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落ちたリンゴで考えたこと

突然、友人から久留米市の「まるは油脂化学株式会社」を紹介された。無添加石鹸をつくっている会社である。ピンときた。この友人はセンスがいい。

まるは油脂化学は、植物からエキスや精油を抽出して、固形石鹸、洗濯用・食器用液体石鹸、シャンプー&リンスなどを製造する企業だ。即座に、台風で落ちたリンゴの映像が浮かんだ。落ちたリンゴはカビなどの心配があり、商品として流通させることは難しいが、石鹸に生かせる可能性はある。

その後、同社の三代目・林 眞一氏から直接、連絡をいただいた。内容は以下の通り。

  • 被害を受けた農産物を使った石鹸製品の企画・製造の相談に乗ることができる(無料)
  • その後は、OEM製造を請け負うことが可能(試作から有料)

すなわち、被害を受けた農産物を生かす選択肢が増えるという話である。なにより、無添加にこだわるところがいい。私自身、パラベンとエデト酸塩が入っている石鹸を使うと肌の調子が悪くなる。

また、石鹸は自家用に作るのは容易だけれども、商品にするのは難易度が高いもののひとつ。労働安全衛生法、家庭用品品質表示法、景品表示法、環境基本法、容器包装リサイクル法、毒物及び劇物取締法、化審法、化管法、製造物責任法(PL法)などをクリアする必要がある。OEM製造なら、これらを製造元がクリアしてくれるというメリットがある。

「災害対策」を越えて

重要な点は、同社の提案は無償ボランティアでも、その場かぎりの支援でもないということである。農産物の産地が、別のビジネスを展開するパートナーになるという申し出だ。

これは災害支援の枠にとどまらない提案である。いや、むしろリンゴが落ちてから相談していては、間に合わない可能性もある。農産物の別の利用法として、日頃から検討をしておく価値のある提案だ。

産地には、摘果されたものも、規格からはずれたものもある。災害時にとどまらない。日頃から、ホウレンソウの石鹸から、青ミカンのシャンプーまで、製品化できる可能性はあるだろう。

Climate changeはもう疑いようがない事実で、ここ数年、日本列島では毎年のように広範囲の豪雨災害が起きている。30年に一度、50年に一度の災害なら、その場かぎりの支援でも間に合うかもしれないが、もはやそれではカバーしきれない。この規模の災害を、来年も経験するという覚悟が必要だ。日頃から農産物の「別の利用法」を開拓していれば、それが災害への備えとなる。

SNSの活用は必須

ただし、石鹸を作るだけでは、道半ばであることもまた事実だ。作ったものが商品として定着しなければ、ビジネスにならない。つまり、売れるものにする必要がある。

仕上がった石鹸がステキなものであることは当然として、パッケージデザインからPR戦略まで、知恵を絞る必要があるだろう。原材料があり、製造工場があっても、「商品」はできない。そして商品ができても、販売はもっと難しい。

幸い、テレビコマーシャルをうたないと告知できず、問屋が扱わないとまったく売れなかった時代と異なり、いまはウェブページとSNSを使って告知することができ、ネット通販で直販することができる。資本がなくても、知恵と熱意で突破できる可能性があるということだ。挑戦する価値はおおいにある。

本件の相談先

まるは油脂化学株式会社
福岡県久留米市高野2-8-53   〒830-0002
Tel. 0942-32-9529
http://www.nanairo.co.jp/

試作費用:2万円(固形石鹸)/3万円(液体石鹸)
相談:無料

※投稿トップの画像は、 長野県「みはらしファーム」の投稿より。

ラグビーという競技の本質

ついにRugby World Cup Japan 2019が始まった。
長年のラグビーファンなら、こみあげてくるものがあるに決まっている。1995年の第3回大会での、あの、オールブラックスとの一戦(17対145という歴史的敗戦を喫した、ブルームフォンテーンの悲劇)を胸に刻んでいる人間であれば、なおさらだ。

あのとき、「(100点差もつくなら)もう、アジア枠はいらないんじゃないか」という議論まで巻き起こっていた。あのままの日本ラグビーだとしたら、RWCを日本に誘致できるはずもなかっただろう。選手たちだけではない。すべての日本ラグビーの関係者に、祝福と感謝の気持ちの両方を表したい。すごいことをやってのけましたよ。あなたたちは。

ところで今日は、開幕してから迎える最初の日曜日だ。朝からあちこちの番組で、ラグビーのルールの解説をしている。誰もが「難しい」「わからない」といい、「この二つだけ覚えてください」とラグビー経験者のタレントが説明をする。曰く、1)ボールを前に投げてはいけない、2)ボールを落としてはいけない――難しいから、せめてこの二つだけでも覚えておきなさい、というわけだ。

ひょっとして、説明している人間自身が、ルールどころか、ラグビーという競技の本質を理解していないんじゃないかと不安になる。これはルールを説明しているのではなくて、頻繁に起きる反則を説明しているだけだ。

ラグビーのルールは単純

ラグビーは単純な競技である。競うのは「相手を押し込んで陣地を奪うこと」だ。そして「自分の陣地内でしかボールを手で処理してはいけない」というのが、基本中の基本のルールになる。

相手陣地との境界線(オフサイドライン)はボールの位置である。ボールを手で処理できるのは、オフサイドラインより手前、すなわち自分の陣地にいる選手だけだ。そして、「ボールより前にいる味方選手」は、相手の陣地に取り残された選手であるから、プレーに関与できない。

