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駐車監視員とJASRAC

私は駐車監視員制度の導入(2006年6月の道路交通法改正による)に反対だった。理由は、「それを仕事にすると、摘発が目的になるから」である。
大通りで、明らかに配達に行っている小型トラックの写真を撮る監視員を見かけると、うんざりした気分になる。ただのイジメとしか思えないからである。すべての配達を駐車場にとめて行うなどというのは、不可能なことだ。そして結局、配達コストがアップし、そのツケは消費者にまわってくる。

判断基準を明確にすべき

実例を挙げる。数年前のことだが、白線のパーキングエリアに停め、パーキングチケットを買いに行き、戻ってきたら、駐車監視員が駐車違反を切ろうとしていた。パーキングチケット購入の間の停車も「駐車違反」と言われるなら、もう、どう駐車すればいいのかわからない。エンジンフードに手をあてれば、チケットを買わずに長時間停めているのか、そうでないのかはわかるはず(と、抗議したら、切符を切らずに去っていった)。

そもそも、駐車しても問題のないところだからパーキングエリアに指定されているわけで、そこに停めたクルマを取り締まることは必要なのだろうか。私はこの点を問題にしたい。なぜ、駐車は取り締まられるべきなのか? その駐車が交通渋滞を巻き起こしているとか、自転車を危険な目に遭わせているとか、クルマ同士の衝突の危険性を高めているとか、一言でいえば迷惑行為になっていることが多いからだろう。

駐車監視員制度を導入するなら、その判断基準を明確にすべきだった。私に言わせれば、図のような迷惑な事例は、たとえ停車であっても、即座に、有無をも言わさず切符を切るくらいでいい(直進レーンがふさがれ、大渋滞になっていた)。しかし、こういう悪質な駐停車を取り締まっているところを目撃したことがない。

「目的」を忘れる愚

「駐車違反を摘発する仕事」をつくると、当然、成績をあげること(駐車違反摘発件数を多くすること)に熱心になる。その一方で、「なぜ駐車違反はいけないのか」という本来の(法の)目的が忘れ去られる。切符をきられた側が説明を受け、「ごめんなさい。私が悪かったです」と言うしかないような迷惑行為のみ、摘発すべきだろう。

これと共通する問題を、別の組織にも感じている。日本音楽著作権協会(JASRAC)のことだ。2017年2月、JASRACは音楽教室での講師の演奏をコンサートと同等とみなし、演奏権をもちだして、演奏の著作権料を徴収する方針を打ち出した。JASRACは「著作権料を徴収することが目的の組織」であるから、熱心に仕事をした結果の「目のつけどころ」である。

しかしながら、JASRACの本来の目的はなんだろう。著作権料をとることではなく、著作権者の権利を守り、著作物の普及につとめ、そして利益を増やすことではないだろうか。「徴収すること」に熱心になりすぎて、本来の目的を忘れているのではないかと危惧する。

教室は自衛手段をとるだろう

この件は裁判になっており、大手の音楽教室は「講師の演奏はコンサートとは違う」と争っている。私は裁判の帰趨がどうなろうと、JASRACのやり方は間違っていると考えている。著作権者にいい結果をもたらすとは思えないからである。
音楽教室が、受講料を高く設定しても行列するほどの人気を誇っているならまだしも、少子化で受講生が減る一方。そこでシニアを新しいターゲットにしているが、年金を頼りにしている世代の受講料に、JASRACに徴収される演奏料分を上乗せすると、客離れをおこしかねない状況である。
こういう構造の業界に「演奏料を徴収する」と言えば、「JASRAC管理楽曲は一切扱わない」という判断をするのが普通だろう。著作権の切れている作品や、JASRACに著作権管理を委ねていない作品だけを扱えば、演奏料は払わずに済む。

これが、著作権者の利益につながるだろうか。
教室は言うまでもなく、教育をする場である。権利者からみれば、「仕込み」の場だ。ここで扱ってくれてこそ、自分の作品が利用される機会も増える。子供向け教室からもシニア向け教室からも作品が排除されるとなると、作品が演奏される機会も、聴かれる機会も減るだろう。いや、知られる機会を喪失する可能性もある。

新規マーケットの開拓こそ重要

まさにこれは、「芽を摘む」行為である。マーケティングの常識からいえば、「生徒」をターゲットにするなど、まったくのナンセンスだ。アドビやマイクロソフトなどがアカデミックディスカウントを用意し、学生たちにソフトを安く使わせるのはなぜかを考えてみろ、と言いたい。

