新型コロナウイルスの感染拡大・第五波の勢いが止まらない。2021年7月28日には東京都の感染者数は3,000人を越え、同31日にはついに4,000人を突破。8月4日には4,166人、5日には5,042人を記録している。今回はデルタ株ウイルスが主体で、感染者が吐出するウイルス量が従来株の1,260倍も多いという(論文)。感染力が強く、子ども・若者などにも重症化事例が出ている。
感染症は、指数関数的に感染者が増える。ネズミ算と同じだ。「1人が2人にうつす」だけでも倍々ゲームになる。これが16段続くと、2の16乗=65,536人の感染者が出る計算になる。これを数値化したものが「実効再生産数」(effective reproduction number: Rt)だ。東京のそれは、7月30日に2.43、31日に3.59を記録している。ある瞬間に、1人の感染者が3.59人に感染をひろげた、ということだ。このままいけば、東京は、感染者1日あたり1万人越えというシナリオもありえる状況である。下に京都大学の西浦博教授による試算を引用しておく。このまま全員が態度変容をしないままなら、こうなるという予測である。
それにしても、である。夏は、紫外線が強くなり、ウイルスが弱るので、感染はあまり拡大しないはずではなかったか。実際、インフルエンザは冬に感染者が目立つ病気である。もう遠い昔のことに感じてしまうけれども、COVID-19も昨年の夏はすこしおさまり、2020年7月22日から「GoToトラベルキャンペーン」をやっていた。うだるような暑さのこの時期に、過去最高の感染者が出ている事実はあまりにも重い。1年延期した2021年夏のほうが、感染者は多いというのが現実だ。変異株のせいと言っていいだろう。そしてつまりは、先が読めるものではない、ということである。
「弱毒化する」は希望的観測
SARS-CoV-2はつくづく狡猾なウイルスであると思う。安易に「変異を繰り返すたびに弱毒化するはず」なんていう希望をもってはならない。ウイルスは宿主を殺してしまうと、自分も生き残れなくなることから、「変異を繰り返し、弱毒化する」と説明されているし、事実、数々の病原性ウイルスはそういう歴史をたどってきた。ダーウィン流に説明すると、強毒化したウイルスは宿主も殺してしまうので生き残れず、弱毒化した変異株のみが生き残っていくというストーリーになる。
しかし、新型コロナウイルスは異なる。症状が出る前のヒトがウイルスを大量に吐出し、次の宿主を見つけているから、強毒化して感染者を死に至らしめても、とくに困らない。「そのうち弱毒化するはず」というのは、現時点ではただの希望的観測である。「感染力が強くなれば、強毒性は弱まるはず」とツイートした政治家もいたが、ウイルスにこんな常識はないだろう。まして新型コロナウイルスは、宿主が死んでも、とっくに次の宿主を見つけている。さらに、過去の経験からいえば、最終的に弱毒化するにしても、そこにいたるには100年くらいかかる可能性もある。1年やそこらで弱毒化して落ち着く、というのは楽観的に過ぎる。
ヒトが押されてしまった原因
さて、パンデミックを経験して、改めて実感したことがある。ヒトは高等生物などと自惚れていたが、じつは微生物と共生しており、そのバランスが崩れた瞬間、なす術もなくなってしまうということだ。いまはヒトが微生物に押しまくられている状況である(ウイルスは自己複製ができず、代謝を宿主に依存するため、明らかに生物ではない。したがって、「微生物に含めるのはおかしい」という意見もあるだろうが、「微物」であることは確かなので、以後、ウイルスも含めて「微生物」と総称することにする)。
いきなり押されてしまった要因はいくつかある。第一に、ヒトが抗体をもっていない種類のコロナウイルスだったこと。ヒトは免疫機構という巧妙なシステムで招かれざる客(ウイルスや病原菌)に対抗する。その武器が抗体だ。しかし、新型コロナウイルスは人体にとって未知のコロナウイルスであったため、体内に追い出す武器(抗体)をもっていない。そこにつけこまれた。話題のmRNAワクチンは、新型コロナウイルスに対する抗体の作り方を人体にこっそり教える虎の巻だと理解すればいいだろう(対して生ワクチンは、毒性をなくした病原体を人体に与え、経験させることで抗体をつくらせる予習システムだ)。
第二に、SARS-CoV-2が感染を拡大する仕組みが巧妙だったことである。発症前のヒトが大量にウイルスを吐出する。これは本当に悪賢い。症状が出て、ベッドに寝たきりになった段階から大量にウイルスを出すなら、うつせても相手は看護する人のみである。いま目の前にいて、熱も咳もクシャミもなく、ごくふつうにしている人が、じつは感染者で、ウイルスを大量に吐出している。これでは自衛の方法もない(防護服で食事や仕事をする?)。
