるだろうけれど、この調子では、この秋冬が心配でならない。
ワクチン接種済でもインフル並の警戒が必須
報道をみていると、ブレークスルー感染という用語が頻発している。ワクチンを二度接種しているのに感染してしまうことを言うのだそうだ。私はわざわざ用語をつくって、大げさにとりあげることに反対である。ワクチン接種の足をひっぱる陰謀ではないかと思ってしまう(「接種しても感染するのだから意味がない」と反対派が元気になる)。
新型コロナウイルス感染症のワクチンは、麻疹のワクチンとは違う。「一度接種すれば、一生、かかることはまずない」というのが麻疹のワクチン。麻疹にかかった場合も同じだ。二度かかることはまずない。インフルエンザワクチンはどうか。A型のワクチンをうってもB型にかかることがある。同一シーズンに二度かかる人もいる。今年ワクチンをうっても、来年にはまた接種の必要がある。新型コロナウイルスワクチンに、麻疹のそれと同じ効果を期待することからして間違っている。
新型コロナウイルスのワクチンは、ヒトの免疫機構に「敵」を予習させ、迎撃するための弾(抗体)を準備させるものだ。未感染のヒトにとって新型コロナウイルスは未知の敵であり、無害だと勘違いして身体の中にいれてしまう(そして体内で複製が始まれば、感染である)。敵だと判別したところで、撃退する弾をもたない。つまりワクチンを接種して、やっと新型コロナウイルスがインフルエンザなみの存在になるわけだ。
ワクチン接種前に必要なのは新型コロナウイルス感染予防策だが、ワクチンを接種すればインフルエンザ感染予防策でいい、という話だ。「かからない」ということではないから、相変わらず注意を怠るな、で済む話である(なお、かかったとしても、ワクチンを接種していれば体内の免疫システムにウイルスを撃退する弾があるから、重症化しにくいという効果もある)。大切なのは手指の消毒と不織布マスクと換気。そして室内のウイルス量を減らすことである。
いやいやこれでは、ワクチンを接種しても行動が変わらないではないか、意味があるのか、という疑問をもつ人もいるだろう。これは専門論文を見ていないので、各種データからの素人の想像に過ぎないが、おそらくワクチンなしだとフェイスシールド必須、接種すればフェイスシールドは省略していい、くらいの違いはあるのではないか。相違点は、体内、とくに肺にとりこまれるウイルスの量だ。大量に新型コロナウイルスを肺の中まで入れてしまうとワクチン接種済でも感染するが、目から(鼻を通じて肺まで)侵入してくるくらいの量なら撃退できる、というくらいの差異はあるのではないかと思う。
私は迷うことなくワクチンを接種した。重症化しにくいだけでもメリットだ。そして、多くの人が接種して感染総数を減らすことができれば、それだけ、変異株の出現頻度も減るから、それに貢献するという意味もある。変異株はウイルスが増殖するときのコピーミスによって出現する。DNAはコピーミスを自動修正する機能がついている(二重らせん構造で、結合のときにエラーチェックするようになっている)が、ウイルスのRNAにそんな機能はないから、増殖機会が増えれば、変異する機会も増える。感染を減らすことが変異株の出現数を減らすことになるわけだ。
床のウイルスをどうする?
新型コロナウイルス感染症が話題になった直後、私はこの論文を読んで、GSEで床対策をするシステムを実用化する必要を感じたのだった。図版を紹介しよう。とてもわかりやすい。
アビガンの開発者・白木公康氏の説明だ。「粘性のある大きな飛沫は落下して外側が乾燥しても、内部のウイルスは感染性を保持し、物を介する感染(fomite transmission)の感染源となる」とある。さらに、私はモノの表面で長寿命であることがわかっている新型コロナウイルスの場合、塵埃感染も起きていると考えている。床に落ちたウイルスがホコリにのって再び舞い上がり、それを吸いこむことによる感染である。
不思議なほど、塵埃感染の可能性は無視されている。しかし、感染者が吐出するウイルスの大半が床に落ちており、内部のウイルスが感染性を保持するなら、無視をするのは間違っているのではないか。たとえばこのクラスター事例は、塵埃感染説を補強するのではないかと考えている。
稽古場ではマスク着用や消毒、こまめな換気が徹底されており、専門家も「やれることはやっていた」と評価している劇団の練習で、91人中76人が感染したという記事である。私は「対策徹底しても」という見出しに異論がある。「言われている対策を徹底しても」であって、それでも「抜け」があるからこんな大規模なクラスターになっているわけだ。やれることはやったかもしれないが、やるべきことはやっていないとしか評価できないだろう。
