午前8時‐11時はテレビを消そう

新型コロナの感染爆発が続き、緊急事態宣言も発出されたこの冬、気がつくと、電力需要が逼迫している。現代の日常生活は電力に支えられていることは明らかだ。停電すると、暖房もつかず、お湯も使えない、という家が多いことだろう。

これだけ寒くなり、雪も多いのに、停電したら惨事が起きる。しかし、その危機が忍びよっているのが事実だ。理由は二つある。

第一は、火力発電燃料のLNG(液化天然ガス)の不足である。需要増に、パナマ運河通過の手続きがパンデミックによる人員不足で遅滞しているなど、複数の要因が重なっているという(「電力市場の異常な高騰はまだまだ続く? LNG供給に乱れ」参照)。

第二は、降り続く雪によって、太陽光発電が機能していないことだ。太陽光発電は、冬場に弱い。冬は本当に必要なときに機能しない、頼れない、という大きな問題がある。

LNGが不足している以上、対応策は節電しかない。じつはそう難しい話ではない。危機脱出のためには、ピーク時に需要を絞るだけでいいからだ。冬場の電力ピークは、午前8時‐11時と、午後5時‐8時である。たとえば、「この時間帯はテレビを消す」といった運動が考えられる(これは、一石二鳥ではないか)。

節電することの意味

3.11直後の電力不足のおり、電力に対する無理解を痛感した。典型例は「コンビニの24時間営業をやめろ」という言い分だ。呆れる。コンビニが深夜営業をやめたところで、冷蔵庫も冷凍庫も動いているから、たいした節電にはならない。

もしも冷蔵庫・冷凍庫の電源まで切ったら、翌日、冷やしなおすところで電力を大きく消費することになる。全国のコンビニが一斉に冷蔵庫・冷凍庫の電源をいれ、コンプレッサがぶん回るほうが、よほどヤバイ。ともかく、集中するのがダメなのだ。

そもそも、深夜はむしろ使ってほしいのである。だから深夜電力が割引になっており、「深夜にお湯をわかす」という製品があるわけだ。発電機は、急には止まれないのである。止めて冷やしてしまうと、再起動時に多くの燃料を消費する。細々とでも回っていて、それに見合う需要があるほうが、よほどいい。

あのとき私は、「甲子園は午前に2試合、午後はやめて、あと2試合はナイトゲームにしろ」と書いた。これには二つの意味がある。

ひとつは、夏場の電力需要ピークである午後2時に試合をやらない、ということ。それだけで、「エアコンをがんがんかけて部屋を冷やしながら、高校野球中継をみる」という人を減らせる。ナイトゲームは照明の電力を消費するが、もう需要ピークの時間帯は過ぎているから、なんの問題もない。

そしてもうひとつは、球児たちの熱中症予防だ(審判も、だな)。30年前40年前なら、「たるんでる」で済ませたかもしれないが、昨今の夏の暑さを舐めてはいけない。このままだと、球児に死者も出る可能性があると思っている。午後2時の炎天下に野球をさせるべきではない。気合と根性で熱中症を防げると思ったら、大間違いである。

もちろん、全体として節電し、エネルギー使用量を減らすことは大事である。これがマクロの目標だとすると、ミクロの目標は、「発電能力を上回る需要を避ける」ということだ。節電はピークの時間帯にやればいい、ということである。

難しい電力の話、なんて考える必要はない。こんなの、飲食店の行列と話は同じだ。席数を越えて客がやってくると、当然、行列になる(電力だと停電してしまう)。かといって、客が押し寄せるのはランチ時の瞬間風速だから、そこにあわせて席数を増やすわけにもいかない。そしてピークを過ぎると閑散とするから、需要を平均化するために、割引などを用意したくなる。

「中電力」構想

それにしても、この冬の電力不足は想定外だった(とくにパンデミックの人手不足で、パナマ運河の通過に手間どり、LNG供給に支障が出るなんて!)。これから先も、似たことはあり得る。我が国の電力ポリシーを再構築するいい機会なのではないか。

