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「実験工房」連載終了

最初の原稿を書いたときは、まだ20代だった。『日経トレンディ』の連載「古瀬幸広の実験工房」である。連載300回・25年をもって最終回を迎えた。現在発売されている2016年12月号が最後である。

連載の話をもってこられたのは、当時日経トレンディの副編集長だった能勢剛氏だ。イラストは藤井龍二氏にお願いすることにし、そろそろと始めたわけだが、5年たっても10年たっても終わる気配がない。写真は最初の数回を除いて、山本琢磨氏。ほぼ3人の固定チームで300回をこなしてきた。歴代の担当者と藤井さん、山本さんには本当に感謝している。一度も原稿を落としたことはなかった。

基本コンセプトは、「必ず使い込んで評価する」「必ず開発した当人に取材をする」だった。したがって、300回の連載中、300人以上の方に取材したことになる。対応していただいた各社の方々(含む広報担当者)にも謝意を表しておきたい。そしてなにより、連載が続いたのは読んで支えてくださった読者のおかげ。ご愛読、ありがとうございました。

『日経トレンディ』2016年12月号

昔話01「PCとの出会いと直感」

1979年、大学には運良く現役で合格できたので、1981年に駒場から本郷に移動(進学)した。文学部で希望の講義をとったが、ひとつ誤算があった。ペルシア語の最初の講義に顔を出したら、学生が私ひとりで、やめられなくなってしまったのある。

先生は東京外国語大学の黒柳恒男教授。仕方がないからつきあったが、おかげで、1週間にサンスクリット語(原実教授)、パーリ語(早島鏡正教授)、チベット語(山口瑞鳳教授)、ペルシア語を同時にやることになり、予習で徹夜の毎日が続くことになる。しかも小人数講義(ペルシア語は1対1)。これは本当にきつかった。

とくにインパクトがあったのがチベット語で、山口教授の手書きテキスト(ジアゾコピー)しかない。このときに出版の矛盾に気がついた。チベット語は学術出版にさえのらない。

「いったいどうすれば、この知識を共有できる時代が来るのか」と思いながら本屋に立ち寄ったら、『Z80機械語入門』という書籍が目にとまり、なぜか買ってしまった。じつは教養学部時代も計算機の講義は忌避したので、コンピュータのことは、この書籍に出会うまで、まったく知らなかった。「マシン語? なんだそれ」という感じで手にとったら、おもしろくて買ってしまったのである。

これが1981年4月の話だ。5月にはビジネスショウがあり、富士通がついにFM-8でPC市場に参入ということが大きなニュースになった。私のような文学部生でも、バイト代をためれば買える価格だ。思わず節約して、買ってしまう。Z80のマシン語で予習しているので、選択肢はMZ-80B(シャープ)しかなかったのである。正確には覚えていないのだが、おそらく購入は1981年の6月くらいだったと思う。

「教科書の共有」という直感

『Z80機械語入門』を読んで、欲しくて欲しくてたまらなかったPC。やっとMZ-80Bを購入し、楽しくマニュアルを読んだ。これが最初に触れたコンピュータである。私には二つほど直感があった。

  • みんながPCをもつようになれば、研究室のコンピュータと電話回線でつなぐことで、チベット語の教科書なども共有できるようになる
  • 知識を教え込めば、サンスクリット語の翻訳もできるようになる

MZ-80Bカタログ
とはいえ、まずはコンピュータのことを知る必要がある。買ってすぐに、プログラミングをやりだした。生まれて初めてのコンピュータ体験だったが、『Z80機械語入門』を読んでいた成果か、とくに悩むことなく、3日ほどで思い通りに動かせるようになった。

最初に書いたのは、サンスクリット語の活用を知るプログラム。次に書いたのがオセロのプログラム。オセロのプログラムはカンタンなロジックを組んだだけだったが、下宿に遊びに来る友人たちはこいつに連戦連敗。なかなか気持ちよかった。

PCを購入したのは、安田講堂の下にあった大学生協のパソコン売り場だった。当時はBBSもまだなく、雑誌も『アスキー』『I/O』『マイコン』くらいのもの。パソコン売り場は貴重な情報源で、そこで顔をあわせる学生とは自然と挨拶をするようになった。1981年秋には、工学部生の粕谷昌朗君と理学部生の吉村伸君らと仲良くなり、いろいろ教えてもらった。

粕谷君はPC-8801、吉村君はFM-8のユーザーだった。CP/M-80を教えてくれたのも彼らで、私はバイト代をためて5.25インチ・フロッピードライブを買い、CP/Mを走らせた。高かったな。たしか33万円だった。しかもメディアが1枚2,200円で、10枚単位で買うのに「勇気」がいった時代だ。

