政府の新型コロナウイルス対策のうち、最も批判されたのは、間違いなく「アベノマスク」だろう。布マスクを各世帯に2つ配る、というもので、反応は批判というより、失笑に近い。
少なくとも、「どんな支援策が発表されるのだろう」と期待していた人たちを、がっかりさせたことは間違いがない。続いて、それに466億円もの費用がかかることが判明した時点で、怒りに火がついた。
しかし私は、あえてこの施策を擁護しようと思う。マスコミ報道にも、問題があると思うからだ。
発言を確認してみよう
そもそも安倍首相は、どのような発表をしたのだろうか。いまはウェブで議事録が公開されるのが当然となっており、検索すればソースを確認できる。アベノマスクについての発言を確認すると、以下の通り。長くなるが、首相の発言をそのまま引用する(重要な部分に下線をひいたのは筆者)。
<マスクについては、政府として生産設備への投資を支援するなど取組を進めてきた結果、電機メーカーのシャープがマスク生産を開始するなど、先月は通常の需要を上回る月6億枚を超える供給を行ったところです。更なる増産を支援し、月7億枚を超える供給を確保する見込みです。
他方、新型コロナウイルス感染症に伴う急激な需要の増加によって、依然として店頭では品薄の状態が続いており、国民の皆様には大変御不便をお掛けしております。全国の医療機関に対しては、先月中に1,500万枚のサージカルマスクを配布いたしました。さらに、来週には追加で1,500万枚を配布する予定です。加えて、高齢者施設、障害者施設、全国の小学校・中学校向けには布マスクを確保し、順次必要な枚数を配布してまいります。
本日は私も着けておりますが、この布マスクは使い捨てではなく、洗剤を使って洗うことで再利用可能であることから、急激に拡大しているマスク需要に対応する上で極めて有効であると考えております。
そして来月にかけて、更に1億枚を確保するめどが立ったことから、来週決定する緊急経済対策に、この布マスクの買上げを盛り込むこととし、全国で5,000万余りの世帯全てを対象に、日本郵政の全住所配布のシステムを活用し、一住所あたり2枚ずつ配布することといたします。
補正予算成立前にあっても、予備費の活用などにより、再来週以降、感染者数が多い都道府県から、順次、配布を開始する予定です。
世帯においては必ずしも十分な量ではなく、また、洗濯などの御不便をお掛けしますが、店頭でのマスク品薄が続く現状を踏まえ、国民の皆様の不安解消に少しでも資するよう、速やかに取り組んでまいりたいと考えております。>
(令和2年4月1日「新型コロナウイルス感染症対策本部(第25回)」議事録)
すなわち、この発表は、
- マスクの増産に手を尽くし、月7億枚を確保した
- それにより、医療機関に1,500万枚のサージカルマスクを配布した。高齢者施設や学校にさらに1,500万枚を配布する
- 国民はまず布マスクを使ってもらいたい。1住所に2枚ずつ配布する
- 十分な量ではないことはわかっている
という内容である。この発言で重要なのは、むしろ1と2なのに、3のみがクローズアップされたということだ。
起きているのはマスク戦争
大きな認識のギャップを感じる。ヨーロッパとアメリカで新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめてから起きたのは、世界的なマスク獲得競争である。たとえば、このような事件まで起きている。
<ドイツの首都ベルリン市当局は4日までに、市警察が米企業に発注した20万枚のマスクがタイ・バンコクの空港で何者かに奪われたと発表した。市は米国が関与したと主張し「現代の海賊行為だ」と非難。ドイツ紙は、米国がマスクを持ち去り、バンコクから米国に運んだと報じた。米当局者は関与を否定している。>
(https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020040401002671.html)
すぐに想像できることだが、不織布マスクの原料である不織布も高騰している。つい最近まで15万円だったものが、900万円まで値上がりをしているという(4月18日のNHKニュースによる)。じつに60倍だ。原料も奪い合い、完成品も奪い合いである。そして、このニュースも見逃せない。
2月後半、学校の一斉休校などの対策をうちはじめたころ、菅官房長官がマスクの増産について触れた。しかし、いまだに不足している状況だ。おそらくその理由は、マスクの世界的な争奪戦で、この記事にあるように、中国政府が輸出規制したことにある。日本企業の中国工場で生産したマスクまでもが、規制されて中国からシッピングされない。これでは、マスク増産の効果を実感できなくて当然だ。
もともと1月の段階で国内に14億枚のマスクがあったのに、中国の春節がおわったら4億枚まで減っていたという。日本人がのほほんとしている間に、買い占められたのだ。同様のマスク買占めは、アメリカやオーストラリアなどでも報道されている。マスクをめぐって、静かな戦争が起きていたのである。
アベノマスクへの「がっかり具合」は、おそらくこの現実をどの程度認識しているかで変わる。いまや、マスクが国家間で奪い合いの戦略物資になっていることを理解していれば、もうすこし安倍総理にも、ドラッグストアの店員にも、やさしくなれるんじゃないか。