これが基本中の基本のルールであり、ほとんどのルール・反則はここから説明ができる。やってみよう。

ラグビーの「トライ」とはなにか

対峙する相手チームを押し切ることである。相撲でいう寄り切りだ。相手のインゴールにボールを接地することを「トライ」というが、これが相手チームを寄り切ったという証拠である。自分の陣地を相手陣まで拡大することに成功したという話であり、目的を達成したから、試合が止まり、点数が入るのだ。

ところで、昔はこれによって、「ゴールポストに向かってキックする(ゴールキックの)権利」、すなわち得点への挑戦権を得たそうだ。だから “Try” といい、トライそのものは0点だった。いやいや、こんな大変な思いをするんだし、トライに重きを置きましょう、という話になって、5点となっている(ルールによって異なる。歴史的にも異なり、3点の時代もあった)。

「前にパスをしてはいけない」(スローフォワード)のはなぜか

ボールの前、すなわち相手陣地にいる選手にボールを渡しているからである。早い話が、オフサイドだ。陣地を奪い合うゲームであるから、まずボールをもった選手が1)前に突進して陣地を押し込んで自分の陣地をひろげ、2)自分の陣地内に展開している味方選手にボールを渡す。

「後ろにパス」をしているのではなく、「押し込んで陣地を拡大してから、オフサイドにならない位置にいる味方にボールを渡して敵をかわしつつ、みんなで相手のゴールをめざす」のである。

「ボールを落としてはいけない」(ノックオン)のはなぜか

まず(テレビでやっていた)この表現は間違っている。正確には、「ボールを前に落としてはいけない」である。横や後ろに落としている場合はセーフだ。

ボールを前に落とすのは、相手陣地にボールを渡す行為である。自陣内ではなくなるので、もうそのボールを手で処理できない。これがノックオンだ。

そしてこれはイーブンボールであるから、その場で敵味方がボールを奪い合う(正確には、「相手を押し込んで、ボールを自分の陣地内のボールとしてから、手で処理する」)べきものだ。

しかし、ノックオンはたいてい後ろでボールをもらった選手がしでかすもので、相手選手は遠く離れているから、ここでイーブンボールとしても、フェアな奪い合いとはならない。だから、ボールを前に落とした時点での相手ボールスクラムとしているわけだ。

スクラムとは、選抜された選手同士で押し合い、陣地の奪い合い(ボールを手で処理する権利の奪い合い)をするデザインされたマッチアップであり、とてもフェアな措置である。

なお、ノックオンには例外もある。キックチャージだ。相手がボールをキックするところに飛び込んで身体に当てた場合は、ノックオンとはしない。こういうのは、ゲームをおもしろくするためのルールである。

ハイパントのあと、ほとんどの選手が眺めているのはなぜか

ボールを高く蹴りあげて突進し、落下地点でボールを奪い合う戦術をハイパントという。ボールが落ちてきたところでマイボールにできれば、一挙に陣地を奪うことができる。

しかし、ボールが空中にある間、ほとんどの選手がボーッと立っている。誰もボールの奪い合いに参加しようとしない。ここが、類似スポーツであるサッカーやアメフトと最も異なるところだといっていい。

こうなってしまうのは、「ボールを蹴った時点で、ボールより前にいる選手はオフサイド」だからだ。プレーに関与したら反則になるから、オンサイドの選手が自分を追い越してくれるまで、突っ立っているしかないのである。

プレーしていいのは、オンサイドの選手(ボールをキャッチした選手と、その時点でボールよりも自陣よりにいる選手)のみである。だから、ハイパントを蹴った選手自身(と数名のオンサイドの選手)が、ボールの落下地点に突進する。

ハイパントというくらいで、ボールを高く蹴るのが常道だ。高く蹴るのは、オンサイドの選手がボールの落下地点にたどりつくための時間を稼ぎたいからである。「いいハイパント」は、結果論で判断する。オンサイドの選手がダッシュして、落下地点にちょうど間に合う距離と高さのパントキックが、ベストなキックである。

アクシデンタルオフサイド

ラグビーほどオフサイドラインがダイナミックに、大きく変化するスポーツはないかもしれない。味方陣地の奥にボールを蹴られてしまったら、そのボールの位置がオフサイドラインとなり、そこから相手陣までの間にいる選手はプレーに関与できなくなる。

ハイパントがあがると、大半の選手がボーッと立っているのは、これが理由であると説明した。ほかにも、なにしろ肉体のぶつかりあいばかりのスポーツで、オフサイドラインが頻繁に前後するので、いろんなことがある。

けっこう見かけるのが、ボールをもった選手が突進している間に、オフサイドポジションにいる味方選手にぶつかってしまう例だ。アクシデンタルオフサイドという反則となる。

わかりやすかったのが、RWC Tokyo 2019の開幕戦「日本 VS. ロシア」の後半のアクシデンタルオフサイドである。ボールの前に倒れ込んでいる味方選手にボールがぶつかり、はねかえったボールを処理しようとして、笛が吹かれた。意図してやったわけじゃないが、オフサイドポジションにいる味方選手がプレーに関与しちゃったね、という判定である。