そしてその「やるべきなのに、やっていなかったこと」が、床対策であると私は考えている。稽古に参加した人の中で、感染者は1名だったそうだ。このたった一人が吐出したウイルスが、91人中76人にも行き渡ってしまった。真っ先に疑うのは密室での練習によって、エアロゾルによる空気感染が起きたことだが、劇団によれば、換気も頻繁に行っていたという。ならば、次に疑うべきは床ではないだろうか。
大量に落ちた床のウイルスの表面の唾液や鼻水が乾いてくると、ウイルスが劇団練習によって舞い上がり、それを吸いこむことになる(塵埃感染)。あるいは、劇団練習の休憩時は床に座りこむのが常だから、衣服にも手にもべっとりとウイルスが付着する。しかし、床にウイルスがいるという意識はないため、当然に「汚染された」という意識もなく、接触感染をおこしてしまうという想像だ。76/91という確率は、これで説明できるのではないだろうか。
塵埃感染のリスク、床のリスクを無視するのは誤りだろう。現に、クラスターが出た部屋の消毒をする専門業者は、床を念入りにやっている。マスコミでは唯一、NHKが特集したことがある。そこで紹介されている実験映像を引用しておこう。ちょっとしたことで床のホコリが舞い上がるという話だ。
NHKのこの特集では、東海大学理学部の関根嘉香教授が「特に体育館のように かたい床、ツルツルの床面では長く生き続ける。ただよう空気の中のウイルスも(注意が)大事ですが、避難所の場合は、まずは床面に落ちた飛沫の対策が重要」とコメントしている。
では、この床のウイルスを処理するには、どうすればいいのか。ひとつは床を抗菌処理することだが、残念ながら、私がみた範囲内では、この手の抗菌コーティングは不活化に時間がかかりすぎる。感染を防ぎたいなら、落ちてきたウイルスを10秒単位で不活化しないと意味がない。「8時間で不活化」だと、感染力を保ったウイルスが再び空気中を舞ってしまう。
前置きがあまりに長くなったが、だからGSEが注目なのだ。GSEは揮発しにくいという特長があり、GSEを利用した台所用除菌剤は「効果一カ月」を売り物にしていたりする。水拭きできる床なら、GSE水溶液に浸したモップで清掃すると、消毒しながらコーティングもできるので一石二鳥だ。カーペットならスプレーするか、GSEを室内に拡散する専用の装置でGSEを付着させてやる。マスクや換気、消毒などの対策に加えて、GSEで床対策をしていれば、劇団クラスターは起きなかった可能性が高いと私は考えている。
保育園を守りきれ!
床が強く汚染されているとすると、最も感染リスクが高いのは保育園・幼稚園等の保育施設である。この写真で一目瞭然だろう。
子どもたちが床をハイハイするのだ。そして子どもたちは不織布マスクもできないし(呼吸の関係上、この年齢の子どもにマスクをするのは勧められない)、保母さんたちはソーシャルディスタンシングをとれない。保育は必ず濃厚接触となる。
デルタ株以降、保育園児にも感染が目立つようになった。これは本当に厳しい。床をハイハイして、衣服にべったりとウイルスをつけた子どもをだっこして帰り、帰宅したらウイルスまみれの衣服が入ったお着替え袋から衣服をとりだして洗濯機に入れ、袋のほうは使い回す。想像される結末は悲惨だ。次の瞬間、この子たちは親を失いかねない。保育園をなんとしても守る必要がある。
私は保育園こそ、GSEを活用してウイルスに対抗して欲しいと思っている。GSEの最大の長所は二つ。第一は抗酸化物質のかたまりであって、ヒトに安全であること。「ウイルスに効果があるものを噴霧すると、それを吸い込んだヒトに健康被害が出る」というのが常識である。これは次亜塩素酸にせよ、二酸化塩素にせよ、噴霧系の除菌システムに使われているのが、たいていは酸化物質だからである。GSEは例外だ。抗酸化物質であり、ウイルスに効力がありながら、ヒトの気道上皮にダメージを与えない(むしろ抗炎症作用がある)。
ツイッターに次亜塩素酸水噴霧装置を導入した保育園の話が流れていたが、噴霧装置からのミストが届く範囲からいって、2メートルおきくらいに設置しないと床の対策はできない。そして、それだけの量を噴霧すると、子どもたちへの健康被害も心配になる(まったく健康被害がないなら、ウイルスも元気なままだ)。
第二は効果に持続性があることである。たとえば床をGSE水溶液で清掃するか、専用の装置でGSEを床に拡散しておけば、しばらくの間、落ちてくるウイルスを不活化し続ける。これが大きい。一日の最後にこれをやっておけば、翌日はずっと床でウイルスを待ち受けて不活化する。
