「政権が無能」なのか?

といって、「菅政権は有能か?」と面と向かって質問されると返答に窮してしまうが、新型コロナの感染拡大を政権のせいにする論調が気になって仕方がない。感染しているのは市民だからである。

もちろん、「感染する人間に責任がある」とするのは、いろんな意味で問題がある。どんなに注意していても、罹患するときは罹患するのが感染症だ。日本の各所で、感染者がコミュニティから嫌がらせされる例があるのは、本当に恥ずべきことである(「明日は我が身」という言葉を知らないのか?)。しかし、「注意していたのに感染した」のと、「うかつなことをやって感染した」のとでは、雲泥の差があることも事実である。

検査の拡大を声高に主張する人たちがあいかわらず存在するけれども、検査は予防法でも治療法でもない。毎日、国民の全員が検査をしたとしても、偽陰性となった人間が感染を広めるだろう。「私は陰性だった」というお墨付きを与えてしまうから、検査の拡大が逆にクラスターを発生しやすくする可能性さえある。新型コロナウイルスの厄介なところは、発症の2日前くらいからウイルスを盛大に吐出することである。

飲食店を苦しめたのは市民

緊急事態宣言が続いているところでは、飲食店は20時までに営業が制限されている。近くの天ぷら屋に顔を出したら(天ぷら屋は換気がいい店のひとつ)、「先週の夜は、一人も客が来なかった」という。「19時くらいまでに会社からここに戻ってこれないものね」――住人を相手にしている飲食店は補償があるとはいえ、辛いことだろう。

ここで「飲食店は大変な思いをしている」と政府を批判するのはたやすい。しかし、時短要請に至った責任は、飲食店をクラスターの場にしてしまった客にもあるのではないか。数日前、「今日は早めに食べておこう」(その前夜は気がつくと19時55分で、食べそびれた)と17時50分ころに近くの料理店に入ったら、奥に6人ほどのネクタイを締めた集団がいて、酒も入った宴会状態。料理がテーブルいっぱいに並び、ワイワイ騒いでいる。お店には悪いが、着席せずに出た。巻き添えをくらうのは御免である(せめてウイルスまみれの可能性があるネクタイは外してくれ)。

ここで改めて、ウイルスの挙動を確かめておこう。感染者が吐出するウイルスは、このような動きになる。

これは感染者が咳をしたところだ。大声で話したときも基本はこれと同じである。エアロゾルが遠くに飛ぶが、飛沫(droplets)が下に落ちている。数人で宴会をしてワイワイやると、エアロゾルは飛んでくるわ、テーブルの料理に飛沫は落ちるわで、感染リスクは激増する。わんさかウイルスが落ちたポテトを、手づかみで食べるの? という話だ。

ニューノーマルな食事作法は、1)料理が出てきたら黙々と食べる、2)再びマスクをつけて、静かに話す、だろう。全員がこれを徹底するなら、飲食店がクラスターとなる例は極端に減るに違いない。私は、せめて22時までの時短要請にするべきだと思うし、そうするためには、市民が自覚をもって飲食店での感染リスクを回避するしかない。

責任の所在

感染拡大を防ぐのは市民の責任であると考えるべきだ。ひとりひとりの行動が大切である。その一方で、市民が被る経済的な損失を補填し、医療体制を守り、充実させ、ワクチンを確保し、集団免疫の獲得を推進するのが政府の役割だろう。

国会の議論のレベルの低さに呆れるのは私も同じだ。「ゼロコロナ」を標榜するのはとてもいいと思ったが、その具体策が検査の拡大と陽性者の徹底隔離では、期待度ゼロというほかない(私は「人にワクチン、環境にMISTECT」で、ゼロコロナは達成できると考えているが、その説明はまた別の機会に)。

それ以上に、レベルの低さを感じるのは、新型コロナを政権批判の道具に使っているからである。これが首相の責任か? 市民が自覚して行動を改めないかぎり、感染拡大はなかなかおさまらないのが現実だ。ワクチン導入によって、かえって感染者がひろがるという危惧をもつ医学者もいる。ワクチン接種には時差ができる。当分の間はワクチンを接種していない人のほうが多い状態が続く。この状態で、「わ~い、これで平気」と接種後すぐにマスクをとって、遊びにいく人が出てくることが問題なのだ。

緊急事態宣言の延長は、下のような予測があったからだという記事を読んだ。この予測は、「政府がなにもしない/市民は注意しない」という前提でのグラフである。市民もマスコミも、はっきりいって、「見くびるな」と怒っていい予測だ。

マスコミにも責任

テレビをはじめとするマスコミが、政権の責任を云々するのも違和感がある。津波がすぐそこまでやってきているのに、「防潮堤を整備しなかった国の責任」を呑気に論じているのが、いまのマスコミである。

その前に、正しい手指消毒の仕方を徹底して伝えろ、と思う。飲食店の消毒の仕方を特集するのもいいだろう。除菌効果がなくなり、ただの水になっている次亜塩素酸水を軽くスプレーして、双方向にテーブルを拭いているようでは、ウイルスを塗りたくっているだけである。「有機物の汚れをとってから、出来立ての次亜塩素酸水をびしゃびしゃになるように使い、時間を置いてから一方向に拭く」という知識を広めるだけでも、感染拡大に貢献することだろう。

空間除菌にどの程度の効果があるかを特集するのもいい。「自分たちのスタジオに設置した」と宣伝のお先棒をかつぐ前に、実証して見せてほしい。もしも広告主に遠慮しているというのであれば、「公共の電波」を任せることに疑問があると言わざるを得ない。

政権交代で感染拡大がおさまるなら、私は政権批判に賛成する。もちろん、そんなことは期待できない。尾身先生は<年内終息見込めず 「冬までは感染広がる」>(当該記事)と発言している。私はここで、「専門家の鼻をあかしたい」という気持ちを全員がもってもいいのではないかと思っている。

ワクチンという強力な武器を手にできたのだから、マスコミが正しい知識をひろめ、市民が自覚をもって行動すれば、この見通しを修正させることも可能なはずだ。責任転嫁の技術をいくら磨いても、感染者は減らない。ウイルスにつけいる隙を見せない技術を共通理解として広めることが重要だと思う。

もうパンデミックから1年が経過している。マスコミのみなさまにおかれては、ワクチンの不安を煽る前に、「この1年間、自分たちは何を市民に伝えることができたのか?」と自問自答していただきたい。いい加減な手指消毒でお店に入る人を目撃するたびに、そう思う。