アメフトとの相違

そしてこう整理すると、アメフトとの根本的な相違は、オフサイドに対する考え方の相違だということに気づく。「ラグビーからオフサイドという概念をとっぱらったのがアメフトだ」といっても、過言ではないだろう(唯一残っているのは、プレースタート時のスクリメージライン)。だから前にパスもできる。陣地の奪い合い、という概念がなくなり、かわりにボールを運ぶゲームとなっている。

伝説では、サッカーをしていた子供が、「こっちのほうが早い」と手でボールをもって走ったことから、ラグビーが生まれたという(イギリス)。だからサッカーとラグビーは兄弟ゲームなわけだが、この二つも、オフサイドの概念の相違が大きい。オフサイドラインが選手に依存して前後するのがサッカー、ボールに依存して前後するのがラグビーである。

ゲームを楽しくするためのルール

ここまで述べてきたのは、ルールというよりは、ゲームの基本デザインである。ラグビーというスポーツの骨格を決めているのが、「自分の陣地内でしかボールを手で処理してはいけない」というルールである(まあ、その意味では、タレントが「前にパスしてはいけない」「ボールを落としてはいけない」の二つを基本ルールとして紹介したのは、正しい)。

この基本ルールの上に、ゲームを楽しくするためのルールが体系化されている。基本は「相手を押し込んでボールを自陣内とし、手で処理する」ことであり、それをフェア(対等)な条件でやるためのルールが整備されている。

その代表が、「タックルされた選手はボールを離さなくてはならない」というルールだ。倒れた選手がボールを抱え込んでしまうと(ノット・リリース・ザ・ボール)、押し込んだところで、ボールを生かせない。イーブンな押し合いと、押し合ったあとのすみやかなボールの処理をさまたげるものが、反則として規定されている。

危険を避けるルール

法律もそうだが、ルールは「なぜそれが規定されるに至ったか」を考えることが、理解のためには必要である。ノット・リリース・ザ・ボールという反則は、抱え込まれるとボールを奪い合う醍醐味がなくなるから規定されている。キックについても、「蹴りあいで終わったら、おもしろくない」というルール変更が何度も行われている。

もうひとつ覚えておくべきなのは、危険を避けるためのルールだ。ラグビーはタックルが基本の激しいスポーツだが、タックルしていいのは、ボールをもっている選手のみであり、ボールをもっていない選手へのタックルは禁止されている。

また、危険なタックルも禁止である。とくにハイタックルへの笛は厳しい。プロレスのウェスタンラリアートのように、首から上に腕が入ると死に至る危険もあるから、当然だろう。

激しいスポーツに見えて、コンタクト(接触)していいのは、スクラム・モール・ラックでの押し合いと、ボールをもっている選手へのタックルくらいである。じつはとてもコンタクトが制限されている。アメフトと比べてみるといい。

基本戦略と番狂わせが起きにくい理由

相手の陣地まで押して寄り切るのが、ラグビーの戦いである。基本戦略は「押し勝つ」ことに尽きる。スクラムで押し、モールで押し、ラックで押す。選手がボールをもって走り、タックルされて倒れた次の瞬間が見どころである。ボールを奪い合うのではなく、押し合っている。マイボールにできるかどうかは、相手を押せるかどうかだ。

番狂わせが起きにくいスポーツといわれる理由は、「押し」が弱いチームは、マイボールスクラムも押されてボールを奪われたり、思い通りのプレーをさせてもらえかったりするし、ラックでも相手よりも多い人数で押し込みにいかないと対抗できないため、数的優位をつくられやすいからである。

モールで押し負けるようだと、ほんとうに厳しい。ゴール前に攻め込まれて、モールをつくられた時点でトライを覚悟することになる。今回のRWCの予選プール、オーストラリア VS. フィジーで、後半に入ってフィジーが逆転を許し、ズルズルと負けたのは、モールで負け始めたからだ。逆に、2015年のRWC England 2015の日本チームを見てびっくりしたのが、南アフリカを相手にスクラムで負けず、モールも押し込んだことだ。

ラグビーでは、世界ランキングよりも、その日の試合で押せるかどうかが重要である。あの日の日本は、けっして格下チームなどではなかった。

キックの使い道

押し合いだけで勝負が決まるのも、ちょっとおもしろくない。アタックをいくらしかけても、タックルで転がされ、歯が立たない。相手がボールをもったら、もう誰も止められない、というようなケースだ。

この局面を打開できるとすれば、キックである。敵の選手のいないところ(「スペース」という)を狙ってボールを蹴り、味方選手にキャッチさせて、いっきにトライまでもっていく。足の速い選手がいると、これを狙いやすい。

もうひとつ、相手を押し戻すのにも、キックを使う。サッカーでも、ゴール前でシュートを打たれそうな危ない場面で、大きく蹴りだすのを「クリアする」という。自分のゴールからボールを遠ざける行為である。ラグビーのキックの多くは、クリアと同じ意図だ。相手ボールになることを覚悟しても、陣地を挽回するほうが得策、という判断である。

松島、松島と言いすぎるな

最後に、ロシア戦で三度のトライを決めた松島選手をヒーロー扱いするマスコミ(とくにテレビ)に苦言を書いておきたい。キックオフのあと、ひとりで走りきってのノーホイッスルトライなら、まだ話はわかるけれども、今回のはそうではなかった。