私も著作権者のひとりであるので、著作権は大事にしたいし、大事にしてもらいたいと願っている。しかし、もっと大切なことは「著作物が広く利用され、著作権者の利益が増えること」ではないか。日本における著作権関係の議論は、このことを忘れていることが多い。たとえ違法コピーにあふれたとしても、結果として著作権料の徴収が増えるほうが、著作権者のためになる。

現実は逆で、著作権を守ることばかりに熱心で、マーケットが縮小する一方だ。むしろ新規マーケットを開拓するために、一時的に著作権を無視する立法をしてもいいくらいだと私は考えている。

「組体操」問題に欠けている視点

組体操の「7段ピラミッド」の件である。
まだこんなのにこだわる人がいるというのが、信じられない。多段の組体操が崩れると、上肢切断や半身不随などの事故、ひどいときは死亡事故が待っている。切り傷や擦り傷ではない。子供の将来に大きな影響を及ぼす重大事故となったり、最悪の場合は生命を奪われている。
将来を賭けて、命をかけてまで、組体操をしなくてはならないものなのか。

事故の実績

都道府県別組体操事故統計(2018年度版)」 によると、2017年度の小中学校の組体操による負傷人数は4,418件。このうち骨折件数は1,088件。年に1,000人以上の子どもたちを骨折させている。
過去46年間に9名が死亡。障碍が残った子どもは92名。私はこの数字、きわめて多いと感じる。それでも強行しようとする学校の教師や保護者の思考回路を想像できない。あわせてこの資料を参照されたい。ぞっとする数字が並んでいる。
組体操による事故の概要

本当の原因は「いじめ」では?

意図的に無視しているのか、本当に気がついていないのかわからないが、私は組体操の重大事故の原因の多くは、いじめではないかと考えている。しかし、このことに言及しているものがないのが不満だ。

いじめっ子は、虎視眈々と「合法的にいじめることができる機会」をうかがっている。柔道なら受け身をとれないタイミングで投げて、激しく叩きつける。サッカーなら、骨折するような悪質なタックルをやる。相手が半身不随になろうが、骨折しようが、自分が罪に問われることはない。おいしいチャンスだ。

組体操で上にいじめられっ子が乗っていたら、バランスを崩すように動くだろう。そんなことで落ちる子がどんくさいのである。下にいじめられっ子がいたら、みんなで示し合わせてその子に体重をかけてつぶす。つぶれてしまう、体力のない子が悪いのだ(だからいじめられるのだ)。単純に崩れただけで、上肢切断のような重大なケガを負うだろうか。

いじめ問題のひとつとして、組体操の事故をみなおすことを提唱しておきたい。

参考記事
7段ピラミッド予定の小学校「集団作りの効果はある」 東大阪市で今年も2校…1校は中止

それは「IoT」なのか?

スマートフォンで解錠するスマートロックに不具合が生じ、「カギがあかない」というユーザーにとっては悪夢の事態が生じたことをCBS Interactiveが報じている。原因は、装置のアップデートの不具合だという。

「スマートロックが解錠不能に、顧客500人に影響–アップデートの不具合が原因」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170817-35105860-cnetj-sci
(海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したもの)

気になったのは、しかし、カギがあかなかったことではない。この記事に、このように書かれていたことだ。

この事故からは、いわゆるIoT(モノのインターネット)と自宅での居場所を争うようにして急増しているアプリで動くガジェットや機器の、安全性(と信頼性)に対する懸念が浮かび上がる

それは、ただの「RcI」

スマートロックはたしかにインターネットにつながっている。つながっているから、スマートフォンのアプリからロックしたり、解錠したりすることができるわけだが、私はこれを「IoT」と呼ぶことに抵抗がある。

“Connected Things”ではなく、”Internet of Things”という表現である。この言葉を最初に使ったのはP&G社にいたKevin Ashtonで、1999年に社内プレゼンテーションで使ったという。Ashton氏の回想をこめたコラムが、こちらで読める。

That ‘Internet of Things’ Thing
http://www.rfidjournal.com/articles/view?4986

But what I meant, and still mean, is this: Today computers—and, therefore, the Internet—are almost wholly dependent on human beings for information.