原発に回帰するのは難しいだろう。原発は石油エネルギーを使って掘ったウランを石油エネルギーを使って精製し、運搬し、そして石油エネルギーを使って廃棄作業をする。廃炉までのエネルギー収支を計算すると、けっしてトクなものでもない。

私は「日本全国にあまねく高品質電力を供給する」という理想をさっさと捨てさり、高品質電力と中品質電力に分け、メリハリのある電力供給計画にしてもいいのではないかと思っている。ちなみに電力と水の施策は似ていて、日本には上水道と下水道はあるが、中水道がない。トイレに流したりなど生活に必要なことには使えるが、飲まないでね、というのが中水道である。

電力に品質の違いはあるのか、という質問を受けることがあるが、じつはある。「品質が高い」とは、同じ質を長く保ちつづける、ということだ。電圧が一定で、瞬間の停電もなく、安定して電流が流れている状態である。これが高品質電力。なお、この意味で「品質」を使う場合、見た目の質感が高いのは「高品位」という。「高品質プリンタ」はこわれないプリンタのことであり、「高品位プリンタ」は印字が美しいプリンタのことである。

中品質電力は、たまには電圧が落ちることもある、ひどいときは一瞬、停電することもある、という電力供給である。しかし、冷静に日本全体を見渡すと、中品質電力でも問題がない地域のほうが多いのではないか。停電に敏感なのはPCだが、多くはバッテリ併用のノートPCだし、そうでない場合はUPSを常備する手もある。医療用機器も問題だが、非常用電源設備があるものだし、そもそも、中品質電力でいい地域は、ICUをもつ病院のない地域だ。

その上で、中品質電力はコジェネレーションシステムと再生可能エネルギーの組み合わせを原則とするように変更していきたい。一言でいえば、「電力エネルギーの地産地消化」である。

地産地消・分散型で再設計を

日本全体を再生可能エネルギーだけでまわす、というのは理想だが、そうとうに難しい。それだけでなく、石油エネルギーを使って太陽光パネルをつくり、石油エネルギーを使って(自然を破壊しながら)メガソーラーを建設し、石油エネルギーを使ってパネルを安全に処分しなくてはならないから、本当に地球にやさしいのか? という疑問もある(この場合は、エネルギー収支というよりは、CO2収支を計算したいところ)。

一方で、中品質電力で十分、という地域は、再生可能エネルギー資源が豊富である。今回の雪で太陽光発電の弱点が改めて明らかになっているが、冬場は風が強くなる地域も多く、そして水資源もたいていは豊富である(流れも凍りついてしまう極寒地域を除く)。

そのわりに普及していないのは、グランドデザインが間違っているからではないか、と疑っている。大規模な施設(メガソーラーや洋上風力発電)をつくり、系統に接続する、というやり方を変えるべきではないか。もっと小型で、身近で、地産地消するものでいいのではないか、と思うのである。

北海道の常呂漁業協同組合を取材したことがある。網走の近くだ。悩みは電気代だった。一カ月に120万円ほどもかかっている。そのニーズの大半は冷凍冷蔵庫だ。

この電気代の負担を減らすことをまず考えるべきだろう。地域単位でコジェネレーションシステムを導入し、それを補完する形で小規模な再生可能エネルギーを設置し、組み合わせて地域単位で運用する。系統電力のみには依存しない。地域でつくった電力は地域で使い切る。これで電気代を下げられないだろうか。たまに電圧が落ちるのはご愛嬌、くらいの中電力地域なら、やれるのではないかと思う。冷凍冷蔵庫の場合、数分間停電したくらいでは、悪影響はない。

地産地消・分散型への転換である。このグランドデザインのいいところは、小さな努力の積み重ね方式にできる、ということだ。農業用水のような水の流れに置いた小型水力発電装置やコンパクトな風力発電機、屋根の上の太陽光パネルなど、地域のちょっとした「隙間」で発電し、それを地域に集める。これなら、環境破壊の程度も小さい。