彼自身が「みんなでとった」と言っている通りである。あそこまでボールを運んだ(オフサイドラインを押し上げた)のは全員の努力であり、彼は最後にトライをしただけだ(三本目のトライは彼でなければとれなかったかもしれないが)。むしろ松島選手にボールが渡るひとつ前、ふたつ前のプレーに注目し、そこを解説してほしい。前の段階で相手選手をひきつけているから、数的優位となり、松島選手が「余る」のである。

この試合では、FWの選手の活躍も目立った。この記事はとてもいい記事だ。
ラグビー日本代表に勢いを与えた2人のFWデータで振り返るW杯・ロシア戦
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201909210005-spnavi

iPhone/iTunesの曲順変更

趣味の話である。音楽のことだ。いまでも残念に思っているのは、ソニーのウォークマンである。まさかウォークマンの牙城が、もろくも崩れさるとは、思っていなかった。言うまでもない。アップルのiPodにしてやられてしまったのである。

敗因はいろいろ考えられる。第一に、日本企業は著作権との向き合い方が下手だということが挙げられる。それを気にするあまり、リッピングやダウンロードの世界の構築に及び腰になってしまった。

第二に、「単体」での性能にこだわりすぎた。おそらくソニーの技術陣は、iPodの音を聴いて、「こんな音質では、ウォークマンの敵ではない」と判断したのではないか。しかしiPodは、リッピングもダウンロード購入もできるiTunesでシェアをのばした。もはや単体の性能は問題ではない。そこを見誤ったのではないかと思う。

iTunesは使いにくい

しかし私は、いまからでも逆転は可能と見る。iTunesとiPod/iPhoneを使っているが、iTunesがけっこう使いにくいからだ。まだまだ、アプリケーションとしての機能は未熟である。もっと洗練された、もっとユーザーに便利な機能を充実させたアプリケーションを開発すれば、リプレイスすることは可能なはずだ。

というわけで、やっと本題である。iTunesを使って困ったのが、プレイリストにおいて、アルバムの通りに曲が並ばないことだった。しかし、なんというのか、プレイリストの最後に
「プレイリストがミュージックである」
の一条件を加えると、曲順が正しく並ぶ。まったく謎だ。不思議だ。ちゃんと並ぶから文句はないが、こんな余計なことをしなくても、曲順はアルバムの通りに並ぶべきだし、任意に順番を変えることにも対応すべきだろう。
諦めるのはまだ早い。話題になるような使いやすく、性能がよく、ユーザーフレンドリーなアプリケーションとともに、ウォークマンが復権することは可能だと思うし、ぜひそれを期待したい。

iTunes設定
プレイリストの最後の条件が鍵

高校野球から電力を考える

夏の甲子園の予選が始まっている。果たして、160km/hピッチャーの佐々木朗希君(大船渡高校)を甲子園で見ることができるのだろうか。きっと今年は、予選から注目を集めるだろう。

出世ルートを作った点は評価

一方で、高校野球には「納得できない」ことも多々ある。美談をつくりすぎるマスコミもどうかと思うし、いまだにほぼ全員が丸刈りというのも異様だ。不祥事で出場辞退というのも、連帯責任が過ぎる。暴言・暴力も珍しくないし、「日本陸軍の伝統が最後まで残っているのが高校野球だ」と表現したくなる。

それでも、甲子園はとてもいい。球児に出世ルートを提供しているからだ。クラシック界のコンクールと同じである。出場し、ファイナリストに残るなどの活躍を見せれば、世に出るチャンスとなる。こういう出世ルートは、たくさんあったほうがいい。若い当事者にとっては希望である(もちろん、コンクール歴はなくても、甲子園出場歴がなくても、活躍している人も多数いることも覚えておきたい)。

心配なのは熱中症

しかし、とても心配なこともある。熱中症だ。もはや、「私の若い頃は水も飲まずに頑張ったもんだ」という昔話は通用しない。それくらい、暑さが過酷になっている。頑張りすぎて、命を落とす球児が出ることを覚悟しなくてはならない情況だと思う。そこまでではなくても、頭がボーッとしたところに打球が飛んできたりすれば、エラーで試合を壊すかもしれない。

かといって、球児たちの夏休み以外に開催の選択肢はなく、頭を抱えているのではないかと想像する。いや、私には二つの提案がある。

ひとつの方法は、サッカーのような予選リーグと決勝トーナメントに分けて開催し、甲子園は決勝トーナメント(ベスト8)以上に限定して開催することだ。夏休み期間中に、地域ブロックごとの予選リーグを開催して、8チームまで絞ればいい。これなら、甲子園では最大3試合の開催だ。中3日あけたとしても1週間で終わるから、甲子園の秋開催も可能だろう。難点は、阪神タイガースが優勝できない言い訳(死のロード)がなくなることだけだ。

ベスト8からの甲子園にすれば、連投を避けながらも、1週間で終わる

ナイトゲームの活用を

もうひとつの方法は、試合を「早朝から2試合」「夕方から2試合」にすることだ。つまりはナイトゲームを併用して、炎天下でのプレーを避けるということである。
そしてこれは、電力需要を抑制するにも役立つ。「炎天下の午後2時に、多数がエアコンの効いた部屋で甲子園を観る」というのは、電力供給側にとっては地獄のような話である。それに比べれば、ナイトゲームの時間帯に電力を使ってくれるほうがいい。この話をきちんと理解してもらうことが、これからの日本のためにとても重要であるので、詳しく説明する。

