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iPhone/iTunesの曲順変更

趣味の話である。音楽のことだ。いまでも残念に思っているのは、ソニーのウォークマンである。まさかウォークマンの牙城が、もろくも崩れさるとは、思っていなかった。言うまでもない。アップルのiPodにしてやられてしまったのである。

敗因はいろいろ考えられる。第一に、日本企業は著作権との向き合い方が下手だということが挙げられる。それを気にするあまり、リッピングやダウンロードの世界の構築に及び腰になってしまった。

第二に、「単体」での性能にこだわりすぎた。おそらくソニーの技術陣は、iPodの音を聴いて、「こんな音質では、ウォークマンの敵ではない」と判断したのではないか。しかしiPodは、リッピングもダウンロード購入もできるiTunesでシェアをのばした。もはや単体の性能は問題ではない。そこを見誤ったのではないかと思う。

iTunesは使いにくい

しかし私は、いまからでも逆転は可能と見る。iTunesとiPod/iPhoneを使っているが、iTunesがけっこう使いにくいからだ。まだまだ、アプリケーションとしての機能は未熟である。もっと洗練された、もっとユーザーに便利な機能を充実させたアプリケーションを開発すれば、リプレイスすることは可能なはずだ。

というわけで、やっと本題である。iTunesを使って困ったのが、プレイリストにおいて、アルバムの通りに曲が並ばないことだった。しかし、なんというのか、プレイリストの最後に
「プレイリストがミュージックである」
の一条件を加えると、曲順が正しく並ぶ。まったく謎だ。不思議だ。ちゃんと並ぶから文句はないが、こんな余計なことをしなくても、曲順はアルバムの通りに並ぶべきだし、任意に順番を変えることにも対応すべきだろう。
諦めるのはまだ早い。話題になるような使いやすく、性能がよく、ユーザーフレンドリーなアプリケーションとともに、ウォークマンが復権することは可能だと思うし、ぜひそれを期待したい。

iTunes設定
プレイリストの最後の条件が鍵

高校野球から電力を考える

夏の甲子園の予選が始まっている。果たして、160km/hピッチャーの佐々木朗希君(大船渡高校)を甲子園で見ることができるのだろうか。きっと今年は、予選から注目を集めるだろう。

出世ルートを作った点は評価

一方で、高校野球には「納得できない」ことも多々ある。美談をつくりすぎるマスコミもどうかと思うし、いまだにほぼ全員が丸刈りというのも異様だ。不祥事で出場辞退というのも、連帯責任が過ぎる。暴言・暴力も珍しくないし、「日本陸軍の伝統が最後まで残っているのが高校野球だ」と表現したくなる。

それでも、甲子園はとてもいい。球児に出世ルートを提供しているからだ。クラシック界のコンクールと同じである。出場し、ファイナリストに残るなどの活躍を見せれば、世に出るチャンスとなる。こういう出世ルートは、たくさんあったほうがいい。若い当事者にとっては希望である(もちろん、コンクール歴はなくても、甲子園出場歴がなくても、活躍している人も多数いることも覚えておきたい)。

心配なのは熱中症

しかし、とても心配なこともある。熱中症だ。もはや、「私の若い頃は水も飲まずに頑張ったもんだ」という昔話は通用しない。それくらい、暑さが過酷になっている。頑張りすぎて、命を落とす球児が出ることを覚悟しなくてはならない情況だと思う。そこまでではなくても、頭がボーッとしたところに打球が飛んできたりすれば、エラーで試合を壊すかもしれない。

かといって、球児たちの夏休み以外に開催の選択肢はなく、頭を抱えているのではないかと想像する。いや、私には二つの提案がある。

ひとつの方法は、サッカーのような予選リーグと決勝トーナメントに分けて開催し、甲子園は決勝トーナメント(ベスト8)以上に限定して開催することだ。夏休み期間中に、地域ブロックごとの予選リーグを開催して、8チームまで絞ればいい。これなら、甲子園では最大3試合の開催だ。中3日あけたとしても1週間で終わるから、甲子園の秋開催も可能だろう。難点は、阪神タイガースが優勝できない言い訳(死のロード)がなくなることだけだ。

