新型コロナウイルスとテレビの役割

新型コロナウイルスという、未知のウイルスへの脅威に対して、専門知識をもたない人たちをコメンテーターに並べ、意見を言わせる日本のテレビ番組は、もう、ただの害悪になり果てている。

緊急事態宣言が出た日などは、猛烈な台風が来襲したときのように、「家から出ないでください。命を守る行動をしてください」というメッセージングに徹底するべきだった。いまからでも、とくに高齢者に向けて、「マスクをしても新型コロナウイルスは防げません。マスクを買うために行列するのはやめてください。危険です」と連呼すべきだ。「赤ちゃん用品が足りません。ガーゼなど赤ちゃん用品を買うのはやめてください」も言うべきだろう。

非常事態なのである。3月に感染力が何倍にもアップした新・新型コロナウイルスが日本に上陸していたのに、花見でそれをブーストし、帰省や観光で全国にばらまいてしまったのが現状だ。ここで防ぎきらないと、もう病床が足りない。医療関係者は疲れ果てている。

この病気の忌まわしいところは、病院のリソースを食いつぶすことである。感染者に使った部屋は消毒するか、間をあけないと再利用できない。医師や看護師など医療関係者が罹患すると、2週間は待機になる。みるみる、施設も人手も食いつぶされていく。ほんとうに厄介だ。

結果、ほかの病気の人に対して、十分なケアができなくなる恐れがある。お通夜の席で、「いつもなら確実に手術で助かる病気なのに、手術室が新型コロナで汚染されていて、使えなかったなんて、本当に運が悪かったね」「どうせ執刀医もコロナ感染疑いとかで、自宅待機だったの。手術できる人もいなかったのよ」というのは、最悪の結末だ。遺族からすると、泣くに泣けない。誰を恨めばいいのかもわからない。残酷にすぎる。

このような悲劇を避けたくて、医療関係者は奔走している。テレビのコメンテーターの発言の多くは、その努力や気持ちを逆撫でしていると感じる。「おいおい、そう簡単に言ってくれるなよ」と思うことばかりだろう。代表例が人工呼吸器である。多くの人は、下の写真を想像しているのではないだろうか。これは人工呼吸器ではない。酸素マスクである。

写真の彼女は、自発呼吸をしている。呼吸の力が弱いから、酸素濃度を高めた空気を送り、効率的に酸素をとりいれるようにする装置だ。対して、「人工呼吸器」はその名の通り、呼吸を人工的にサポートする。ものすごく大がかりな装置になる。この図で想像してほしい。

こういうセッティングをして、呼吸を人工的に行うのが人工呼吸器である。もちろん、患者が自分でできるわけがない。何人もの医療関係者を必要とする。

人工呼吸器は増やせても、それを適切に扱える医療関係者をいきなりは増やせないから、厳密に言うと、人工呼吸器対応チームが足りない、ということなのだ。モノを増やせば解決するという話ではないのである(しかも、これだけの装置と部屋を、つぎの患者に使うときに消毒が必要になる)。

RT-PCR検査でも話は同じだ。綿棒を使って、検体をとるところが、まず大変なのだ。わかりやすいツイートがあったので、引用する。

こうして検体をとる。難しい。「自分でできるPCR検査キット」を楽天が発売するそうだが、自分できちんと検体をとれるどうか、はなはだ疑問である。キットについている注意書きがすごい。「止血能力の低い方」は使うな、とある。自分で自分を傷つけてしまい、出血することが前提だ。

話がそれた。RT-PCR検査は、検体の取得が難しい上に、感染をひろめないために、防護服を毎回、着替えなくてはならない。すぐ想像できることだが、防護服や手袋にウイルスが付着したまま次の人の検体をとると、逆に感染をひろめてしまう可能性が高い。また、せっかくの検体を汚染してしまい、全員が陽性になることもあり得る。

これだけでもそうとうな手間なのだが、さらに取得したあとも、RNAを専門家が2の40乗以上に増幅をしないと、検出ができない(詳しくはこちらを参照のこと。「PCR検査の中身を知っていますか? 韓国の推奨政策と「数だけ議論」のワナ」デイリー新潮)。いろんな意味で、ものすごくコストのかかる検査なのだ。

「だったら、ドライブスルー検査をやれ」とまたコメンテーターが言っている。病院ではなく、ドライブスルーにすれば、ハンバーガーショップのようにさっとコトが済むとでも思っているのだろうか。検査は検査だ。やることは変わらない。コメンテーターの軽い発言は、妊娠検査薬のような手軽さを想定しているとしか思えない。

たしかに、確実にシートに座っているから、そのままで検体をとれるという利点はある。また、それぞれが車内で待機するから、検査を待つ間に、ウイルスキャリアからうつされる、という心配もほとんどない。この点は合理的である。しかし、防護服をいちいち着替えるのは同じ。取得した検体を技術者が職人技で処理するのも同じだ。また、うっかり複数名がクルマに乗ってやってきたら、感染者を増やすことになる可能性が高い。オープンカーでもないかぎり、クルマは避けるべき三密だ。

もうひとつ、RT-PCR検査とCOVID-19には、大きな問題がある。システムとして、精度が70%くらいしかないということだ。陽性なのに、陰性と判定される可能性がある(これを「偽陰性」という)。これに無知が加わると、最悪の結果をもたらす。「私は陰性だ」と陽性の人間が出歩いてしまうことである。