いまの学生たちはめぐまれている。

「個人情報」の定義

「個人情報」という用語は、曖昧な定義のまま利用されている。そして人によって、受け止め方が違う。「個人を特定できる情報」と定義される例もあるけれども、これも不完全きわまりない。

ふと思いついた。「その情報が利用されることで、本人に不利益が生じる可能性の高い情報」と定義してみてはどうだろう。住所がわかれば、ストーカー被害を受けるかもしれない。メールアドレスがわかれば、スパムメールがやってくる。過去の病歴がわかると、就職できないかもしれない。購買歴が筒抜けになっていると、まんまとマーケティングの餌食になったり、しつこい勧誘にあったりする。

なんにせよ、個人情報の漏洩が問題になるのは、それによって不愉快・不利益なことを経験する可能性が高いからである。再帰的(リカーシブ)な定義になるが、「本人に不利益が生じる可能性が高い情報」を個人情報とすれば、議論がすっきりするはずだ。「それは個人情報といえるのか」という無毛な議論を、「その情報が流通することによって、個人が不利益を被ることはないか」という議論に変えることができるからである。

大西洋を渡った酵母の話

東京大学の大矢禎一教授(酵母研究が専門/大学院新領域創成科学研究科教授/Homepage)と談笑していたときのことである。ワインとビールを指さして、「どちらがパン酵母に近いと思いますか」と尋ねられた。
とっさに「ビール」と返答し、失敗。ビールもパンも麦を相手にしての発酵ということからの連想だったのだが、正解はワイン酵母だった。「むしろビール酵母が特殊なのです」(大矢)という。

自然界に存在する酵母

酵母はごくふつうに、生活の中に棲息している真菌類である。ワイン酵母の棲み家はブドウ果実の表面だ。絞ったブドウ果汁に当然のように含まれ、酸素のない環境に置かれると酵母がブドウ果汁の糖質を分解して、エタノールと二酸化炭素を生成する(アルコール発酵)。ワイン酵母の学名もSaccharomyces cerevisiaeで、これはパン酵母と同じである。
対して、ビール酵母の学名はSaccharomyces pastorianusである。同じサッカロマイセス属ではあるが、パン酵母とは違う。返答を間違えてしまったので調べなおしたら、ビール酵母のDNAはSaccharomyces eubayanuscerevisiaeのハイブリッド構造になっているそうだ。2種類の酵母が合体して、ビール酵母になっているのである。「特殊」の意味はこれだったか。

eubayanusは南米産

さらに調べていくと、ビール酵母が交配種であり、片方がcerevisiaeであることは判明していたものの、交配の相手がなかなか見つからなかったようだ。ヨーロッパの酵母1000種を丹念に調べても、相手がわからなかったという。
2011年、ついに南米パタゴニア(Patagonia)地方の森深くで、捜し物が見つかった。ビール酵母のもう片方だ。ポルトガル、アルゼンチン、米国の共同チームはこの新種にSaccharomyces eubayanusという名前をつけた。
南米の酵母がヨーロッパに渡り、cerevisiaeと合体し、ビール酵母(Saccharomyces pastorianus)となった。となると、おそらく大航海時代の産物だろう。コロンブスがバハマ諸島にたどりついたのが1492年10月12日のことである。以後、スペインとポルトガルが中南米で略奪のかぎりをつくし、ジャガイモやトマト、トウガラシなど主にナス科の野菜を持ち帰った。そのどこかで、eubayanusがヨーロッパに渡り、ビール酵母を変質させたのだと思う。
ビールこれで思い出したのが、バイエルン公ヴィルヘルム4世が出したビール純粋令だ。ビールは大麦とホップと水の3つの原料以外を使ってはならない、というやつである(その後、原料に酵母が加えられた)。バイエルンのビールの品質を向上させるための法で、公布は1516年だ。その時期からみて、背景にビール酵母の変質があったのかもしれないと思う。南米から海を渡ってきたeubayanusがビール酵母を変質させておいしくしたから、ビール純粋令が出されたのではないか、という推理ができる。おもしろい。プラスの方向に行ったからよかったものの、この交配がマイナスの結果となっていたら、きっと歴史が変わってしまっていたことだろう。

蜘蛛は出自がわからない

この話で思い出したのが、蜘蛛の「出身地」がわからない、という話だった。なんと蜘蛛は、糸を出して上空にあがり、ジェット気流に乗って地球を何周もしてから、地上におりてくるのだという。どこから飛び上がった蜘蛛なのか、さっぱりわからないのだそうだ。以上、余談。
(2014年9月8日)