と彼が書いているように、現在のインターネットに蓄積されている情報は「人間の営為によるもの」ばかり。いわば”Internet of Human beings”である。対して、無線タグやセンサーなどの「モノから得られる情報を集めたインターネット」を構築すれば、その(正確で、大量の)データを生かすことができるはずだ。Ashton氏は、それを”Internet of Things”と表現したのである。

スマートロックが多数に普及しても、その情報が蓄積され、分析され、なにかの役に立つことは考えられない。これはIoTではなく、”RcI” (Remote control via the Internet)である。IoTと言ってしまったほうが、IoTブームにのれるという目論見もあるのかもしれないが、やはり、私たちが区別するべきだろう。

IoTという言葉は、Thingsではなく、モノの情報が集まったInternetと、その利用に焦点があたる用語である。スマートロックの情報がサーバに蓄積される設計なら、不在情報や不在パターン情報などが分析でき、IoTというにふさわしくなるわけだが、それを喜ぶのは窃盗団だけである。

ナノファイバー学会で講演

ナノファイバー学会から、「IoTビジネスの最近の動向」というタイトルで話題提供を、という依頼をいただき、話してきた。その内容を軽くおさらいしておく。

IoTの定義

IoTはInternet of Thingsの略。「モノのインターネット」と訳されている。この用語を初めて使ったのはP & Gの社員・Kevin Ashton 氏で、1999 年の社内プレゼンテーションで使ったという(本人の述懐はRFID Journal参照)。彼はRFID(Radio Frequency IDentifier)を使ったサプライチェーンの改革に取り組んでいた。MITにAuto-IDセンターをつくった人物である。

Google検索をしてみると即座にわかることだが、現状のインターネットは「人間の所産のネットワーク」である。ウェブが典型例だ。膨大な情報を検索できるが、ほとんどすべては人間が入力したものである。対して、Ashtonは「モノが発信する情報をネットワーク化して、役立てる」ことを企図し、それをIoTと呼んだ。したがって、IoTは「モノ」が情報をおしゃべりするのは当然として、それを受けて、判断するのも「モノ」である。すなわち、M2M(Machine to Machine)タイプの通信となる。

1999年にその着想がありながら、やっと最近になって普及をはじめたのは、以下の理由による。

  • IPv6により、IPアドレス空間枯渇の心配がなくなったこと(多数のThingsにIPアドレスを割り当てることができる)
  • M2Mの「受け側」として、クラウドとAIが登場したこと

とくに二番目のクラウドとAIの進展は大きい。Thingsの情報をクラウドに蓄積し、そこでAIが自動判断をする。これこそ、Ashtonが描いたIoTである。

IoT家電はU2M2M

一方で、「IoT家電」というのも続々と登場している。しかしこれらは、「インターネットにつながるThings」ではあるが、M2M通信ではない。IoTエアコンが代表例だが、スマートフォンからユーザーがコントロールをすることを意図して「つながっている」にすぎない。つまりこれは、User to Machine to Machine(U2M2M)であって、これをIoTとするのは拡大解釈になろう。インターネット越しにリモートコントロールができる、という話である。

センシングIoTが本命

Thingsがなんらかの情報をクラウドに送り、そこからAI(とは限らないが、なんらかのシステム)が自動判断をする。これこそ、Ashtonが「IoT」と表現したコンセプトである。そしていま、この正統な意味でのIoTビジネスが、以下の三つのジャンルで立ち上がろうとしている。

スマートグリッド

各家庭の電力メーターから電力消費の情報をクラウドに送り(スマートメーター)、電力供給も電力消費も賢くやろう、というのがスマートグリッドだ。この発想が出てくるのは、再生可能エネルギーやコジェネ発電の利用が進み、電力供給が一挙に複雑になったからである。

晴れている地域もあれば、雨降りのところもある。強風の街もあれば、無風の街もある。再生可能エネルギーは不安定だ。その発電の情報と電力消費の情報を総合的に判断し、東西南北でブロックごとに電力供給を切り換える。そのためのスマートメーター、そのためのスマートグリッドである。電力消費メーターをインターネットにつないだ上、自動判断をするから、IoTの代表例といっていいだろう。

スマートアグリ

植物の生育に関係のある気温・湿度・水分量などのセンサーをインターネットにつないで、自動判断をし、安定した野菜の生産をめざす試み。効き目があるのは野菜工場やハウス栽培など、生育に関係のあるパラメーターを極小化できるところである。オランダが先進国として注目されている。

