大学の「良心」を問う

ここのところ、大学の研究成果発表にがっかりすることが増えている。研究者の責務は三つあると言われる。研究・教育・啓蒙だ。しかし、一部の大学については、啓蒙の心を忘れているのではないかという疑念さえもってしまう。研究・教育・売名になってはいないか。

「不活化する」という発表は、もうたくさん

とくにそれが目立つのが、新型コロナウイルス関連の研究成果発表である。柿渋が不活化しました、低濃度オゾンが不活化しました、5-ALAが不活化しました……といった研究成果発表がされ、それをマスコミが報道する。この1年間、ずっとそうだ。

研究そのものには敬意を表すとしても、このようにマスコミに発表して、良心の呵責はないのかと問いただしたい。というのも、私たちが知りたいのは「いますぐ感染を防ぐことができる方法」である。実験室の環境で、「3時間経過後にSARS-CoV-2が不活化した」ことを確認したとして、それがどう感染防止に役立つというのか。そんなに長く感染者と一緒にいたら、不活化の前に感染してしまうではないか。感染者が目の前にいてクシャミをしたら、0.1秒で鼻の中にウイルスが飛び込んでくるという。3時間も待っていられるか。

「緑茶成分が1分間で新型コロナウイルスを不活化したって」「わおっ。じゃあ、ノドにお茶を1分間保持すればいいんだね?」って、そんな芸当ができるなら、研究した貴殿が見せてくれ。

知りたいのは、感染を防止する方法だ。その研究成果が感染防止にどう役立つのかこそが重要なのに、それについては、「今後、この成果を活用するための応用研究を続けたい」とあるばかり。いや、だったら、そんな研究発表をするのは、世間を欺いているだけでしょう。応用研究を済ませてから発表するべきじゃないのか。

「不活化を確認」という研究発表は、もうたくさんだ。大学たるもの、記者発表までするなら、「感染防止効果を確認」「治療効果を確認」であるべきだろう。

「○○大学で確認!」は恥ずかしい

なにがイヤかって、こういう中途半端というか、感染防止という点ではなんの意味もない研究発表を利用する企業が出てくることだ。「不活化効果を○○大学が確認!」と宣伝するのを何度も目にしている。

不活化は事実だろう。でも、意味のある不活化と意味のない不活化がある。前者は感染予防できる不活化であり、後者は感染予防にはつながらない不活化だ。「6畳間の空間に噴霧し、180分後に99.9%空間中のウイルスを不活化することを○○大学が確認」といわれても、なんの意味があるのか、どう感染予防につながるのか、さっぱり理解できない。その前に換気だよ、換気。3時間も6畳間に密にいること自体がアウトだ(そもそも、どうやって空間中のウイルスを不活化したことを確認したんだ? という科学的な疑義もあるが、それについてはまたの機会に)。

それより、ここで大学の名前を使われて、明らかに薬機法に違反する販売促進表現に利用されていることを、恥だと思わないのだろうか。なんだ、よくよくみると、当該企業が研究費を出しているのか。大学としては、新聞報道やワイドショーに名前が出るだけで、「広報効果抜群。しめしめ」と思っているのかもしれないが、私はカネで学者の良心を売り飛ばす大学だと思われるリスクを意識すべきだと思う。

もういちど、研究・教育・啓蒙という3本柱を思い出してほしい。その研究成果によって、ウイルスは不活化できるかもしれないが、健康被害も出るおそれがあるようなものの場合(たとえばオゾンや二酸化塩素、次亜塩素酸水の空間噴霧はこれに該当する)、発表の仕方や内容に細心の注意をはらってこその「啓蒙」だろう。

極論する。サリンにSARS-CoV-2を不活化する効果を認めたとして、それを発表するのか、報道するのか、ということだ。「そうか、サリンを会社に噴霧すればいいんだ」という理解をし、実行する人が出てきたとして、責任をとれるのか。研究と教育は大学の中での話だが、啓蒙は社会との接点の話である。その研究発表が社会にどのような影響を与えるのかを意識せずに、売名のためだけに記者会見をするのは、まったく間違っている。

むしろいま必要なのは、「不活化する」という研究よりも、「不活化しない」という研究のほうだ。消毒したつもりになっていて、実際にはできていない、というのがいちばんの問題である。どこか対策に穴があるから、感染拡大がなかなか収束しないのだ。どこに問題があるかを明らかにしてこその「啓蒙」だろう。