しかも、第三に、SARS-CoV-2は宿主を離れても感染力を長く保つ。これも悪賢いポイントだ。感染者が吐出した大量のウイルスは、その大半が下に落ちる(だからソーシャルディスタンシングが有効とされる。距離をとれば、下に落ちて、届かない)わけだが、落ちた床で長く感染力を保っている。掃除をすればホコリにのって舞い上がり、再び吸いこむことになる。
ナメてかかると、手痛い失敗に
この狡猾さを、本当に理解しているだろうか。いまや、たまたまエレベータに乗り合わせた人が、猛烈な量の変異株ウイルスを吐出しているかもしれないのだ。全員が不織布マスクをして、けっして話もしない、声を出さない、というのが正解である。ウイルスを防ぐ機能の弱いウレタンマスクをし、かつ鼻を出しているような二人が、エレベータ内で会話をするのは勘弁して欲しい(実体験)。フェイスシールドをして(目からの感染を防ぐ)、息をひそめたくなる。
7月末から8月頭にかけて、デパートでクラスターが発生した。阪神梅田本店128人、阪急うめだ本店34人、伊勢丹新宿店73人、ルミネエスト新宿59人だ。この事実も重い。デパートはどこも、入店時に体温の確認をし、手指消毒させているし、接客は必ずマスクをしている。それでもクラスターになった。特定のフロア(とくに地下食料品売り場)での感染者が多いという。これはどうみてもデルタ株だろうし、空気中を漂うウイルスを吸いこんでのエアロゾル感染が強く疑われるという話はさておき、そもそも入り口で検温し、手指消毒をしたとしても、安心などできない、ということである。おいしそうな食べ物を物色して購入する元気な人が、ウイルスを拡散するのだ。
「会食」を誤解しているのではないか、というツイートも見かけた。感染者にヒヤリングすると、「会食はしていない」と言うのだが、よくよく聞くと、同僚とランチをしていたり、友人とカフェでおしゃべりをしていたという。大人数での宴会や接待をともなう飲食のみを「会食」と理解していた、ということである。いやいや、二人以上で食事をとり、話をするなら会食に相当する。マスクをとり、飛沫を料理にも飛ばしながら過ごすので、感染リスクは非常に高い。
ひとことで言えば、ナメている。「この程度でうつるわけがない」「うつってもただの風邪」という正常性バイアスの2連発だ。医者のいう「軽症」は、重いインフルエンザに寝込んで、熱にうなされているような状態である。話題の中等症は、呼吸困難や肺炎の症状があり、酸素マスクをしたほうがいい状態だ。経験者は「人生でいちばん辛かった」という。ナメてはいけない。軽症で終わっても、後遺症に長く悩まされる可能性もある。実際、半年以上、味覚や嗅覚が戻らないという報告もある。
「棄民」批判には嫌悪感
さすがに連日、4,000人以上の感染者が出てしまうと、医療崩壊一直線だ。困るのは、心筋梗塞のように、大半は迅速な医療を受けられれば余裕で助かる人が、助からないことである。コロナ患者以外への影響が大きすぎる。まず病院への負担を軽くしないといけない。もともと緊急事態宣言の意図するところは、感染者をゼロにすることではない。「ピークをさげて、病院への負担を減らすこと」だ。
しかし、度重なる自粛要請に人々が飽き飽きしていたところに、感染力の強いデルタ株に襲われた。「呼吸器症状なく、肺炎もない軽症者は自宅療養とする(入院は中等症以上)」という8月5日の政府の発表は、来るものが来た、という感じである。
この政策に対して、野党などから「棄民政策」だと政権批判が相次いでいる。またか、と思う。どうみても苦渋の選択であって、そうやって批判するなら、「こうすればいい」という提案がセットでないと意味がない。なんでもかんでも政権批判の道具にしているだけとしか思えず、嫌悪感しかない(挙げ句、代案と称する政策が「徹底した検査」だったりするのは、もう、なんとかならないものか。「妊娠検査薬で避妊はできません」というツイートがあったが、まさにその通りだ)。
問題は、「感染者が急増したので、あふれました。病床数を含め、医療リソースの上限に達しています」という現実を、どうしのぐか、である。そしてこの問題は、誰が首相であろうと変わらない。軽症者は自宅療養とする、というのは、仕方のない選択だと私は思う。
ただし、気になるのは容体急変時の対応である。私だったら、「軽症者を自宅療養にするのは苦渋の選択として認める。ただし、容体が急変した人をどう救うのだ?」という批判をするだろう。目的は政権交代なのか、国民の命を守ることなのか、ということだ。容体急変に備える体制があってこその、自宅療養であるべきだろう。
特効薬がないことをもっと認識すべき