しかし本当は、露地ものというか、野菜工場やハウス以外の農業もスマート化したいところである。土も違えば気候も水はけも微生物も違うし、センサーも過酷な条件で動作しなくてはいけないから、道は遠い。

バイタルIoT

バイタルセンサーが急速に発展している。格好の相棒として、スマートフォンが普及を始めたことが大きい。ランナー向けに心拍数をはかれる時計など「ウェアラブル」なセンサーが続々と登場している。いまホットな話題は、導電性繊維による人体の情報のセンシングだ。

IoTの今後に向けての課題

スマートグリッド、スマートアグリ、そしてバイタルIoTの分野がビジネスとしても活況を呈しはじめているが、課題がいくつかある。それが、バックヤードのデータ管理システムをどうするかだ。それぞれの分野で、「どの範囲をひとまとめにし、どの程度の頻度で、どれくらいの粒度の情報を集めるのか」についての知見が不足しているし、それをどうマネジメントするかについても、まだまだ研究が必要な段階だ。

そしてまた、気になるのがプライバシー保護とのかねあいである。スマートメーターの情報は、「その家が不在であることをリアルタイムで教えてくれる情報」でもあるし、バイタルIoTの情報は個人の究極のプライバシーでもある。後者は、研究の進展のためには、被験者に異常が起きる必要があるという矛盾さえ抱えている。予防医学に役立てることができれば最高だが、その道のりはまだ険しい。社会的コンセンサスをいかにとりながら進められるかが最大の課題だと言えるだろう。


ナノファイバー学会プログラム

ナノファイバー学会第8回年次大会
― ウエアラブルエレクトロニクスの最前線 ―

日時:2017年7月14日(金)場所:東京工業大学大岡山キャンパス

○ 講演(ロイヤルブルーホール)
10:30~10:40 開会挨拶
10:40~11:20 ウエアラブルエレクトロニクス/高松誠一(東京大学)
11:20~12:00 太陽光発電テキスタイル/増田敦士(福井県工業技術センター)
12:00~13:00 昼食
13:00~14:00 ポスター発表
14:00~14:40 発電カーテン・カーペット/源中修一(住江織物)
14:40~15:20 貼り付け型のモニタリングシステム/前中一介(兵庫県立大学)
15:20~15:30 休憩
15:30~16:10 ナノ集積化による多機能テキスタイルデバイスの創成/木村睦(信州大学
16:10~16:50 IoTビジネスの最近の動向/古瀬幸広(東京大学)
15:50~17:00 閉会挨拶

スーパーキャパシタへの道

キャパシタ(Capacitor)は、コンデンサのお化けである。「電気を貯める新しいデバイス」として、注目を集めている。従来のバッテリの困った点を、ほとんど解決しているからだ。

第一は、寿命が長いことである。スマートフォンのバッテリ劣化に困った経験は、いまや誰もがあるだろう。充電と放電を繰り返すたびに、バッテリは劣化する。鉛電池にしろ、ニッケル水素電池にせよ、リチウムイオン電池にせよ、化学変化でエネルギーを蓄積する方式であり、変化させるたびに変質していくからである。

対して、キャパシタは物理的に電気を貯める。バケツに水を放り込むようなものである。何度水をいれても、バケツは劣化しない。これはとてもうれしい性質だ。プリウスやテスラのようなHV車、EV車を見るたびに、「廃棄物をどうする?」という心配が頭をよぎる。今後毎年、数100万個単位で、消耗し、使えなくなったバッテリがゴミとして出てくるわけだ。

第二は、充電が早いことだ。スマートフォンの普及で、「電源をお借りします」といわれることが増えた。消費した電力を返す人に会ったことがないので、「お借りします」ではなく、「いただきます」というべきではないかという話はさておき、貸したところで、充電はなかなか進まない。化学変化で電気を蓄えるので、反応がゆっくりなのだ。

キャパシタは物理的に貯めるから、充電が一瞬で終わる。数10秒~数分で満充電になる。これはとても大きい。多少、持ちが悪くても、充電がすぐに終わるなら、使い勝手はいい。たとえば、冷凍冷蔵トラックがサービスエリアで休憩するたびに満充電にできるから、走行中の「冷やすエネルギー」をキャパシタでまかなうことも可能だ。