参考資料

パンの話――明治の人たちの奮闘

日本にパンがやってきたのは戦国時代だそうだ。種子島(鉄砲)と一緒である。そういえば、「パン」はポルトガル語のpãoだった。しかし、その後、日本の食事としては定着しなかった。再び日本のパンの歴史が動くのは、江戸時代末である。幕臣・江川英龍(1801‐1855)が、初めて堅パンを焼き、パン祖と言われるようになった。この堅パンは、西洋兵学とともにもたらされた保存食であり、ビスケットのようなものである。

食パンはヨコハマから

私たちが「パン」という言葉から想像するものに近いものを最初に焼いたのは内海兵吉で、1860年のことだった。フランス軍艦乗り組みのコックから手ほどきを受けたという。内海は富田屋を開業した。
続いて、ヨコハマで外国人がパンを焼き始める。1861年(文久元年)には、アメリカ人のW.グッドマンと、ポルトガル人のF.ホセが相次いで横浜にベーカリーを開業。1864年(元治元年)、グッドマンは一時帰国することになり、イギリス人のロバート・クラークに店を預けた。そのクラークが独立し、1865年に開業したのが、ヨコハマベーカリーだ。
ヨコハマベーカリーの名物がイギリスパンだった。いわゆる食パンである。型にいれて、ふんわりと焼き上げる(上に蓋をしないので、山型になる。アメリカ人は蓋をして、四角形にした)。明治政府は文明開化にあたりイギリス人を重用していたため、ヨコハマベーカリーのパンは重宝がられたに違いない。この店で修業したのが打木彦太郎で、1888年(明治21年)に暖簾を継ぎ、ヨコハマベーカリー宇千喜商店を開業した。現在もウチキパンとして暖簾が続いている。

ビールとの意外な関係

生地をこねて酵母に発酵させるふんわりとしたパン作りに欠かせないのが酵母である。小麦粉を練った生地の糖質を酵母が分解して二酸化炭素を発生し、ふんわりとしたパンにする。ヨコハマベーカリーのクラークがイギリスから持ち込んだのが、天然酵母のホップ種だった。
酵母や乳酸菌がいい感じに育っている糠床が漬物作りに欠かせないように、ホップ種もパン作りには欠かせない。クラークは内心、「このホップ種がダメになったらどうしよう」と不安だったことだろう。当時の日本に、ホップは育っていない。ホップは暑さが苦手な植物で、横浜に植えたところで育たないのだ(東北以北が栽培適地)。
しかし、その不安を払拭してくれる出来事が1869年に起きる。ノルウェー人のウィリアム・コープランドが、横浜・天沼に日本初のビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」(Spring Valley Brewery)を作ったのだ。
ビールこそ、ホップが不可欠。天然酵母はホップ以外にも候補はあるが、ホップのないビールはビールとして認められない。これはバイエルン公ヴィルヘルム4世が決めたことだ(ビール純粋令/1516年)。ヨコハマベーカリーは、スプリング・バレー・ブルワリーからホップをわけてもらうのである。
KIRIN BEER LABELところで、コープランドのブルワリーはその後経営難となり、トーマス.B.グラバーを頼った。グラバーは三菱財閥の岩崎弥之助らに資金援助を依頼して再建を果たす。現在のキリンビールである(だからキリンは三菱グループなのだ)。2014年、キリンは「ビールにワクワクする未来を」というテーマを掲げたプロジェクトを発表したが、その名前が「SPRING VALLEY BREWERYプロジェクト」だったので彼・彼女らの本気を感じた。キリンにとっては起業の心に帰る名前なのである。