ピークを抑えることが大切

市民生活も企業活動も、電力が支えているのが現代社会である。停電になるといたるところで損失が発生する。だから、電力供給側にとっての恐怖は電力が不足することだ。発電能力は常に需要を上回っていないといけない。原子力発電に頼らざるを得なかったのは、このためだと言っても過言ではないだろう。

その一方で、電力需要には波がある。昼間はさかんに使われるが、深夜になると需要が激減する。ピーク需要が大きくなればなるほど、電力供給のマネジメントは難しくなる。ピークにあわせなくてはならないが、あわせると、夕方以降、朝まで能力の大半が遊んでしまう。

だからともかく、電力に関しては、ピークを抑える努力をすることが、なにより大切だ。「脱原発」を口にするなら、なおさらである。ピークをもっと抑えれば、原発の再稼働は不要になるかもしれない。統計数値を出すまでもなく、日本の電力需要のピークは、エアコンがぶん回り、企業活動も活発な真夏の午後2時頃だ。ここに夏の甲子園がぶつかっているということである。

電力をもっと理解しよう

私自身の立場は、「時間をかけて脱原発を実行する」である。いますぐすべての原発をやめろ、と口にしたいところだが、その前に、ひとつひとつの努力を重ね、ピーク需要を減らさなくてはならない。ひとりひとりが、電力について、もっと理解を深める必要があると考えている。

3.11のあとに飛び交った意見を読んで、その思いを強くした。なかでも「コンビニの深夜営業をやめろ」という意見にがっかりした。深夜は電力が余っているから、そこでやめる必要はないし、そもそも閉店したところで、店内の冷蔵庫・冷凍庫は動いているから、たいした節電効果はない。むしろ言うなら、「13時から15時の間、コンビニを一斉休業にしろ」、あるいは「13時から15時の間、冷蔵庫・冷凍庫の扉をあけるのをやめろ」だ。

ほかにも、やれることはある。家庭内を直流化するとか、寿命のないバッテリを開発するとか、コジェネ発電と再生可能エネルギーの利用を中心とした分散型電力供給システムを普及させるとか、である(これについては、東京大学のナノテクノロジーのプロデュースもあり、いくつかのプランをもっている)。
まずはピーク需要を減らしてこその、脱原発である。

「サディストな傍観者」になってはならない

高校野球に話を戻すが、気になるのは、高野連とファンが「サディストな傍観者」になっているのではないか、ということである。熱中症になんの対策もとろうとしないのもそうだし、「フェンスに激突し、骨折しながらの好補」や「連投につぐ連投で肩をこわした悲運のエース」を楽しんで消費していると言っても、過言ではない。

頭からぶつかってもケガをしないフェンスにすればいいだけでしょう。そして、上で紹介した試合スケジュールにすれば、エースの連投も避けることができる。打てる手はあるのに、なにもしないのだから、「ケガをしながらプレーする球児」をショウ化するのが高野連という組織であり、「かわいそう」といいながら、サディスティックに楽しんでいるのがファンだ、ということになる。

高野連が自ら改革できない組織なのであれば(残念なことに、日本の組織はたいていそうである)、こういうところをきちんと指導してこその文部科学省の存在、ではないか。球児と電力を守り、脱原発に貢献する英断を期待したい。

アクセルとブレーキの踏み間違い対策

毎日のように、「アクセルとブレーキの踏み間違い」による事故が報道されている。コンビニに突っ込んだり、暴走したりと、枚挙に暇がない。なかでもショックだったのが、この映像だ。福岡での大きな事故のドライブレコーダー映像である。

明らかに、アクセルをベタ踏みしての暴走だと思う。きっとドライバーは「ブレーキがきかない」とパニックになっていたと予想される。

さまざまなアプローチ

この問題に対して、さまざまなアプローチがされている。たとえば、ナルセ機材有限会社の「ワンペダル」だ。ワンペダルでクルマを走らせる機構で、ともかく「踏めばブレーキ」である。アクセルは足を右に傾けることで操作する。

ワンペダル
http://www.onepedal.co.jp/products/

急発進を抑止する装置もある。Autobacsで販売されている「ペダルの見張り番」は、発進時にアクセルペダルが踏み込まれた場合、踏み間違いと認識し、アクセル開度を電気的に制御して、エンジンが反応するのを抑え込む。

ペダルの見張り番
http://www.onepedal.co.jp/products/

「ベタ踏みなら反応しない」でいいのでは?

上の「ペダルの見張り番」が、なかなかスマートだ。踏み間違いと判断したら、電気的にスロットルを絞る。そうなのだ。いまどきのクルマは、アクセルも電気信号を出しているだけである(昔はスロットルを物理的に動かした)。

ということは、電気信号の処理方法を変更すれば、セッティングを変えられる。クルマの挙動を変更できる。私の提案は、「アクセルをベタ踏みされたら、それには反応せず、逆にスロットルを絞る」というセッティングである。

通常の運転でアクセルをベタ踏みすることは、あまりない(オートマチック車だとシフトダウンのスイッチを仕込み、ベタ踏みでキックダウンする設定のものもある)。「ブレーキペダルを踏んでいる」と勘違いしているから、アクセルペダルを踏み込むわけだ。