じつはバッテリ問題である

それを支えるバッテリの負担も小さくなる。再生可能エネルギー利用を普及させるためには、「不安定な出力」を平準化させる装置が必須だ。「晴れて風が強い日は冷凍できるが、雨が続くと獲ってきた魚も捨てるしかない」「夜は本当に真っ暗になる」なんていう状態では、まさに使い物にならない。

電力平準化に使える装置の筆頭がバッテリである。しかしバッテリには寿命があり、それがコストを圧迫する。EV/HVなどが普及を見せていることもあり、バッテリは世界中で研究開発されているが、私の知るかぎり、現状では大規模なバッテリプールはコストがかさむだけで、いいことがない。かつ、バッテリの種類によっては、爆発・炎上の危険まである。

しかし、小さな単位にすると、解決策も見えてくる。注目してもらいたい技術が二つある。ひとつはカーボンフォームバッテリ(CFB)だ。これはすでに実用化されているもの。アメリカのキャタピラー社が開発した、新しい鉛電池である。

鉛電池は自動車などでおなじみのバッテリだが、1)自己放電が大きい、2)完全放電で壊れる(サルフェーション)、3)低温下で性能を発揮できないという欠点をもっている。キャタピラーはこの欠点が電極に由来することをつきとめ、ナノカーボン素材を使った陰極を開発することで、克服した。かつ、エネルギー密度も従来品の倍となっている。

これは素晴らしい。世の中、リチウム電池にばかり興味が向いているが、鉛電池という枯れた技術のものを根本的に改良し、欠点を解消している。エネルギー密度ではリチウム電池にかなわないが、そのかわり、安価で、扱いやすく、安全である。

たとえば、常呂漁協だけの面倒をみるサイズのバッテリプールをカーボンフォームバッテリでつくる、といった使い方である。これくらいの単位でバッテリを使うのが、いろんな意味で効率がいいと思う。鉛電池のエネルギー密度の低さもそうは気にしないで済む。一方、大規模なバッテリプールであれば、化学電池ではなく、揚水発電のような物理電池のほうが向いているというのが、私の考え方だ。

組み合わせる再生可能エネルギーの出力が十分ではないときは、冷凍冷蔵庫のコンプレッサが動くときのみ、バッテリから支援するという形をとるだけでも、全体として大きな節電になるはずだ。

cf. カーボンフォームバッテリのウェブページ
https://carbonfoam.tech/

もうひとつは、研究室レベルで「これはいけるかも」というレベルまできている「電気二重層キャパシタ」である。これは私が客員研究員として所属する東京大学未来ビジョン研究センター・ナノテクノロジーイノベーション研究ユニットとナノサミット株式会社の共同研究だ。

キャパシタの利点は「へたらない」ということに尽きる。再生可能エネルギーが普及しないのは、バッテリが消耗し、使えなくなるからである。これはスマートフォンで、多くの人が経験しているだろう。充放電の繰り返しで、だんだん容量が減っていく。化学電池を使うかぎり、数年ごとに何百万円~数億円のコスト(規模による)をかけてバッテリを交換する必要がある。

対してキャパシタは物理的に電力を蓄えるので、充放電を繰り返しても、基本的にはへたらない。かつ、化学反応で電力をとりだす化学電池に比べ、はるかに速く電力をとり出せる。すなわち、大電流を流せる。

欠点は容量が小さい(エネルギー密度が低い)ことだったが、ナノテクノロジーの利用で、ついに鉛電池なみのものができるかも、というところまではきている。そしてこの程度のエネルギー密度でも、地産地消・分散型の随所に使うなら、十分だ。

cf. 東京大学の発表
https://pari.ifi.u-tokyo.ac.jp/publications/paper170111.html

「高品質電力特区」をつくるべき

日本の多くの地域を中品質電力でカバーしておいて、その上で、高品質電力特区をつくるべき、というのが私の主張である。

日本から製造業が外にいってしまったのは、結局は人件費の問題だった。しかし、高品質電力が安定して供給される国は、そう多くない。この冬は、中国ですら、停電が問題になっている(オーストラリアからの石炭を禁輸にしたからだという説明に加え、「高濃度ウランをつくるために電力を使っているのではないか」という説もあるが、どのみち真偽は不明なので、とりあげない)。