日本のパン革命は大阪から

横浜から8年遅れて開港した神戸でも、横浜と同じ現象が起きていた。在留外国人がパン屋を開業したのである。そしてその傾向は、関東大震災(1923年9月1日)のあと、関西に避難してきた在留外国人によって加速される。大正時代、神戸は横浜を超えるパンの街となっていた。
ここで頭角を現していたのが、1904年(明治37年)に「マルキ号製パン」を大阪の地で開業していた水谷政次郎である。水谷は大阪の大火のおり、消防士にパンを配って名前を売り、1918年の米騒動の際にも評判をとった。便乗値上げをするパン屋が多い中、マルキ号製パンは値上げをしなかったからである。
会社を急成長させた水谷は、1924年(大正13年)、アメリカとヨーロッパに視察の旅に出る。とくにアメリカで、水谷はショックを受けた。食パン製造が機械化されていたからだ。その秘密は、イースト(Yeast)にあった。
イーストは、パン生地の発酵に向いた酵母(Saccharomyces cerevisiae)を人工培養したものだ。きっかけは第一次世界大戦(1914‐1918)で、偶然の産物だった。ドイツの酵母製造業者が戦時下の物資不足に困り、代替品を使って酵母を培養したら、良質の酵母が大量にできたのである。
アメリカでは早速、イーストを使ってパン製造を機械化していた。性能が安定しない天然酵母だと、職人が発酵の様子を見ていないといけないが、イーストなら発酵が安定しているし、短時間で発酵できるので、機械任せにできるのである。味も安定した。
帰国した水谷は、娘婿の水谷清重(その後、精成と改名)をアメリカのAmerican Institute of Baking(AIB)に留学させる。3年後の1927年(昭和2年)、帰国した清重が日本で初めてイーストの科学的培養に成功し、マルキイースト菌研究所を設立。マルキ号製パンとマルキイースト菌研究所は、ここから日本のパン業界に革命を起こしていくことになる。

技術を公開し、業界団体を設立

イーストを手にいれた水谷政次郎は、工場を機械化していく。一時は「東洋一」とうたわれた機械化製パン工場を大阪に設立。関西でこうした「工場」が登場した背景には、宇治川水系など山間部で水力発電をし、都市部に送電する宇治川電気の存在もあった。
水谷政次郎・清重親子の功績の第一は、惜しげもなく技術を公開したことである。マルキ号以前のパン屋は秘密主義だった。それぞれのパン屋が独自の天然酵母種の秘密を守り、製法も秘伝にしていたのである。酵母種を守る職人は「タネモチ」と言われ、外出するときも酵母種をもって出たそうだ。
そこにイーストと機械化を持ち込んだ水谷親子は、工場も見学自由にし、ノウハウをオープンにした。自然と水谷のもとに人が集まり、イーストを使った科学的製パン法を研究する「全関西パン研究会」が発足。これを母体として、1930年(昭和5年)には「大日本製パン工業会」が誕生し、水谷政次郎が初代会長となった。これが、業界が団体を作り、情報を共有した最初だと言われている。この会には全国から約200社が参加した。

戦争に翻弄されたマルキ

水谷政次郎がイーストの次に目をつけたのが小麦で、パン用小麦の国産化をめざし、北海道でアメリカ型の大規模農園の経営にも取り組んだ。その広大な農園の跡地に、いまの千歳空港がある。
しかし、順調に成長してきたマルキ号製パンと大阪のパン業界を戦争が襲う。1942年(昭和17年)、食糧管理法が成立。大阪食糧営団はマルキ号をはじめとするパン工場に狙いを定め、接収したのである。水谷政次郎(マルキ号)や浅香忠雄(木村屋製パン)らは、特別高等警察(特高)もからむ政治的圧力に負けて、次々と工場を手放すほかなかった。その上、戦争末期には空襲で工場そのものも失う。
敗戦後、水谷清重はマルキ号製パンの再建に取り組むが果たせなかった。『マルキ号製パンの光と影――水谷政次郎氏伝』(水知悠之介著、新風書房、2008)では、「マルキ号製パンのプリンスながら先が読めず」とマルキ号没落の責任を清重ひとりに負わせているが、これは厳しすぎる評価だと思う。戦中・戦後の荒波の中、判断を誤ったことは事実に違いないが、戦争とその影響に翻弄されている部分が大きいわけだし、「先が読めなかった」と言えるのは後世の私たちだからこそである。この評価は結果論に過ぎる。
彼は彼なりの「マルキ号」に対する思いを貫こうとしたのだと思う。戦後の物資不足の中でも、ブランドを守ることを優先し、そして守りきれなかった。会社はなくなったが、水谷政次郎・清重親子の功績までもが消えるわけではない。菓子パン分野は「あんぱん」を開発した銀座木村屋の功績が大きいが、食パン分野では、なんといってもマルキ号製パンの貢献が大きいのだ。また、清重は製パン業の復活には失敗したが、戦後も酵母の研究を続け、生きたままの酵母を腸に届けるコーティング技術などを開発し、1964年(昭和37年)に全国日本学士会のアカデミア賞を受賞している。AIBに留学して以来、酵母と共に生きた人生だったと言っていいだろう。