その操作に対して、「エンジン出力がさがる」(スロットルを絞る)という挙動を設定すれば、踏み間違えても、加速はしない。上の動画のような暴走は防げるだろう。それでいて、日常の運転に悪影響を与えることもない。

いや、「パトカーに追尾されての暴走」も、減らすことができるのではないか。

プリウスのペダル(https://car.watch.impress.co.jp/img/car/docs/361/510/html/pt104.jpg.html

駐車監視員とJASRAC

私は駐車監視員制度の導入(2006年6月の道路交通法改正による)に反対だった。理由は、「それを仕事にすると、摘発が目的になるから」である。
大通りで、明らかに配達に行っている小型トラックの写真を撮る監視員を見かけると、うんざりした気分になる。ただのイジメとしか思えないからである。すべての配達を駐車場にとめて行うなどというのは、不可能なことだ。そして結局、配達コストがアップし、そのツケは消費者にまわってくる。

判断基準を明確にすべき

実例を挙げる。数年前のことだが、白線のパーキングエリアに停め、パーキングチケットを買いに行き、戻ってきたら、駐車監視員が駐車違反を切ろうとしていた。パーキングチケット購入の間の停車も「駐車違反」と言われるなら、もう、どう駐車すればいいのかわからない。エンジンフードに手をあてれば、チケットを買わずに長時間停めているのか、そうでないのかはわかるはず(と、抗議したら、切符を切らずに去っていった)。

そもそも、駐車しても問題のないところだからパーキングエリアに指定されているわけで、そこに停めたクルマを取り締まることは必要なのだろうか。私はこの点を問題にしたい。なぜ、駐車は取り締まられるべきなのか? その駐車が交通渋滞を巻き起こしているとか、自転車を危険な目に遭わせているとか、クルマ同士の衝突の危険性を高めているとか、一言でいえば迷惑行為になっていることが多いからだろう。

駐車監視員制度を導入するなら、その判断基準を明確にすべきだった。私に言わせれば、図のような迷惑な事例は、たとえ停車であっても、即座に、有無をも言わさず切符を切るくらいでいい(直進レーンがふさがれ、大渋滞になっていた)。しかし、こういう悪質な駐停車を取り締まっているところを目撃したことがない。

「目的」を忘れる愚

「駐車違反を摘発する仕事」をつくると、当然、成績をあげること(駐車違反摘発件数を多くすること)に熱心になる。その一方で、「なぜ駐車違反はいけないのか」という本来の(法の)目的が忘れ去られる。切符をきられた側が説明を受け、「ごめんなさい。私が悪かったです」と言うしかないような迷惑行為のみ、摘発すべきだろう。

これと共通する問題を、別の組織にも感じている。日本音楽著作権協会(JASRAC)のことだ。2017年2月、JASRACは音楽教室での講師の演奏をコンサートと同等とみなし、演奏権をもちだして、演奏の著作権料を徴収する方針を打ち出した。JASRACは「著作権料を徴収することが目的の組織」であるから、熱心に仕事をした結果の「目のつけどころ」である。

しかしながら、JASRACの本来の目的はなんだろう。著作権料をとることではなく、著作権者の権利を守り、著作物の普及につとめ、そして利益を増やすことではないだろうか。「徴収すること」に熱心になりすぎて、本来の目的を忘れているのではないかと危惧する。

教室は自衛手段をとるだろう

この件は裁判になっており、大手の音楽教室は「講師の演奏はコンサートとは違う」と争っている。私は裁判の帰趨がどうなろうと、JASRACのやり方は間違っていると考えている。著作権者にいい結果をもたらすとは思えないからである。
音楽教室が、受講料を高く設定しても行列するほどの人気を誇っているならまだしも、少子化で受講生が減る一方。そこでシニアを新しいターゲットにしているが、年金を頼りにしている世代の受講料に、JASRACに徴収される演奏料分を上乗せすると、客離れをおこしかねない状況である。
こういう構造の業界に「演奏料を徴収する」と言えば、「JASRAC管理楽曲は一切扱わない」という判断をするのが普通だろう。著作権の切れている作品や、JASRACに著作権管理を委ねていない作品だけを扱えば、演奏料は払わずに済む。

これが、著作権者の利益につながるだろうか。
教室は言うまでもなく、教育をする場である。権利者からみれば、「仕込み」の場だ。ここで扱ってくれてこそ、自分の作品が利用される機会も増える。子供向け教室からもシニア向け教室からも作品が排除されるとなると、作品が演奏される機会も、聴かれる機会も減るだろう。いや、知られる機会を喪失する可能性もある。

新規マーケットの開拓こそ重要

まさにこれは、「芽を摘む」行為である。マーケティングの常識からいえば、「生徒」をターゲットにするなど、まったくのナンセンスだ。アドビやマイクロソフトなどがアカデミックディスカウントを用意し、学生たちにソフトを安く使わせるのはなぜかを考えてみろ、と言いたい。

私も著作権者のひとりであるので、著作権は大事にしたいし、大事にしてもらいたいと願っている。しかし、もっと大切なことは「著作物が広く利用され、著作権者の利益が増えること」ではないか。日本における著作権関係の議論は、このことを忘れていることが多い。たとえ違法コピーにあふれたとしても、結果として著作権料の徴収が増えるほうが、著作権者のためになる。