欠点の解消に希望

一方で、キャパシタには大きな欠点がある。それは、エネルギー密度が小さいことだ。現状のキャパシタは鉛電池の15分の1程度のエネルギー密度しかない。同じパワーを得るのに、15倍の重さのバッテリになってしまうということだ。これでは、使える場所は限定的である。

もっとキャパシタを「使えるもの」にするためには、エネルギー密度の向上が不可欠だ。それに成功しはじめているのが、東京大学の我々の研究グループである。ナノテクノロジーを利用し、電極材料を革新した。電極としての性能を高めつつ、その表面積を増やした。単位質量あたりの面積が大きくなればなるほど、多くの電気を貯めることができる。開発したのは、窒素を添加した3D-NDP-ACM(多孔質活性炭モノリスの三次元構造体)である。

詳細は以下の論文を参照してもらいたい。

Yanqing Wang, Bunshi Fugetsu, et al. 2017. Nitrogen-doped porous carbon monoliths from polyacrylonitrile (PAN) and carbon nanotubes as electrodes for supercapacitors. [online] 11 Jan. Available at: <http://www.nature.com/articles/srep40259>

ナノテクノロジー研究のプロデュース

2016年12月1日付で、東京大学政策ビジョン研究センターの非常勤講師を拝命。本郷キャンパスに週に一度、通う生活が始まった。

東京大学本郷キャンパス久しぶりのキャンパス、見た目はあまり変わっていないが、細部は大きく変わっている。そもそも、学生時代になじみの法文2号館(学生時代に学んだのは文学部)を通りすぎ、工学部に足を踏み入れること自体が、ほぼ初体験。

所属はナノテクノロジー研究ユニット。「カーボンナノチューブ」(CNT)  という言葉を聞いてからずいぶん時間が経過しているが、いよいよ、様々な応用が始まっている。これからの鍵はセルロースナノファイバー(CNF)との組み合わせだ。これを「バイオカーボン」と名付けた「アドバンストバイオカーボンコンソーシアム」という研究開発プロジェクトが、信州大学と東京大学の間で立ち上がっている。私は「代表プロデューサー」という役割でかかわっており、本年秋、農林水産省の「『知』の集積と活用の場による研究開発モデル事業」に採択された。研究リーダーは遠藤守信・信州大学特別特任教授と坂田一郎・東京大学教授である。

この研究開発プロジェクトの大きな目標は、植物由来のセルロースナノファイバーを大量に使うような新素材の開発とその産業化を果たすことだ。これは何を意味しているかというと、「山に捨てられている間伐材も、山を浸食している竹林も、可食部分ではない、という理由で廃棄されているトウモロコシの芯も、工業原料になる」ということ。日本の農林業をがらりと変える可能性、荒れ果てた山を復活させる可能性をもつプロジェクトなのである。

持続可能な産業革命が、これからまた始まるのだ。現時点で、日本はその最先端を走っている。

「実験工房」連載終了

最初の原稿を書いたときは、まだ20代だった。『日経トレンディ』の連載「古瀬幸広の実験工房」である。連載300回・25年をもって最終回を迎えた。現在発売されている2016年12月号が最後である。

連載の話をもってこられたのは、当時日経トレンディの副編集長だった能勢剛氏だ。イラストは藤井龍二氏にお願いすることにし、そろそろと始めたわけだが、5年たっても10年たっても終わる気配がない。写真は最初の数回を除いて、山本琢磨氏。ほぼ3人の固定チームで300回をこなしてきた。歴代の担当者と藤井さん、山本さんには本当に感謝している。一度も原稿を落としたことはなかった。

基本コンセプトは、「必ず使い込んで評価する」「必ず開発した当人に取材をする」だった。したがって、300回の連載中、300人以上の方に取材したことになる。対応していただいた各社の方々(含む広報担当者)にも謝意を表しておきたい。そしてなにより、連載が続いたのは読んで支えてくださった読者のおかげ。ご愛読、ありがとうございました。

『日経トレンディ』2016年12月号

昔話01「PCとの出会いと直感」

1979年、大学には運良く現役で合格できたので、1981年に駒場から本郷に移動(進学)した。文学部で希望の講義をとったが、ひとつ誤算があった。ペルシア語の最初の講義に顔を出したら、学生が私ひとりで、やめられなくなってしまったのある。