イーストについての誤解

ところで、「天然酵母パンはおいしい」という話がある。「天然酵母」でネット検索すると、「イーストは人工的に合成された添加物で、健康によくない」というデマまで書かれていて、驚いてしまう。あまりにもこうした偏見が多いことから、最近は「パン酵母」という言い方をすることも増えてきた。
イーストも天然酵母である。短時間でパン生地を発酵させる能力をもつエリート酵母だから、人工的に、そして大量に培養されているだけだ。じつは天然酵母も、市販されているものは人工的に培養されているから、イーストと天然酵母の本質的な相違は、「イースト以外の雑菌が含まれているか否か」だけである。
いま意図的に「雑菌」と書いた。こう書かれると、ちょっとイヤな感じがするのが人間心理だ。実際には、その雑菌は乳酸菌だったりして、パンの風味や味わいを豊かにすることもあるわけだ。そして自宅でうかつに天然酵母種を起こすと、雑菌がほんとうに大腸菌だったりすることもある。
そもそも「発酵」も「腐敗」も、食べ物の成分に菌が作用するという点では同じである。人間にとって都合のいい結果が得られれば発酵といい、不都合な結果になれば腐敗という。都合のいい結果を生む雑菌を含んだ酵母種が、いわゆる天然酵母種であり、要するに天然酵母は「イースト」+「その他の菌」である(天然酵母種でも、ふくらませる部分はやはりイーストの働きだ)。

パン製造についての誤解

そういえば、「ヤマザキパンはなぜカビないか」という話もあった。(発ガン性が指摘されている添加物の)臭素酸カリウムが原因でカビないというのである。事実は異なる。工場の衛生状態が極めて良好だから、カビにくいだけだ。缶詰やペットボトルが(開封しない限り)、カビや悪玉菌の餌食になりにくいのと話は同じである。
この手の話は、いつも「量」の概念が抜けている。一部のヤマザキパンはたしかに臭素酸カリウムを添加しているようだが、残留する臭素酸カリウムは水道水の1/20だと言われている。ヤマザキパンが臭素酸カリウムのせいで食べられないのであれば、水はもっと飲めない。
「ただちに健康に被害の出るレベルではない」と言われるとごまかされた感じがして、頭から否定したくなるのも人情だが、やはり量の概念は大切である。たとえばワラビが発ガン性物質を含むのが事実であるとしても、年に1度か2度、小鉢に入ったワラビを食べたくらいでガンになるようなら、もはや人体としての機能は失われていると思ったほうがよい。
似た話で、スーパーマーケット紀ノ国屋のイギリスパンに対するクレームがある。原材料表記のどこにも保存料が書かれていない(実際に使っていない)が、たまに「こんなにカビにくいんだから、絶対に使っているはず。ウソをつくな」というクレームが入るという。事実は、「ホップ種だから、カビにくい」である。ホップの殺菌力が効いているのだ。これはまさに天然由来である(もちろん、「天然だからいい」という単純な話ではない)。
さらにそういえば、いま流行のキュレーションメディアなら、ソーシャルメディアでのシェアを狙って、「パンと酵母に人生を賭けた明治の人たちの奮戦に涙が止まらない」といったタイトルをつけるのだろうが、もちろん私はやらない。品性は大切である。
(2014年9月7日)

参考資料

『仕事がはかどるPC入門』

仕事がはかどるPC入門表紙

 

[2014/11/14追記] 店頭販売は10月末に終了しました。オンラインでのご注文のみとなります。→オンラインストア

 
サプライズGuideシリーズの創刊第1号として、『仕事がはかどるPC入門』を刊行しました。全国のファミリーマートで発売中です(本体価格450円+税。書店では入手できません)。
PCがオフィスに普及を始めたのは1985年前後ですが、その10年後にインターネット接続が始まってから、がらりと様相が変わりました。いまでは会議出席者の全員がノートPCを持ち込んでいることも、けっして珍しい光景ではありません。さらに2013年頃から「クラウド」が普及を始めており、仕事の仕方が変わり始めています。
しかしながら、PCを使いこなすのは、やっぱり難しいまま。Microsoft WORDのような基本的なアプリケーションでさえ、重要な機能であるスタイルシートを教える人が少なく、とても効率の悪い使い方をしている人が多い。そのうえ、うかうかしていると、情報漏洩事件の当事者になってしまったり、裁判の被告人になったりしてしまうのです。
本書は、最新のクラウド環境を前提にしながら、PCを仕事に使う人が、もっと便利に、そして安全にPCを使えるようにしたいと願って書き下ろした入門書です。128ページにまとめ、巻末には索引をかねた用語解説をつけています。「すらすら読めて、わかりやすい」を目標に書きました。

に書いた情報セキュリティのエッセンスも含めています。