蔓延する「卑怯な正論」

【今すぐSTOP】演奏会のマナー
というタイトルのYouTube動画が紹介されていた。ヴァイオリニストが「演奏会でこれだけはやらないで」としゃべっている動画だ。客席でエア指揮(曲にあわせて指揮者の真似事をすること)をされると気になる。寝てくれるな、いびきはイヤだ。アンコール曲も用意しているのにさっさと帰ってくれるな、という内容である。

正論である。これを客が言うなら200%同意する。隣で身体を動かされたり、後ろらイビキが聴こえてきたりするのはかなわない。だが、これを演奏家が言うのは違和感があるし、アンコールもあるのに帰るのは最悪のマナーという意見には同意もしかねる。

演奏会にはいろんな人が来ている。「いますぐホールを出ないと、終電・終バスに間に合わない」という人に向かって、「早く帰るのはやめて」と言えるのか。そもそもお金を払って、自分の時間を使って(=ほかのことを犠牲にして)、わざわざ演奏会に来ているのは客のほうである。好んで途中で帰るはずがないだろう。理由は二つしか考えられない。あなたの演奏にそれだけの価値を見いださなかったか、あるいは終電・終バスなど物理的な時間の制約があるか、だ。

途中で席を立たれると気が滅入るのは理解できるが、それを事情のある相手にぶつけてどうする。イヤなら解決策はひとつしかない。「あまりに演奏がすごかったので、帰宅するのは諦め、その日はホテルに泊まることにした」という態度変容をうながす演奏をすることだ。

後ろから刺している

人の行動選択は、基本的に黒字を優先する。プラス要素とマイナス要素を足して、黒になるほうを選択するものである。終電を逃してホテルに泊まり、出費も増やしてしまうマイナスと、いまここで、一期一会の演奏を継続して聴くことのプラスを足して、黒字なら残るし、赤字なら帰る。

しかしこの計算式には、「その後に起きたこと」は含まれていない。はっきり言って、この動画には立腹した。客の立場から言わせてもらおう。「後ろから刺すのは卑怯だ」である。エア指揮が気になるなら、なぜ休憩時間にそうアナウンスをしないのか。「演奏中に腕を動かすのはご遠慮ください。演奏のさまたげになります」と演奏直前に言うべきである。

注意しても無視する客をネタにするのはわかるが、その場では黙っておいて、後からYouTubeなどを使って叩くのは、卑怯そのもの、というのが私の感覚だ。「いいネタになるから、とっておいた」という話ではないか。これは「卑怯な正論」とでも言うべき内容である。

次から演奏家に対しては、「後ろから卑怯な正論で刺されること」も計算式に入れるほかなくなる。そうなると、「後になってネタにされるくらいなら、最初から行かない」のが、黒字にする唯一の方法だ。どんな赤字があるか、予見できないからである。

クチコミも同じ構造

ただし、「卑怯な正論」は、この演奏家にかぎらない。サービスを受ける側もさんざんやっているから、まあ、どっちもどっちという見方もできる。頻繁に目にするのは、飲食店のクチコミでの卑怯な正論だ。その場では黙っておいて、クチコミで叩く。相手がヘマをしてくれるほどうれしい。この構図がイヤだし、だからクチコミを信用できないのである。

とある天ぷら店で、すっかり冷めた天ぷらが出てきたことがある。「しめた」と思う人もいるだろう。「味はよくて★5にしたいところだが、冷めた天ぷらを出す最低なお店」と書けるからだ。私は、「揚げたてを食べたいからここに足を運びました。冷めたものでいいなら出前にしています。これ、どう思いますか」と質問した。もちろん、すぐにつくり直してくれた。これで話は終わりではないか。

「時間がたつと冷めるのは当然です。こんなに客が多いと、お運びするのに時間がかかり、冷めてしまうこともあります。イヤなら食べずにお帰りください。でも、お代はいただきます」という反論をしてくるなら、クチコミに書いてもいいと思う。相手の反応も取材しているからである。相手のミスをその場で黙っておいて、後から刺すのは卑怯だ、という感覚をもたないと、どんどんクチコミも、YouTubeもおかしくなっていく。

もっとも、観察していると、クチコミには「意図的な悪口」も多いから、そもそもが怪しい。飲食店のクチコミで「店員の態度が悪い」と書いているもの、製品のクチコミ(とくにアマゾン)で「すぐに壊れた」と書いているものは、信用しないことにしている。下手すると、その店で食べることもなく書いている。

Googleマップでは、「うちではやっていない治療について悪口を書かれた」と憤慨しているクリニックも多数。その一方で、「ネットの悪評対策サービス」をする企業からDMが来るという。マッチとポンプを疑うほかない。

このたとえ話で、感覚を共有してほしい

冒頭の演奏家の話に戻る。「後ろから刺している」という感覚を共有してもらうために、たとえ話を書く(フィクションである)。

私はアルコールに弱い体質だし、ほとんどクルマで移動しているということもあり、お酒は飲まない。とあるレストランに行って楽しくおいしく過ごし、翌日、ブログを見たら、いきなり

「昨夜はお酒を飲まない客がきた。私の料理はワインとのマリアージュを大前提につくっているから、料理の価値がわかるわけもない。こんな味オンチの客は、来てほしくない客のワーストワン」

と書かれていた、という感じである。いや、だったら、入口に「お酒を飲まない方の入店はお断りします」と掲げるべきだし、注文の段階で「大変恐縮ですが、ワインを前提にしているお店ですので、お飲みになれないなら、お帰りください」と言うべきだろう。金をとっておいて、それはない。

その場で注意すれば済む話なのに、そこでは黙っていて、後からネタにする。お金と時間を使って来てくださったお客様をバカにして、コケにして、一度も演奏会に足を運んだこともない人たちに向けてさらし者にしてアクセスを稼ぐというこのメンタリティ、私には理解不能だ。