最新の研究成果で、新型コロナウイルスは、発症の直前・直後に、最も強い感染力をもつことがわかっている(Nature Medicineの論文)。この巧妙さには舌を巻く。寝込む前の人間にウイルスをさんざん吐かせるのだ。「偽陰性の人間で、まだ元気な人」こそ、感染をひろげるスプレッダーになる存在なのである。こういう人たちが、「私は検査をして陰性でした。安心してください」と活動することほど、迷惑なことはない。

いま、緊急事態宣言で政府が国民に要請しているのは、陽性だろうが陰性だろうが、家から出ないでほしい(Stay home)ということである。この要請は、新型コロナウイルスの特性からして、正しい。人はもっぱら「うつらない」ことばかり気にするのだが、もはや、自分が「うつしてしまうかも」という前提で行動しなくてはならない段階だ。当然、簡易検査キットを発売するのは、無意味であるどころか、有害だという結論になる。陽性の人間も見つかるだろうが、偽陰性の人間を野放しにする副作用もあるからだ。

呆れ果ててしまうのが、いまだに、「病院に行って、陰性の証明書をもらってこい」という無知な経営者がいることだ。COVID-19は感染症である。しかも、感染力がきわめて強くなったL亜型の新型コロナウイルスが全国で猛威をふるっている。

この状態で、「かかっていないこと」を証明することは、絶対にできない。なぜなら、病院での検査の帰り道にも、感染してしまう可能性があるからである。社員に検査を受けさせて、陰性なら出社させよう、なんていう目論見なら、やめておいたほうがいい。自分がうつされる可能性が大きくなるだけだ。



さらに呆れたのが、もっと検査せよと主張する野党の国会議員が、自分で抗体検査キットを購入し、「陰性だった。安心した」とツイートしていたことである。RT-PCR検査と抗体検査の違いも、おそらくこの議員はご存じない。

抗体検査は、体内の「抗体」を調べるものである。新型コロナウイルスに罹患すると、体内に「IgM抗体」が生じる。そして、かなりの時間がたったところで、中和抗体である「IgG抗体」が生成される。これを検出するのが、抗体検査だ。

「安心した」とツイートしていいのは、陰性の場合ではなく、IgG抗体も陽性だった場合である。感染したが、それを克服し、免疫ができている可能性が高いことを示す。もしもIgM抗体だけが陽性であれば、罹患しているということである(だから、抗体検査で感染判定をする試みも盛んに行われている)。両方陰性なら、かかっていないことも示すが、安心できる状態ではない、ということでもある。

ここまで知識がないなら、新型コロナウイルスについての発言は控えてほしい。無知な質問で、貴重な国会質疑の時間が奪われていくのも、このウイルスの特徴かもしれない。いまは戦争中である。日本全土にパラパラと爆弾が落ちている状態である。審議の時間は1分1秒を惜しんでやってもらうほかない。

絨毯爆撃になってしまうと、10万人単位で死者が出るシミュレーションが現実のものになってしまう。見舞金(給付金のこと。撤回したが、公務員からは召しあげるという知事がいたので、私は「見舞金」と書くことにする)をはじめ、生活支援の相談もどんどんやってもらわないといけない。

もちろん、検査・検査というやり方が効果を発揮する場合もある。特定の地域限定で、多数の濃厚接触者が出たような場合だ。韓国の大邱(テグ)の感染爆発例が、まさにこれにあたる。人の動きをとめた上で、検査・検査で陽性者を見つけ、隔離するという手法が効く。

日本では、ある意味、幸いなことに、大邱のような局地的な感染爆発はいまだに起きていない。でも、屋形船の集団感染のような事例(これを「クラスター」と呼んでいる)が出ているので、この場合は、濃厚接触者の検査をしている。要するに、事例に応じた医療資源配分をしているだけ、といっていいだろう。逆に、韓国も、全国でのべつまくなしに検査をしているわけではない。

テレビ番組にイラついてしまうのは、自分たちがリスクコミュニケーションの最先端を担うという自負をもっているようには、感じられないからかもしれない。もう津波がすぐそこまで迫っているのに、「政府は防潮堤を整備すべきだ」などと批判している状態だ。いまはそんなことを議論している場合ではないだろう。新型コロナウイルスと休戦してから、ゆっくりやればいい。

「すぐ逃げてください」を連呼するのが、テレビの役割だと思う。日本は新・新型コロナウイルスに襲われ、医療崩壊の瀬戸際にいる。悠長に、政府の批判をしている場合か。伝えるべきは、「いますぐ外に出るのはやめてください」「帰省はしないでください」「マスクがなければ、ハンカチやスカーフを口元に巻くだけでも十分です」「複数名で部屋にいることはなるべく避け、どうしても必要な場合は、換気を頻繁に」といった警告だ。それを、テレビの特性をいかして、わかりやすく伝えるのが使命ではないだろうか。

この戦争状態の中で、「自分たちに、なにができるか」を考えるべきだろう。放送局自身がクラスターになっている事態だ。医療関係者を支えるにはなにができるか。感染者をひとりでも減らすにはなにができるか、という視点からの番組づくりを望みたい。いまの番組内容では、医療関係者の心を折るだけだ。大震災が起きているのである。サージカルマスクやゴーグルなどを救援物資としてつのることも必要だろう。

あるいは、緊急事態宣言で困っている人たちへの、アドバイスでもいい。テレワークのイロハの解説やノウハウの特集、ZOOMを使った講義で成功している大学の事例紹介、電子印鑑の導入方法の解説や飲食店応援企画の実施など、やれること、やるべきことは多数ある。

それができないなら、もう、朝からずっと「トムとジェリー」や吉本新喜劇でも流してもらいたい。気分転換ができるだけでも役には立つ。このままでは、外出を控えている人たちの多くが、テレビで鬱になるだろう。