高品質電力を安く供給する特区をつくれば、そこには、データセンターや半導体工場など、品質の高い電力を必須とする「工場」がやってくるはずだ。

こうした特区を、全国のLNG受入基地の近くに展開すると、もうひとついいことがある。LNGには冷熱があるからだ。LNGの温度はマイナス162度である。現状、この冷熱は一部でアイスクリーム製造に使われているくらいで、大半は捨てられているだけである。

わが国は高温超伝導技術もコンピュータ技術も進んでいるのであるから、LNGの冷熱を使わない手はない。工場への電気抵抗の小さい送電を実現したり、マイナス20度くらいの環境で高速で動くスーパーコンピュータセンターをつくったりできるはずである。

「国土強靱化」というなら、電力も

2018年9月6日午前3時7分に北海道胆振東部を最大震度7の地震が襲い、北海道全体がブラックアウトした事件も記憶に新しい。まだ夏、という時期だったから、常呂漁協をはじめ、困るところは多かったろうな、と思ったものである。

結局これも、一部の発電所にみんながぶらさがっていたからだ。地産地消・分散型の電力供給に変更すれば、ブラックアウトのリスクは下げられる。国土強靱化のテーマのひとつは、電力の強靱化であるべきだろう。

その意味で、日本列島には「背骨のような直流送電網」をつくるべきではないかと思っている。3.11のおり、関西から関東への電力支援に、周波数の壁があることが改めて認識された。50Hz/60Hzの周波数変換能力をこえての支援ができない。

しかしこれは、交流送電だからだ。直流送電にすれば、周波数という概念もなくなり、変換の必要もなくなる。そのぶん、災害にも強くなるはずである(いや、もう、そのついでに家庭内も含めて直流に変更すればいいのに。周波数を変換し、電圧を変換し、交流と直流を変換するなんて、ムダだらけ)。

cf.直流送電技術におけるNEDOの取り組み
https://www.nedo.go.jp/content/100893758.pdf

大事なことを忘れている

最近読んだ記事で驚いたのが、「中国ではEVのバッテリを交換式にした。これなら航続距離の問題も起きない。なぜ日本はできないのか」という話だった。

EV/HV用バッテリの重さ、知っていますか? 100kg前後ですよ。10kgでも交換するのは大変だろうに、70kgのバッテリをさくさく交換できますかね。当然、重心は低いほうがいいから、そんな重いものはシャシーのほうにある。ジャッキアップして重機を使う作業になると思う。カンタンじゃない。

そして大きな問題がもうひとつ。安全性をどうやって確保するのか、ということだ。EV/HVクラスのバッテリは、直流200Vだったりする。カンタンに感電死できる電流・電圧なわけだ。それを交換式にすると、誰もが容易に感電できてしまう。

それより深刻なのが、水害だ。水は電気を通す。EV/HVが水没したら、運転手が感電死してもおかしくないのだ。でも日本では、そんなことは起きていない。徹底的に密閉しているからである(この安全性には、敬意を表したい)。バッテリ交換式にした瞬間、感電死の事例も出てくることだろう。密閉が甘くなるに決まってるからである。

この冬の関越道や北陸道の雪で、多数のクルマが立ち往生した映像をみて、「これがすべて電気自動車なら、どうなるんだ?」という議論が噴出していた。暖房も切れるから命にかかわるというのはその通りだが、厄介なのは、100台単位で路上に集中しているEVに、再充電する設備をどうつくるかのほうだ。

私はそれより、LNGで走るクルマを増やしてほしい(そのためには、いいLNGタンクが必要である)。それだけでCO2排出量を減らせるし、大気汚染も減る。そしてなにより、LNGタンクを全国のコジェネレーションシステムと互換性があるようにつくれば、車載の予備タンクが、送電網の役割を果たす。

いきなり「すべてEVに」なんて議論は乱暴すぎて話にならない。電力を甘くみてはいけない。高品質電力・中品質電力の話も、再生可能エネルギーの話もそうだが、鍵を握るのは将来と技術動向を見据えたグランドデザインだと思う。