先生は東京外国語大学の黒柳恒男教授。仕方がないからつきあったが、おかげで、1週間にサンスクリット語(原実教授)、パーリ語(早島鏡正教授)、チベット語(山口瑞鳳教授)、ペルシア語を同時にやることになり、予習で徹夜の毎日が続くことになる。しかも小人数講義(ペルシア語は1対1)。これは本当にきつかった。

とくにインパクトがあったのがチベット語で、山口教授の手書きテキスト(ジアゾコピー)しかない。このときに出版の矛盾に気がついた。チベット語は学術出版にさえのらない。

「いったいどうすれば、この知識を共有できる時代が来るのか」と思いながら本屋に立ち寄ったら、『Z80機械語入門』という書籍が目にとまり、なぜか買ってしまった。じつは教養学部時代も計算機の講義は忌避したので、コンピュータのことは、この書籍に出会うまで、まったく知らなかった。「マシン語? なんだそれ」という感じで手にとったら、おもしろくて買ってしまったのである。

これが1981年4月の話だ。5月にはビジネスショウがあり、富士通がついにFM-8でPC市場に参入ということが大きなニュースになった。私のような文学部生でも、バイト代をためれば買える価格だ。思わず節約して、買ってしまう。Z80のマシン語で予習しているので、選択肢はMZ-80B(シャープ)しかなかったのである。正確には覚えていないのだが、おそらく購入は1981年の6月くらいだったと思う。

「教科書の共有」という直感

『Z80機械語入門』を読んで、欲しくて欲しくてたまらなかったPC。やっとMZ-80Bを購入し、楽しくマニュアルを読んだ。これが最初に触れたコンピュータである。私には二つほど直感があった。

  • みんながPCをもつようになれば、研究室のコンピュータと電話回線でつなぐことで、チベット語の教科書なども共有できるようになる
  • 知識を教え込めば、サンスクリット語の翻訳もできるようになる

MZ-80Bカタログ
とはいえ、まずはコンピュータのことを知る必要がある。買ってすぐに、プログラミングをやりだした。生まれて初めてのコンピュータ体験だったが、『Z80機械語入門』を読んでいた成果か、とくに悩むことなく、3日ほどで思い通りに動かせるようになった。

最初に書いたのは、サンスクリット語の活用を知るプログラム。次に書いたのがオセロのプログラム。オセロのプログラムはカンタンなロジックを組んだだけだったが、下宿に遊びに来る友人たちはこいつに連戦連敗。なかなか気持ちよかった。

PCを購入したのは、安田講堂の下にあった大学生協のパソコン売り場だった。当時はBBSもまだなく、雑誌も『アスキー』『I/O』『マイコン』くらいのもの。パソコン売り場は貴重な情報源で、そこで顔をあわせる学生とは自然と挨拶をするようになった。1981年秋には、工学部生の粕谷昌朗君と理学部生の吉村伸君らと仲良くなり、いろいろ教えてもらった。

粕谷君はPC-8801、吉村君はFM-8のユーザーだった。CP/M-80を教えてくれたのも彼らで、私はバイト代をためて5.25インチ・フロッピードライブを買い、CP/Mを走らせた。高かったな。たしか33万円だった。しかもメディアが1枚2,200円で、10枚単位で買うのに「勇気」がいった時代だ。

いまの学生たちはめぐまれている。

「個人情報」の定義

「個人情報」という用語は、曖昧な定義のまま利用されている。そして人によって、受け止め方が違う。「個人を特定できる情報」と定義される例もあるけれども、これも不完全きわまりない。

ふと思いついた。「その情報が利用されることで、本人に不利益が生じる可能性の高い情報」と定義してみてはどうだろう。住所がわかれば、ストーカー被害を受けるかもしれない。メールアドレスがわかれば、スパムメールがやってくる。過去の病歴がわかると、就職できないかもしれない。購買歴が筒抜けになっていると、まんまとマーケティングの餌食になったり、しつこい勧誘にあったりする。

なんにせよ、個人情報の漏洩が問題になるのは、それによって不愉快・不利益なことを経験する可能性が高いからである。再帰的(リカーシブ)な定義になるが、「本人に不利益が生じる可能性が高い情報」を個人情報とすれば、議論がすっきりするはずだ。「それは個人情報といえるのか」という無毛な議論を、「その情報が流通することによって、個人が不利益を被ることはないか」という議論に変えることができるからである。