ベスト8からの甲子園にすれば、連投を避けながらも、1週間で終わる

ナイトゲームの活用を

もうひとつの方法は、試合を「早朝から2試合」「夕方から2試合」にすることだ。つまりはナイトゲームを併用して、炎天下でのプレーを避けるということである。
そしてこれは、電力需要を抑制するにも役立つ。「炎天下の午後2時に、多数がエアコンの効いた部屋で甲子園を観る」というのは、電力供給側にとっては地獄のような話である。それに比べれば、ナイトゲームの時間帯に電力を使ってくれるほうがいい。この話をきちんと理解してもらうことが、これからの日本のためにとても重要であるので、詳しく説明する。

ピークを抑えることが大切

市民生活も企業活動も、電力が支えているのが現代社会である。停電になるといたるところで損失が発生する。だから、電力供給側にとっての恐怖は電力が不足することだ。発電能力は常に需要を上回っていないといけない。原子力発電に頼らざるを得なかったのは、このためだと言っても過言ではないだろう。

その一方で、電力需要には波がある。昼間はさかんに使われるが、深夜になると需要が激減する。ピーク需要が大きくなればなるほど、電力供給のマネジメントは難しくなる。ピークにあわせなくてはならないが、あわせると、夕方以降、朝まで能力の大半が遊んでしまう。

だからともかく、電力に関しては、ピークを抑える努力をすることが、なにより大切だ。「脱原発」を口にするなら、なおさらである。ピークをもっと抑えれば、原発の再稼働は不要になるかもしれない。統計数値を出すまでもなく、日本の電力需要のピークは、エアコンがぶん回り、企業活動も活発な真夏の午後2時頃だ。ここに夏の甲子園がぶつかっているということである。

電力をもっと理解しよう

私自身の立場は、「時間をかけて脱原発を実行する」である。いますぐすべての原発をやめろ、と口にしたいところだが、その前に、ひとつひとつの努力を重ね、ピーク需要を減らさなくてはならない。ひとりひとりが、電力について、もっと理解を深める必要があると考えている。

3.11のあとに飛び交った意見を読んで、その思いを強くした。なかでも「コンビニの深夜営業をやめろ」という意見にがっかりした。深夜は電力が余っているから、そこでやめる必要はないし、そもそも閉店したところで、店内の冷蔵庫・冷凍庫は動いているから、たいした節電効果はない。むしろ言うなら、「13時から15時の間、コンビニを一斉休業にしろ」、あるいは「13時から15時の間、冷蔵庫・冷凍庫の扉をあけるのをやめろ」だ。

ほかにも、やれることはある。家庭内を直流化するとか、寿命のないバッテリを開発するとか、コジェネ発電と再生可能エネルギーの利用を中心とした分散型電力供給システムを普及させるとか、である(これについては、東京大学のナノテクノロジーのプロデュースもあり、いくつかのプランをもっている)。
まずはピーク需要を減らしてこその、脱原発である。

「サディストな傍観者」になってはならない

高校野球に話を戻すが、気になるのは、高野連とファンが「サディストな傍観者」になっているのではないか、ということである。熱中症になんの対策もとろうとしないのもそうだし、「フェンスに激突し、骨折しながらの好補」や「連投につぐ連投で肩をこわした悲運のエース」を楽しんで消費していると言っても、過言ではない。

頭からぶつかってもケガをしないフェンスにすればいいだけでしょう。そして、上で紹介した試合スケジュールにすれば、エースの連投も避けることができる。打てる手はあるのに、なにもしないのだから、「ケガをしながらプレーする球児」をショウ化するのが高野連という組織であり、「かわいそう」といいながら、サディスティックに楽しんでいるのがファンだ、ということになる。

高野連が自ら改革できない組織なのであれば(残念なことに、日本の組織はたいていそうである)、こういうところをきちんと指導してこその文部科学省の存在、ではないか。球児と電力を守り、脱原発に貢献する英断を期待したい。

アクセルとブレーキの踏み間違い対策

毎日のように、「アクセルとブレーキの踏み間違い」による事故が報道されている。コンビニに突っ込んだり、暴走したりと、枚挙に暇がない。なかでもショックだったのが、この映像だ。福岡での大きな事故のドライブレコーダー映像である。

明らかに、アクセルをベタ踏みしての暴走だと思う。きっとドライバーは「ブレーキがきかない」とパニックになっていたと予想される。

さまざまなアプローチ

この問題に対して、さまざまなアプローチがされている。たとえば、ナルセ機材有限会社の「ワンペダル」だ。ワンペダルでクルマを走らせる機構で、ともかく「踏めばブレーキ」である。アクセルは足を右に傾けることで操作する。

ワンペダル
http://www.onepedal.co.jp/products/

急発進を抑止する装置もある。Autobacsで販売されている「ペダルの見張り番」は、発進時にアクセルペダルが踏み込まれた場合、踏み間違いと認識し、アクセル開度を電気的に制御して、エンジンが反応するのを抑え込む。

ペダルの見張り番
http://www.onepedal.co.jp/products/

「ベタ踏みなら反応しない」でいいのでは?