国内で生産する方向にシフト
突然、家電メーカーのシャープが、マスクの生産を開始したのは、2020年3月24日のことである。中国が輸出規制をかけているニュースを読んでいたので、ピンときた。国は、マスクを国内で生産するしかないと判断したのだろう。
これを確信したのは、4月7日の臨時閣議で決定した事業規模108.2兆円の緊急経済対策の中に、海外から国内に工場を移転した場合の補助金が入っていたからである。海外に工場があるかぎり、リスクはつきまとう。
もう一度、安倍首相の発言を見てほしい。真っ先に医療機関へのマスクの配布について述べている。政府も医療現場でのマスク不足・防護服不足は認識しており、そのために手をうっているということだ。そしてその根幹が、国内生産の支援である。
その目でアベノマスクを見れば、これも産業振興政策として解釈すべき施策であるように思う。こうした事態がおきるまで、マスクは80%が輸入だった。つまり、国内にはマスク生産する企業はもうほとんど残っていなかった(空洞化が進んでいた)ということである。約5000万世帯に2枚ずつ配布することで、企業に注文をかけ、マスク産業を再生しようとしたと理解できる。
転売屋・買占屋に打撃
ところで、アベノマスク施策が発表された瞬間、マスク市場に動きがあった。日本が医療用マスク(サージカルマスク)の国内生産・布マスクの配布などの政策をとったため、高額販売・転売を企図していた人たちが、値段を下げ始めたのである。卸価格80円が、すぐに40円になったという。
月間20億枚を使うとすると、40円の値下がりで、月間800億円の節約だ。布マスク配布にかかる「466億円」はただ出ていくお金なので、「税金のムダづかいをするな」と言いたくなるが、それを軽く超える経済効果を得られたということである。優秀な施策じゃないか。
もっとも、届き始めた布マスクは悪評だらけである。「そもそもマスクに製造者名が書かれていない、どこに問い合わせればいいのか、誰が責任をとるのか」というクレームや、「厚生労働省に製造者を問い合わせても、返答がない」と怒る国会議員のツイートを目にした。
まず、国が国の責任でマスクを調達し、配布しているのであるから、クレームは国に対して行うのが当然だろう。製造者名がないからといって、誰も責任をとらないということではない。
「国道」もそうではないか。どの区画をどの道路工事会社がやったのかは、道路のどこにも明記されていない。国が国の責任で整備をし、管理しているのであるから、陥没事故等が起きたときは、国が賠償責任を負う。布マスクも同じだろう。欠陥品であれば、交換は国に請求すればいい(これだけ評判が悪いのだから、国は交換申込窓口などを整備すべきだ)。
製造者名の公開には、別の心配もある。嫌がらせである。もしも製造者名を開示したら、すぐこういう状態になるに違いないのだ。
- マスク製造工場に電話がひっきりなしにかかり、とったら「バカヤロー、税金ドロボー」「もらった金、返上しろ」「お前らが466億円もとるせいで、オレたちには10万円しかこないんだ」などと怒鳴られる
- 経営者の自宅住所や顔写真がネットにさらされ、家族も含めて身の危険を感じるようになる
- 子供は学校で「税金ドロボーの子」といじめられ、登校拒否になる
- 名前が似ているだけの別会社までもが、同様の嫌がらせに悩むようになる
残念ながら、これが日本の現状だ。これでは、業者名を公開できるはずがない。私は、厚生労働省が製造者名を伏せることに賛成である。いま公開すると、生産の邪魔にしかならないどころか、下手をすると自殺者を出す。発注に不正があったりするのではないか、という追及は、コロナ騒ぎが落ち着いてからでもできるではないか。
すでに嫌がらせには実績があり、ただのデマで、防府市の中村被服という会社が被害を受けている。この残酷さがわからない人は、政治家になる資格はないと思う。国のためを思ってマスクをつくっているだけなのに罵倒される、東京・大阪に荷物を運んだだけなのに、子供が入学式に出られない、最前線で新型コロナウイルスと戦う医者の子供が、差別を受けるなど、理不尽な出来事が多すぎる。ともかく「人の心を折るな」と強く言いたい。
「布マスクでいいんだ」を共通理解に
それにしても、マスクをめぐって、これだけのカオス状態になってしまう根本原因は、マスクが新型コロナウイルスに有効だという誤解をしている人が多いからだろう。だから、ドラッグストアの前に行列までできてしまう。
すでに2月3日公開のコラム(マスク信仰を払拭する機会)で、マスクでは感染を防げない、と書いた。その後、さまざまな研究成果もみたが、以下の2点が明らかになっている。
- マスクをした人間は、80%の空気を「マスクと肌の隙間」から吸っている
- 新型コロナウイルスは小さく、マスクはすり抜ける
どうみても、マスクをしたからといって、感染を防げるものではない。むしろ、マスクは息を吸うたびにウイルスを集めるから、それを手で触ってしまう副作用のほうが怖い。
それでもマスクが必要なのは、1)医療従事者(もちろん高機能なサージカルマスクが前提)と2)咳エチケットのためだ。医療従事者にサージカルマスクが行き渡らないのは、最悪である。ただでさえ医療崩壊が心配なのに、医師や看護師らが感染すると、2週間は待機になる。