そもそも、風邪やインフルエンザもそうだが、入院したからといって、画期的な治療をしてくれるわけでもない。特効薬が存在しないからだ。冬になると風邪薬のコマーシャルが増えるが、熱やノドの痛み、咳やクシャミなどの風邪の症状を抑える対症療法薬ばかりである。基本的に風邪/インフルエンザ(COVID-19を含む)に対しては、自分の免疫力でウイルスに打ち勝つしかない。インフルエンザで熱が出るのは、その熱でウイルスをやっつけるためである(なので、むやみに解熱剤をのむのはよろしくない)。
したがって、軽症者に限定すれば、自宅療養でも入院でも、たいして差はないと言っていいだろう(もちろん入院できれば、カシリビマブ/イムデビマブを処方されるなど、ケアが手厚くなることもたしかであるが)。「自宅療養だから棄民」というのは、特効薬がないという現実を忘れた言いがかりに聞こえる。新型コロナウイルス感染症についていえば、軽症者が入院する利点は、容体の急変に気付いてくれる人がいること、そして人工呼吸器をはじめ、イザというときの生命維持装置に近い場所にいることだ(ただし、近いというだけで、使えるかどうかはわからない)。
つまり、軽症者や無症状者が、そのまま悪化することなく快復するなら、自宅療養でも問題はない。あるいは、容体急変を察知したらすぐに入院できる環境があればいい。もうパンデミックが始まって1年半だ。この間に、自宅療養中の感染者にたとえばスマートフォン連動のバイタルセンサー(SpO2センサーが望ましい)を配布し、容体急変を察知してすぐに救急車を走らせるようなシステムを普及させていないのは、失策として記憶しておきたい。批判するなら、この点だと思う。感染者が急増したら、自宅療養にするほかない、というのは十分に予見できたことだし、その場合、救命上の課題は容体急変への対応だ、ということも想像できることである。
私はGSEで自衛
結局、「うつらないように自衛する」しかない。もちろん私は、接種券が届いたので、ワクチンは躊躇なく接種した(ファイザーワクチンを選択)。加えて、これまでと変わらない感染予防策を講じている。ブレークスルー感染(ワクチンを接種した人が感染すること)の可能性もあるし、曝露するウイルス量が多ければ、重症化しやすくなるという研究もあるから、ワクチン接種前と同様に予防するほかない。
頼りにしているのはGSE(Grapefruit Seed Extract)である。GSEが新型コロナウイルスを抑制できることは、複数の論文で確認できる。GSEの中身はナリンゲニン/クェルセチン/カエンフェロール/ヘスペリジン/アピゲニンといった脂肪酸フラボノイドであり、抗酸化物質のカタマリだ。これらのフラボノイドで検索をかけると、新型コロナウイルスに感染することを予防する、炎症を抑える、ウイルスが増殖するのを防ぐといった機能性があることを示す論文も多数見つかる。事実、GSEを含む点鼻薬Xlearを患者に投与したら、早く治癒したという論文も出ている。
「xxが新型コロナウイルスを抑制する」といったニュースが出るたびに、それが売り切れるという喜劇が繰り返されている。xxとして登場したのは、緑茶だったり納豆だったり柿渋だったり、だ。鼻から肺にいたる気管にウイルスが侵入してしまうのが、主たる感染リスクである。納豆に効き目があるとして、どうやって肺に納豆をいれるのか。あるいは薬として納豆を食べて体内に有効成分を取り込むとして、何トンの納豆を食べれば新型コロナウイルスを抑制してくれるのか、まったく不明である。これも一緒のフードファディズムだといっていいだろう。
それに比べると、GSE水溶液のほうが、まだ期待をもてる。スプレーして除菌剤として使う一方、私は超音波式加湿器にGSE水溶液をいれ、外出から戻ってきたときは数回吸っている(ネプライザーとして利用)。鼻腔には口腔の1万倍のウイルスがいるという。その対策である。Xlearを患者に投与したら早く治癒した、という論文をみるかぎり、軽症者の味方にもなると思う。重症化さえしなければ、コロナもただの風邪、というのは正しい。
GSEはヒトの陣地を取り戻す強い味方
GSEを使い始めて実感したのが、「これで少し、微生物軍を押し戻せる」ということだった。ヒトの陣地をすこし取り戻すことができる、ということである。化粧品に使われているくらいで、手肌についても問題がない。アメリカではサプリメントとして飲んでいるのがGSEである。ヒトに安全でありながら、800種類もの菌・カビ・ウイルス・寄生虫を抑制することができる。そしてその効果が持続する。
ウイルスは目に見えないので、効果を目視することはできない、実感することはできないのだが、とてもわかりやすいのが、風呂場での利用である。次亜塩素酸ナトリウム主体のカビ対策品でいったんきれいにしたあと、GSEをスプレーして乾かすと、その後、一カ月くらいはカビがまったく成長しない。タイルの目地がずっと白いままだ。植物のチカラを借りて、微生物とのバランスをすこし改善するだけで、快適だし、病気も防ぐことができる、ということである。
※GSEについてより詳しくは、『GSE読本』を参照