上の「ペダルの見張り番」が、なかなかスマートだ。踏み間違いと判断したら、電気的にスロットルを絞る。そうなのだ。いまどきのクルマは、アクセルも電気信号を出しているだけである(昔はスロットルを物理的に動かした)。

ということは、電気信号の処理方法を変更すれば、セッティングを変えられる。クルマの挙動を変更できる。私の提案は、「アクセルをベタ踏みされたら、それには反応せず、逆にスロットルを絞る」というセッティングである。

通常の運転でアクセルをベタ踏みすることは、あまりない(オートマチック車だとシフトダウンのスイッチを仕込み、ベタ踏みでキックダウンする設定のものもある)。「ブレーキペダルを踏んでいる」と勘違いしているから、アクセルペダルを踏み込むわけだ。

その操作に対して、「エンジン出力がさがる」(スロットルを絞る)という挙動を設定すれば、踏み間違えても、加速はしない。上の動画のような暴走は防げるだろう。それでいて、日常の運転に悪影響を与えることもない。

いや、「パトカーに追尾されての暴走」も、減らすことができるのではないか。

プリウスのペダル(https://car.watch.impress.co.jp/img/car/docs/361/510/html/pt104.jpg.html

駐車監視員とJASRAC

私は駐車監視員制度の導入(2006年6月の道路交通法改正による)に反対だった。理由は、「それを仕事にすると、摘発が目的になるから」である。
大通りで、明らかに配達に行っている小型トラックの写真を撮る監視員を見かけると、うんざりした気分になる。ただのイジメとしか思えないからである。すべての配達を駐車場にとめて行うなどというのは、不可能なことだ。そして結局、配達コストがアップし、そのツケは消費者にまわってくる。

判断基準を明確にすべき

実例を挙げる。数年前のことだが、白線のパーキングエリアに停め、パーキングチケットを買いに行き、戻ってきたら、駐車監視員が駐車違反を切ろうとしていた。パーキングチケット購入の間の停車も「駐車違反」と言われるなら、もう、どう駐車すればいいのかわからない。エンジンフードに手をあてれば、チケットを買わずに長時間停めているのか、そうでないのかはわかるはず(と、抗議したら、切符を切らずに去っていった)。

そもそも、駐車しても問題のないところだからパーキングエリアに指定されているわけで、そこに停めたクルマを取り締まることは必要なのだろうか。私はこの点を問題にしたい。なぜ、駐車は取り締まられるべきなのか? その駐車が交通渋滞を巻き起こしているとか、自転車を危険な目に遭わせているとか、クルマ同士の衝突の危険性を高めているとか、一言でいえば迷惑行為になっていることが多いからだろう。

駐車監視員制度を導入するなら、その判断基準を明確にすべきだった。私に言わせれば、図のような迷惑な事例は、たとえ停車であっても、即座に、有無をも言わさず切符を切るくらいでいい(直進レーンがふさがれ、大渋滞になっていた)。しかし、こういう悪質な駐停車を取り締まっているところを目撃したことがない。

「目的」を忘れる愚

「駐車違反を摘発する仕事」をつくると、当然、成績をあげること(駐車違反摘発件数を多くすること)に熱心になる。その一方で、「なぜ駐車違反はいけないのか」という本来の(法の)目的が忘れ去られる。切符をきられた側が説明を受け、「ごめんなさい。私が悪かったです」と言うしかないような迷惑行為のみ、摘発すべきだろう。

これと共通する問題を、別の組織にも感じている。日本音楽著作権協会(JASRAC)のことだ。2017年2月、JASRACは音楽教室での講師の演奏をコンサートと同等とみなし、演奏権をもちだして、演奏の著作権料を徴収する方針を打ち出した。JASRACは「著作権料を徴収することが目的の組織」であるから、熱心に仕事をした結果の「目のつけどころ」である。