私たちは2の咳エチケットのために、マスクをするのだと割り切るべきである。そして、だとすると、布マスクで十分だし、なければ、バンダナをまいてもいい。飛沫を飛ばさない。他人に迷惑をかけないためのマスクだ。
アベノマスクへの批判の根底には、「布マスクで感染を防げるのか」という怒りもあると思う。いや、不織布マスクでも、感染を防げないという点では、別に変わらない。これが共通理解になっていれば、早朝からマスクを求めてドラッグストアに行列するようなこともなくなるはずである。
「迷惑をかけないためにマスクをする」
NHKでさえ、ミスリーディングな情報発信をしてしまう。たとえば、この情報だ。ニュースに出る手話通訳の人がマスクをしていないが、手話には唇の動きも重要で、隠せないのだ、という啓蒙のニュースであるが、イラストがこうなっている。
「予防せな あの人危ないで!」がミスリーディングだ。正しくは「マスクせな、周囲の人が危ないで!」「ああでも、2メートル以上離れているか。ほな、あんまり心配いらんな」である。
加害者になるかも、と考えることが必要
アベノマスクについては擁護してきたが、政府の対策の多くには不満だ。とくに緊急事態宣言の中途半端さには、涙が出る。
こういうのは、突然として宣言し、強く要請しないといけない。大きな目的は、クラスターとなる可能性のある施設を閉鎖すること、そして、人の移動を禁じることだろう。
すでにイタリアでは、「コロナ疎開」をした若者が、村の高齢者に新型コロナウイルスをひろめてしまった例が報道されていた。こうした拡散をとめる、すなわち、移動を禁じることが大きな目的のひとつなのに、「田舎に逃げなさい」と言わんばかりの発表の仕方をした。そして、「帰省しないでください」という要請もない。最初の緊急事態宣言のときに、人の移動、とくに帰省や観光をとめていれば、宣言を全国に拡大することもなかったのに、と残念でならない。
これほどの我慢をすべての人に強いているのだ。効果のあるように宣言をしてほしい。たとえばこのイラストは、政府も自治体も告知が不十分であることを示している。
やむにやまれぬ事情で、帰省する人もいるだろう。その場合は、自分が新型コロナウイルスの保菌者である、という前提で行動することだ。そしてもちろん、その場合は、マスクが必須である。もしも手元にないなら、バンダナやスカーフを巻こう。飛沫を飛ばさないためのものだから、それでも十分だ。
付記
病院に必要なN95マスクが足りていない。安全な再利用の仕方についての詳しい情報が出ている。
https://pediatric-allergy.com/2020/04/18/n95-respirators/
「それでも、こんなのいらない」という人は、こちらを
「アベノマスク」不要なら、ホームレス支援団体に寄付しよう。(ハフィントンポスト)
ところで、コンビニやドラッグストアの店員は、これからアベノマスクを装着して客に対応するようにしたらいい。「お前らが真っ先にマスクを買ってるんだろう。よこせ」といった理不尽な客のクレームをなくすことができる。たったこれだけでも、経済効果としては466億円くらいの価値はあるんじゃないか。
たったいま飛び込んできたニュースです(配信されただけだけど)。三重県で、感染者や家族の家に投石や落書きなどの嫌がらせがあったとのこと。これだよ。厚生労働省は、マスクの製造会社を1年は隠し通せ。大学も悩んでいる。学生が感染すると、大学に抗議の電話が殺到するからだ。
「暇な連中にはかなわない」というのが、率直な結論である。そんな暇があるなら、マスクの手作りでもしたらどうだい。
付記2(2020/04/22)
本日、朝日新聞などがアベノマスクの受注企業と金額を報道している。よく記事を読むと、社民党の福島瑞穂党首の問い合わせに厚生労働省が回答し、それを福島氏がツイッターに投稿。さらにそれを報道したという経緯だ。
おおいに疑問である。福島氏は厚生労働省から得られた回答を、なんの目的でSNSを使って公開したのか、ということである。これではたんに「疑わしい企業だ」と宣伝し、当該企業(興和・伊藤忠商事・マツオカコーポレーション)への嫌がらせを誘発するだけだ。
安倍首相と親しい、というだけで抗議の電話が殺到するいまの風潮をみれば、適正な手続きで適正に受注したところで、嫌がらせが殺到することは容易に想像できるはずである。なぜ、クロである証拠をつかんでからの公表、国政調査権を行使して、国会に証人喚問といった正当な手順をふまないのか。
議員の資格で得られた情報を、どのような資格でSNSに流しているのか、ということである。証拠はなくても、「なにか不正があるだろう」と騒いだ人間が勝ち、無辜の会社、無辜の人々がフェイクニュースに苦しめられ、嫌がらせを受け、生命の危険すら感じる。これがまっとうな社会か? 「疑わしきは罰せず」という言葉を、弁護士資格をもつ福島氏が知らないはずはないだろう。
注記
文中で「新型コロナウイルスは小さくマスクをすり抜ける」と書いているが、これは2020年4月の布マスク前提の記述である。不織布マスク以上の高性能マスクは、クーロン力などもあって、小さな新型コロナウイルスも捕集できることが実験で確認されている。