現実は逆で、著作権を守ることばかりに熱心で、マーケットが縮小する一方だ。むしろ新規マーケットを開拓するために、一時的に著作権を無視する立法をしてもいいくらいだと私は考えている。

「組体操」問題に欠けている視点

組体操の「7段ピラミッド」の件である。
まだこんなのにこだわる人がいるというのが、信じられない。多段の組体操が崩れると、上肢切断や半身不随などの事故、ひどいときは死亡事故が待っている。切り傷や擦り傷ではない。子供の将来に大きな影響を及ぼす重大事故となったり、最悪の場合は生命を奪われている。
将来を賭けて、命をかけてまで、組体操をしなくてはならないものなのか。

事故の実績

都道府県別組体操事故統計(2018年度版)」 によると、2017年度の小中学校の組体操による負傷人数は4,418件。このうち骨折件数は1,088件。年に1,000人以上の子どもたちを骨折させている。
過去46年間に9名が死亡。障碍が残った子どもは92名。私はこの数字、きわめて多いと感じる。それでも強行しようとする学校の教師や保護者の思考回路を想像できない。あわせてこの資料を参照されたい。ぞっとする数字が並んでいる。
組体操による事故の概要

本当の原因は「いじめ」では?

意図的に無視しているのか、本当に気がついていないのかわからないが、私は組体操の重大事故の原因の多くは、いじめではないかと考えている。しかし、このことに言及しているものがないのが不満だ。

いじめっ子は、虎視眈々と「合法的にいじめることができる機会」をうかがっている。柔道なら受け身をとれないタイミングで投げて、激しく叩きつける。サッカーなら、骨折するような悪質なタックルをやる。相手が半身不随になろうが、骨折しようが、自分が罪に問われることはない。おいしいチャンスだ。

組体操で上にいじめられっ子が乗っていたら、バランスを崩すように動くだろう。そんなことで落ちる子がどんくさいのである。下にいじめられっ子がいたら、みんなで示し合わせてその子に体重をかけてつぶす。つぶれてしまう、体力のない子が悪いのだ(だからいじめられるのだ)。単純に崩れただけで、上肢切断のような重大なケガを負うだろうか。

いじめ問題のひとつとして、組体操の事故をみなおすことを提唱しておきたい。

参考記事
7段ピラミッド予定の小学校「集団作りの効果はある」 東大阪市で今年も2校…1校は中止

それは「IoT」なのか?

スマートフォンで解錠するスマートロックに不具合が生じ、「カギがあかない」というユーザーにとっては悪夢の事態が生じたことをCBS Interactiveが報じている。原因は、装置のアップデートの不具合だという。

「スマートロックが解錠不能に、顧客500人に影響–アップデートの不具合が原因」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170817-35105860-cnetj-sci
(海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したもの)

気になったのは、しかし、カギがあかなかったことではない。この記事に、このように書かれていたことだ。

この事故からは、いわゆるIoT(モノのインターネット)と自宅での居場所を争うようにして急増しているアプリで動くガジェットや機器の、安全性(と信頼性)に対する懸念が浮かび上がる

それは、ただの「RcI」

スマートロックはたしかにインターネットにつながっている。つながっているから、スマートフォンのアプリからロックしたり、解錠したりすることができるわけだが、私はこれを「IoT」と呼ぶことに抵抗がある。

“Connected Things”ではなく、”Internet of Things”という表現である。この言葉を最初に使ったのはP&G社にいたKevin Ashtonで、1999年に社内プレゼンテーションで使ったという。Ashton氏の回想をこめたコラムが、こちらで読める。

That ‘Internet of Things’ Thing
http://www.rfidjournal.com/articles/view?4986

But what I meant, and still mean, is this: Today computers—and, therefore, the Internet—are almost wholly dependent on human beings for information.

と彼が書いているように、現在のインターネットに蓄積されている情報は「人間の営為によるもの」ばかり。いわば”Internet of Human beings”である。対して、無線タグやセンサーなどの「モノから得られる情報を集めたインターネット」を構築すれば、その(正確で、大量の)データを生かすことができるはずだ。Ashton氏は、それを”Internet of Things”と表現したのである。

スマートロックが多数に普及しても、その情報が蓄積され、分析され、なにかの役に立つことは考えられない。これはIoTではなく、”RcI” (Remote control via the Internet)である。IoTと言ってしまったほうが、IoTブームにのれるという目論見もあるのかもしれないが、やはり、私たちが区別するべきだろう。

IoTという言葉は、Thingsではなく、モノの情報が集まったInternetと、その利用に焦点があたる用語である。スマートロックの情報がサーバに蓄積される設計なら、不在情報や不在パターン情報などが分析でき、IoTというにふさわしくなるわけだが、それを喜ぶのは窃盗団だけである。

ナノファイバー学会で講演

ナノファイバー学会から、「IoTビジネスの最近の動向」というタイトルで話題提供を、という依頼をいただき、話してきた。その内容を軽くおさらいしておく。

IoTの定義

IoTはInternet of Thingsの略。「モノのインターネット」と訳されている。この用語を初めて使ったのはP & Gの社員・Kevin Ashton 氏で、1999 年の社内プレゼンテーションで使ったという(本人の述懐はRFID Journal参照)。彼はRFID(Radio Frequency IDentifier)を使ったサプライチェーンの改革に取り組んでいた。MITにAuto-IDセンターをつくった人物である。