しかしながら、JASRACの本来の目的はなんだろう。著作権料をとることではなく、著作権者の権利を守り、著作物の普及につとめ、そして利益を増やすことではないだろうか。「徴収すること」に熱心になりすぎて、本来の目的を忘れているのではないかと危惧する。

教室は自衛手段をとるだろう

この件は裁判になっており、大手の音楽教室は「講師の演奏はコンサートとは違う」と争っている。私は裁判の帰趨がどうなろうと、JASRACのやり方は間違っていると考えている。著作権者にいい結果をもたらすとは思えないからである。
音楽教室が、受講料を高く設定しても行列するほどの人気を誇っているならまだしも、少子化で受講生が減る一方。そこでシニアを新しいターゲットにしているが、年金を頼りにしている世代の受講料に、JASRACに徴収される演奏料分を上乗せすると、客離れをおこしかねない状況である。
こういう構造の業界に「演奏料を徴収する」と言えば、「JASRAC管理楽曲は一切扱わない」という判断をするのが普通だろう。著作権の切れている作品や、JASRACに著作権管理を委ねていない作品だけを扱えば、演奏料は払わずに済む。

これが、著作権者の利益につながるだろうか。
教室は言うまでもなく、教育をする場である。権利者からみれば、「仕込み」の場だ。ここで扱ってくれてこそ、自分の作品が利用される機会も増える。子供向け教室からもシニア向け教室からも作品が排除されるとなると、作品が演奏される機会も、聴かれる機会も減るだろう。いや、知られる機会を喪失する可能性もある。

新規マーケットの開拓こそ重要

まさにこれは、「芽を摘む」行為である。マーケティングの常識からいえば、「生徒」をターゲットにするなど、まったくのナンセンスだ。アドビやマイクロソフトなどがアカデミックディスカウントを用意し、学生たちにソフトを安く使わせるのはなぜかを考えてみろ、と言いたい。

私も著作権者のひとりであるので、著作権は大事にしたいし、大事にしてもらいたいと願っている。しかし、もっと大切なことは「著作物が広く利用され、著作権者の利益が増えること」ではないか。日本における著作権関係の議論は、このことを忘れていることが多い。たとえ違法コピーにあふれたとしても、結果として著作権料の徴収が増えるほうが、著作権者のためになる。

現実は逆で、著作権を守ることばかりに熱心で、マーケットが縮小する一方だ。むしろ新規マーケットを開拓するために、一時的に著作権を無視する立法をしてもいいくらいだと私は考えている。

「組体操」問題に欠けている視点

組体操の「7段ピラミッド」の件である。
まだこんなのにこだわる人がいるというのが、信じられない。多段の組体操が崩れると、上肢切断や半身不随などの事故、ひどいときは死亡事故が待っている。切り傷や擦り傷ではない。子供の将来に大きな影響を及ぼす重大事故となったり、最悪の場合は生命を奪われている。
将来を賭けて、命をかけてまで、組体操をしなくてはならないものなのか。

事故の実績

都道府県別組体操事故統計(2018年度版)」 によると、2017年度の小中学校の組体操による負傷人数は4,418件。このうち骨折件数は1,088件。年に1,000人以上の子どもたちを骨折させている。
過去46年間に9名が死亡。障碍が残った子どもは92名。私はこの数字、きわめて多いと感じる。それでも強行しようとする学校の教師や保護者の思考回路を想像できない。あわせてこの資料を参照されたい。ぞっとする数字が並んでいる。
組体操による事故の概要

本当の原因は「いじめ」では?

意図的に無視しているのか、本当に気がついていないのかわからないが、私は組体操の重大事故の原因の多くは、いじめではないかと考えている。しかし、このことに言及しているものがないのが不満だ。

いじめっ子は、虎視眈々と「合法的にいじめることができる機会」をうかがっている。柔道なら受け身をとれないタイミングで投げて、激しく叩きつける。サッカーなら、骨折するような悪質なタックルをやる。相手が半身不随になろうが、骨折しようが、自分が罪に問われることはない。おいしいチャンスだ。

組体操で上にいじめられっ子が乗っていたら、バランスを崩すように動くだろう。そんなことで落ちる子がどんくさいのである。下にいじめられっ子がいたら、みんなで示し合わせてその子に体重をかけてつぶす。つぶれてしまう、体力のない子が悪いのだ(だからいじめられるのだ)。単純に崩れただけで、上肢切断のような重大なケガを負うだろうか。

いじめ問題のひとつとして、組体操の事故をみなおすことを提唱しておきたい。

参考記事
7段ピラミッド予定の小学校「集団作りの効果はある」 東大阪市で今年も2校…1校は中止

それは「IoT」なのか?