鼻腔には口腔の1万倍のウイルスがいる
アメリカのCDC(Centers for Disease Control and Prevention)は、接触感染のリスクは小さいので、躍起になってドアノブなどを消毒する必要ない、という勧告を出している。それはそうだろう。ドアノブを必死に消毒するよりは、頻繁に手指を消毒するほうが効率もいい。GSE水溶液を持ち歩いて頻繁に使えば、接触感染から我が身を守れる。
それより怖いのは、やはりウイルスを吸い込むことだ。1)空気中を漂うウイルス量を減らす、2)吸い込むウイルス量を減らすことが大切である。量を減らせば、感染したとしても重症化しにくい(曝露するウイルス量が大量だと、重症化しやすいことがわかっている)。そのためにいま声高に言われているのが、不織布マスクをすること(出す量を減らし、吸い込む量も減らす)、換気を頻繁にすることである。
これに床対策を加えたい。エアロゾルによる空気感染は、(よほどの密室でない限り)その場に感染者がいるとき限定だが、床からウイルスが舞い上がっての塵埃感染は、時間差でも感染が成立し得る。逆にいうと、床対策はウイルスの時間差攻撃を防ぐ。
ある研究論文を見ていて気づいたのだが、鼻腔には口腔の1万倍のウイルスがいる。つまりは、圧倒的に鼻腔を守ることが重要なのだ(鼻出しマスクはその意味で、ナンセンスきわまりない)。私はGSE水溶液を超音波式加湿器に入れて、ヤバイなと思ったら吸っている。鼻腔のウイルス対策のためだ。GSEの除菌作用で、加湿器の衛生も保たれるから、一石二鳥である。
使っている加湿器は2種類。携帯もできる小型の充電式の超音波式加湿器と、アメリカVeSync社のLevoit Classic 300Sだ。前者は机上で使う鼻腔対策用だが、持ち歩けるので、飲食店に持ち込んだりもする。後者はスマートフォンからプログラム稼働させて室内の湿度を保つのに使う。こちらは、玄関に置いて、帰宅時に使うのもお勧めである。GSEミストが髪の毛や衣服につく。ゼロにすることはできないだろうが、いきのいいウイルスを減らせば、そのぶん、感染リスクも重症化リスクも減る。その上で、風呂場に直行が正しいだろう(とくに保育園のお迎えのあとは、親子で風呂場に直行し、衣服をすぐ洗濯機に入れるべき)。
巻き添えはご勘弁
こんなぐあいに感染が拡大してくると、友達を選ぶほかなくなってしまうのも、辛いことである。親しくつきあっていた友人が陰謀論に与してしまい、「ワクチンは絶対にうつな」なんて言ってくるのは、悲劇である(本人が自分の意思で接種せず、それを他人に押しつけないのであれば、摩擦にはならないのだが)。
こういう極端なことがなくても、感染に無防備な人、情報に鈍感な人とは、もうつきあえない。2020年の新型コロナウイルスの知識と、2021年のそれとでは、明らかに異なっている。幼児の感染者が増え、20代の基礎疾患のない若者が、隔離あけに帰宅して死亡するなんて、2020年にはほとんどなかった。もう別の病気になっている。
一事が万事というか、ちょっとしたところに意識が顕れる。爪をのばしている人は、それだけで信用をなくしてもおかしくない。爪の間にウイルスが潜むし、いざというときにSpO2モニターを使いにくい(ギタリストの方は別)。鼻だしマスクの方とはソーシャルディスタンシングを長めにとる。狭いエレベータにウレタンマスクの鼻だしの方が乗ってくると、もう降りるほかない。
かなり以前、上司が使った受話器を除菌する女性部下の話が、滑稽な話として語られていたが、いまはこれが当然の時代となっている。ウイルスを正しく恐れるための正しい知識をもっているか否かは、もはや社会的信用の問題だ。「すこし熱があるくらいで会社を休むな!」という熱血経営者はもはや死の危険に直面していると言っていい。私なら、社員のネクタイ・スーツを禁止する。滅多に洗わないし、ネクタイは手で触るものだから、ウイルスまみれだ。まして会社で鼻だしマスクをしていたり、クシャミをするときにマスクをわざと外したりしていたら、もう部下は一歩も近づいてくれませんよ。ワクチンを接種していたとしても、感染してウイルスをまき散らす可能性はあるんだから。
手指消毒と吸入について
なお、たいていのGSE水溶液は医薬部外品ではないため、薬機法の規制によって、「手指消毒に使えます」とは書けない。そもそも除菌剤はモノに対して使うものであり、医薬部外品を取得する必要がなかった。これは法律の問題なので、利用者が自分の判断で手指消毒や鼻腔消毒に使うぶんには、なんの問題もない。