Google検索をしてみると即座にわかることだが、現状のインターネットは「人間の所産のネットワーク」である。ウェブが典型例だ。膨大な情報を検索できるが、ほとんどすべては人間が入力したものである。対して、Ashtonは「モノが発信する情報をネットワーク化して、役立てる」ことを企図し、それをIoTと呼んだ。したがって、IoTは「モノ」が情報をおしゃべりするのは当然として、それを受けて、判断するのも「モノ」である。すなわち、M2M(Machine to Machine)タイプの通信となる。

1999年にその着想がありながら、やっと最近になって普及をはじめたのは、以下の理由による。

  • IPv6により、IPアドレス空間枯渇の心配がなくなったこと(多数のThingsにIPアドレスを割り当てることができる)
  • M2Mの「受け側」として、クラウドとAIが登場したこと

とくに二番目のクラウドとAIの進展は大きい。Thingsの情報をクラウドに蓄積し、そこでAIが自動判断をする。これこそ、Ashtonが描いたIoTである。

IoT家電はU2M2M

一方で、「IoT家電」というのも続々と登場している。しかしこれらは、「インターネットにつながるThings」ではあるが、M2M通信ではない。IoTエアコンが代表例だが、スマートフォンからユーザーがコントロールをすることを意図して「つながっている」にすぎない。つまりこれは、User to Machine to Machine(U2M2M)であって、これをIoTとするのは拡大解釈になろう。インターネット越しにリモートコントロールができる、という話である。

センシングIoTが本命

Thingsがなんらかの情報をクラウドに送り、そこからAI(とは限らないが、なんらかのシステム)が自動判断をする。これこそ、Ashtonが「IoT」と表現したコンセプトである。そしていま、この正統な意味でのIoTビジネスが、以下の三つのジャンルで立ち上がろうとしている。

スマートグリッド

各家庭の電力メーターから電力消費の情報をクラウドに送り(スマートメーター)、電力供給も電力消費も賢くやろう、というのがスマートグリッドだ。この発想が出てくるのは、再生可能エネルギーやコジェネ発電の利用が進み、電力供給が一挙に複雑になったからである。

晴れている地域もあれば、雨降りのところもある。強風の街もあれば、無風の街もある。再生可能エネルギーは不安定だ。その発電の情報と電力消費の情報を総合的に判断し、東西南北でブロックごとに電力供給を切り換える。そのためのスマートメーター、そのためのスマートグリッドである。電力消費メーターをインターネットにつないだ上、自動判断をするから、IoTの代表例といっていいだろう。

スマートアグリ

植物の生育に関係のある気温・湿度・水分量などのセンサーをインターネットにつないで、自動判断をし、安定した野菜の生産をめざす試み。効き目があるのは野菜工場やハウス栽培など、生育に関係のあるパラメーターを極小化できるところである。オランダが先進国として注目されている。

しかし本当は、露地ものというか、野菜工場やハウス以外の農業もスマート化したいところである。土も違えば気候も水はけも微生物も違うし、センサーも過酷な条件で動作しなくてはいけないから、道は遠い。

バイタルIoT

バイタルセンサーが急速に発展している。格好の相棒として、スマートフォンが普及を始めたことが大きい。ランナー向けに心拍数をはかれる時計など「ウェアラブル」なセンサーが続々と登場している。いまホットな話題は、導電性繊維による人体の情報のセンシングだ。

IoTの今後に向けての課題

スマートグリッド、スマートアグリ、そしてバイタルIoTの分野がビジネスとしても活況を呈しはじめているが、課題がいくつかある。それが、バックヤードのデータ管理システムをどうするかだ。それぞれの分野で、「どの範囲をひとまとめにし、どの程度の頻度で、どれくらいの粒度の情報を集めるのか」についての知見が不足しているし、それをどうマネジメントするかについても、まだまだ研究が必要な段階だ。

そしてまた、気になるのがプライバシー保護とのかねあいである。スマートメーターの情報は、「その家が不在であることをリアルタイムで教えてくれる情報」でもあるし、バイタルIoTの情報は個人の究極のプライバシーでもある。後者は、研究の進展のためには、被験者に異常が起きる必要があるという矛盾さえ抱えている。予防医学に役立てることができれば最高だが、その道のりはまだ険しい。社会的コンセンサスをいかにとりながら進められるかが最大の課題だと言えるだろう。


ナノファイバー学会プログラム

ナノファイバー学会第8回年次大会
― ウエアラブルエレクトロニクスの最前線 ―

日時:2017年7月14日(金)場所:東京工業大学大岡山キャンパス

○ 講演(ロイヤルブルーホール)
10:30~10:40 開会挨拶
10:40~11:20 ウエアラブルエレクトロニクス/高松誠一(東京大学)
11:20~12:00 太陽光発電テキスタイル/増田敦士(福井県工業技術センター)
12:00~13:00 昼食
13:00~14:00 ポスター発表
14:00~14:40 発電カーテン・カーペット/源中修一(住江織物)
14:40~15:20 貼り付け型のモニタリングシステム/前中一介(兵庫県立大学)
15:20~15:30 休憩
15:30~16:10 ナノ集積化による多機能テキスタイルデバイスの創成/木村睦(信州大学
16:10~16:50 IoTビジネスの最近の動向/古瀬幸広(東京大学)
15:50~17:00 閉会挨拶