スマートフォンで解錠するスマートロックに不具合が生じ、「カギがあかない」というユーザーにとっては悪夢の事態が生じたことをCBS Interactiveが報じている。原因は、装置のアップデートの不具合だという。

「スマートロックが解錠不能に、顧客500人に影響–アップデートの不具合が原因」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170817-35105860-cnetj-sci
(海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したもの)

気になったのは、しかし、カギがあかなかったことではない。この記事に、このように書かれていたことだ。

この事故からは、いわゆるIoT(モノのインターネット)と自宅での居場所を争うようにして急増しているアプリで動くガジェットや機器の、安全性(と信頼性)に対する懸念が浮かび上がる

それは、ただの「RcI」

スマートロックはたしかにインターネットにつながっている。つながっているから、スマートフォンのアプリからロックしたり、解錠したりすることができるわけだが、私はこれを「IoT」と呼ぶことに抵抗がある。

“Connected Things”ではなく、”Internet of Things”という表現である。この言葉を最初に使ったのはP&G社にいたKevin Ashtonで、1999年に社内プレゼンテーションで使ったという。Ashton氏の回想をこめたコラムが、こちらで読める。

That ‘Internet of Things’ Thing
http://www.rfidjournal.com/articles/view?4986

But what I meant, and still mean, is this: Today computers—and, therefore, the Internet—are almost wholly dependent on human beings for information.

と彼が書いているように、現在のインターネットに蓄積されている情報は「人間の営為によるもの」ばかり。いわば”Internet of Human beings”である。対して、無線タグやセンサーなどの「モノから得られる情報を集めたインターネット」を構築すれば、その(正確で、大量の)データを生かすことができるはずだ。Ashton氏は、それを”Internet of Things”と表現したのである。

スマートロックが多数に普及しても、その情報が蓄積され、分析され、なにかの役に立つことは考えられない。これはIoTではなく、”RcI” (Remote control via the Internet)である。IoTと言ってしまったほうが、IoTブームにのれるという目論見もあるのかもしれないが、やはり、私たちが区別するべきだろう。

IoTという言葉は、Thingsではなく、モノの情報が集まったInternetと、その利用に焦点があたる用語である。スマートロックの情報がサーバに蓄積される設計なら、不在情報や不在パターン情報などが分析でき、IoTというにふさわしくなるわけだが、それを喜ぶのは窃盗団だけである。

ナノファイバー学会で講演

ナノファイバー学会から、「IoTビジネスの最近の動向」というタイトルで話題提供を、という依頼をいただき、話してきた。その内容を軽くおさらいしておく。

IoTの定義

IoTはInternet of Thingsの略。「モノのインターネット」と訳されている。この用語を初めて使ったのはP & Gの社員・Kevin Ashton 氏で、1999 年の社内プレゼンテーションで使ったという(本人の述懐はRFID Journal参照)。彼はRFID(Radio Frequency IDentifier)を使ったサプライチェーンの改革に取り組んでいた。MITにAuto-IDセンターをつくった人物である。

Google検索をしてみると即座にわかることだが、現状のインターネットは「人間の所産のネットワーク」である。ウェブが典型例だ。膨大な情報を検索できるが、ほとんどすべては人間が入力したものである。対して、Ashtonは「モノが発信する情報をネットワーク化して、役立てる」ことを企図し、それをIoTと呼んだ。したがって、IoTは「モノ」が情報をおしゃべりするのは当然として、それを受けて、判断するのも「モノ」である。すなわち、M2M(Machine to Machine)タイプの通信となる。

1999年にその着想がありながら、やっと最近になって普及をはじめたのは、以下の理由による。

  • IPv6により、IPアドレス空間枯渇の心配がなくなったこと(多数のThingsにIPアドレスを割り当てることができる)
  • M2Mの「受け側」として、クラウドとAIが登場したこと

とくに二番目のクラウドとAIの進展は大きい。Thingsの情報をクラウドに蓄積し、そこでAIが自動判断をする。これこそ、Ashtonが描いたIoTである。

IoT家電はU2M2M

一方で、「IoT家電」というのも続々と登場している。しかしこれらは、「インターネットにつながるThings」ではあるが、M2M通信ではない。IoTエアコンが代表例だが、スマートフォンからユーザーがコントロールをすることを意図して「つながっている」にすぎない。つまりこれは、User to Machine to Machine(U2M2M)であって、これをIoTとするのは拡大解釈になろう。インターネット越しにリモートコントロールができる、という話である。

センシングIoTが本命

Thingsがなんらかの情報をクラウドに送り、そこからAI(とは限らないが、なんらかのシステム)が自動判断をする。これこそ、Ashtonが「IoT」と表現したコンセプトである。そしていま、この正統な意味でのIoTビジネスが、以下の三つのジャンルで立ち上がろうとしている。

スマートグリッド

各家庭の電力メーターから電力消費の情報をクラウドに送り(スマートメーター)、電力供給も電力消費も賢くやろう、というのがスマートグリッドだ。この発想が出てくるのは、再生可能エネルギーやコジェネ発電の利用が進み、電力供給が一挙に複雑になったからである。

晴れている地域もあれば、雨降りのところもある。強風の街もあれば、無風の街もある。再生可能エネルギーは不安定だ。その発電の情報と電力消費の情報を総合的に判断し、東西南北でブロックごとに電力供給を切り換える。そのためのスマートメーター、そのためのスマートグリッドである。電力消費メーターをインターネットにつないだ上、自動判断をするから、IoTの代表例といっていいだろう。

スマートアグリ

植物の生育に関係のある気温・湿度・水分量などのセンサーをインターネットにつないで、自動判断をし、安定した野菜の生産をめざす試み。効き目があるのは野菜工場やハウス栽培など、生育に関係のあるパラメーターを極小化できるところである。オランダが先進国として注目されている。

しかし本当は、露地ものというか、野菜工場やハウス以外の農業もスマート化したいところである。土も違えば気候も水はけも微生物も違うし、センサーも過酷な条件で動作しなくてはいけないから、道は遠い。

バイタルIoT

バイタルセンサーが急速に発展している。格好の相棒として、スマートフォンが普及を始めたことが大きい。ランナー向けに心拍数をはかれる時計など「ウェアラブル」なセンサーが続々と登場している。いまホットな話題は、導電性繊維による人体の情報のセンシングだ。

IoTの今後に向けての課題

スマートグリッド、スマートアグリ、そしてバイタルIoTの分野がビジネスとしても活況を呈しはじめているが、課題がいくつかある。それが、バックヤードのデータ管理システムをどうするかだ。それぞれの分野で、「どの範囲をひとまとめにし、どの程度の頻度で、どれくらいの粒度の情報を集めるのか」についての知見が不足しているし、それをどうマネジメントするかについても、まだまだ研究が必要な段階だ。

そしてまた、気になるのがプライバシー保護とのかねあいである。スマートメーターの情報は、「その家が不在であることをリアルタイムで教えてくれる情報」でもあるし、バイタルIoTの情報は個人の究極のプライバシーでもある。後者は、研究の進展のためには、被験者に異常が起きる必要があるという矛盾さえ抱えている。予防医学に役立てることができれば最高だが、その道のりはまだ険しい。社会的コンセンサスをいかにとりながら進められるかが最大の課題だと言えるだろう。


ナノファイバー学会プログラム

ナノファイバー学会第8回年次大会
― ウエアラブルエレクトロニクスの最前線 ―

日時:2017年7月14日(金)場所:東京工業大学大岡山キャンパス

○ 講演(ロイヤルブルーホール)
10:30~10:40 開会挨拶
10:40~11:20 ウエアラブルエレクトロニクス/高松誠一(東京大学)
11:20~12:00 太陽光発電テキスタイル/増田敦士(福井県工業技術センター)
12:00~13:00 昼食
13:00~14:00 ポスター発表
14:00~14:40 発電カーテン・カーペット/源中修一(住江織物)
14:40~15:20 貼り付け型のモニタリングシステム/前中一介(兵庫県立大学)
15:20~15:30 休憩
15:30~16:10 ナノ集積化による多機能テキスタイルデバイスの創成/木村睦(信州大学
16:10~16:50 IoTビジネスの最近の動向/古瀬幸広(東京大学)
15:50~17:00 閉会挨拶

スーパーキャパシタへの道

キャパシタ(Capacitor)は、コンデンサのお化けである。「電気を貯める新しいデバイス」として、注目を集めている。従来のバッテリの困った点を、ほとんど解決しているからだ。

第一は、寿命が長いことである。スマートフォンのバッテリ劣化に困った経験は、いまや誰もがあるだろう。充電と放電を繰り返すたびに、バッテリは劣化する。鉛電池にしろ、ニッケル水素電池にせよ、リチウムイオン電池にせよ、化学変化でエネルギーを蓄積する方式であり、変化させるたびに変質していくからである。

対して、キャパシタは物理的に電気を貯める。バケツに水を放り込むようなものである。何度水をいれても、バケツは劣化しない。これはとてもうれしい性質だ。プリウスやテスラのようなHV車、EV車を見るたびに、「廃棄物をどうする?」という心配が頭をよぎる。今後毎年、数100万個単位で、消耗し、使えなくなったバッテリがゴミとして出てくるわけだ。

第二は、充電が早いことだ。スマートフォンの普及で、「電源をお借りします」といわれることが増えた。消費した電力を返す人に会ったことがないので、「お借りします」ではなく、「いただきます」というべきではないかという話はさておき、貸したところで、充電はなかなか進まない。化学変化で電気を蓄えるので、反応がゆっくりなのだ。

キャパシタは物理的に貯めるから、充電が一瞬で終わる。数10秒~数分で満充電になる。これはとても大きい。多少、持ちが悪くても、充電がすぐに終わるなら、使い勝手はいい。たとえば、冷凍冷蔵トラックがサービスエリアで休憩するたびに満充電にできるから、走行中の「冷やすエネルギー」をキャパシタでまかなうことも可能だ。

欠点の解消に希望

一方で、キャパシタには大きな欠点がある。それは、エネルギー密度が小さいことだ。現状のキャパシタは鉛電池の15分の1程度のエネルギー密度しかない。同じパワーを得るのに、15倍の重さのバッテリになってしまうということだ。これでは、使える場所は限定的である。

もっとキャパシタを「使えるもの」にするためには、エネルギー密度の向上が不可欠だ。それに成功しはじめているのが、東京大学の我々の研究グループである。ナノテクノロジーを利用し、電極材料を革新した。電極としての性能を高めつつ、その表面積を増やした。単位質量あたりの面積が大きくなればなるほど、多くの電気を貯めることができる。開発したのは、窒素を添加した3D-NDP-ACM(多孔質活性炭モノリスの三次元構造体)である。

詳細は以下の論文を参照してもらいたい。

Yanqing Wang, Bunshi Fugetsu, et al. 2017. Nitrogen-doped porous carbon monoliths from polyacrylonitrile (PAN) and carbon nanotubes as electrodes for supercapacitors. [online] 11 Jan. Available at: <http://www.nature.com/articles/srep40259>

ナノテクノロジー研究のプロデュース

2016年12月1日付で、東京大学政策ビジョン研究センターの非常勤講師を拝命。本郷キャンパスに週に一度、通う生活が始まった。

東京大学本郷キャンパス久しぶりのキャンパス、見た目はあまり変わっていないが、細部は大きく変わっている。そもそも、学生時代になじみの法文2号館(学生時代に学んだのは文学部)を通りすぎ、工学部に足を踏み入れること自体が、ほぼ初体験。

所属はナノテクノロジー研究ユニット。「カーボンナノチューブ」(CNT)  という言葉を聞いてからずいぶん時間が経過しているが、いよいよ、様々な応用が始まっている。これからの鍵はセルロースナノファイバー(CNF)との組み合わせだ。これを「バイオカーボン」と名付けた「アドバンストバイオカーボンコンソーシアム」という研究開発プロジェクトが、信州大学と東京大学の間で立ち上がっている。私は「代表プロデューサー」という役割でかかわっており、本年秋、農林水産省の「『知』の集積と活用の場による研究開発モデル事業」に採択された。研究リーダーは遠藤守信・信州大学特別特任教授と坂田一郎・東京大学教授である。

この研究開発プロジェクトの大きな目標は、植物由来のセルロースナノファイバーを大量に使うような新素材の開発とその産業化を果たすことだ。これは何を意味しているかというと、「山に捨てられている間伐材も、山を浸食している竹林も、可食部分ではない、という理由で廃棄されているトウモロコシの芯も、工業原料になる」ということ。日本の農林業をがらりと変える可能性、荒れ果てた山を復活させる可能性をもつプロジェクトなのである。

持続可能な産業革命が、これからまた始まるのだ。現時点で、日本はその最先端を走っている。