イワン・イリッチへの追悼文

以下は2002年12月06日に公開したものだが、サーバがなくなり、リンクが404エラーを出しているようなので、こちらに再掲しておく。


「古瀬幸広のoff side 2002」 No.48(通巻85号)

イワン・イリッチ(Ivan Illich/「イリイチ」とも)氏が亡くなったニュースは、尊敬する先生の訃報が続いていた今年のとどめであった。12月3日にブレーメンで亡くなったという。76歳。

共同通信が配信した訃報記事にある解説は、以下の通りである。

<オーストリアのウィーン生まれ。ザルツブルク大などで歴史学、神学を学んだ。その後、ドイツやアメリカの大学で中世史を講義する一方、専門領域にとらわれない鋭い文明批評を続けた。

 「コンビビアリティ」(共生、相互親和性)をキーワードに、教育、技術、思想、生命など、多岐にわたる対象を取り上げ「脱学校の社会」「脱病院化社会」「ジェンダー」などの著書を通じ、産業化社会の抱える問題点を提起した。80年代初めには沖縄や水俣などを訪問した。(共同)>

ハッカー会議にて

なんといっても、日本で有名なのは、『脱学校の社会』(Deschooling society)だろうか。学校という装置が、近代の産物であるなどとは、夢にも思わず学校に通い続けていた私にとっても、この本は衝撃的だった。

その後、イリッチの著作とはあまり深く触れずに暮らしていたが、再びその名を聞いたのは、1992年に渡米し、合宿形式の会議に出席したときのことだった(このときの経験をまとめあげたのが、本メルマガの発行人の廣瀬克哉氏との共著になる『インターネットが変える世界』岩波新書である)。

この会議は、1985年にスチュワート・ブラント氏が声をかけて発足したもので、70年代にアメリカ西海岸でPC革命の担い手となった人々が集まり、親交を深めると同時に、最新の技術情報を交換し、ディジタル技術と市民社会の未来に向けて真剣に議論をする会議である。その名をThe Hacker’s Conferenceという。Crackerではない、ホンモノのHackerが集まる会議だ。

そこで出会ったのが、1975年にSOLというPCを開発したリー・フェルゼンシュタイン氏だった。「どうしてそういうものを作ろうと思ったんですか」という私への問いに、「イリッチのThe Tools For Convivialityを読んで、そういう道具をつくりたいと思ったんだ」という返答。帰国後、慌ててこの本を取り寄せ、読み込んだのだった。

Webの創始者

探すと、すでに訳書もあったのだが、はっきり言って、あまりよい訳とは思えなかった。とくにConvivialityという肝腎のタームの訳語がしっくりこない。そこで『インターネットが変える世界』で提案したのは、「共愉」という訳語である。

Convivialの反対語としてイリッチが使っているのは、Manipulative(操作的)である。組織やシステムの歯車と化している現代社会の私たちは「操作されている」のであって、鉄道という公共交通機関ですら、イリッチの目にはManipulativeな道具として映る(乗客が一人も笑顔を見せず、疲れ果てた表情で、会話もせずに乗っている最終の新幹線を思い出すとよい)。

1975年当時のコンピュータシステムは、まさに人間が使われる道具であった。ハッカーたちは、「共愉的な道具としてのコンピュータ」であることをめざして、PCを作り上げたのだった。

このことを知った私は、続いて、『脱学校の社会』も、今度は原文で読み直してみた。すると、「学習のためのネットワーク」と訳された箇所には、The Learning Webと題されているではないか。Webという言葉が、1970年の段階で、市民のコミュニティ・ネットワークという意味で用いられていることに驚いた。さらにウェブ検索を続けると、初期のインターネット界での議論に、この本がしばしば引用されている。これは発見だった。World Wide Webという世の中を変えたシステムのルーツが、そこにあったのだ。

非常に残念なことだが、私たち日本人は、イリッチの思想を消化しそこねているという感じがしている。一時期のブームとして『脱学校の社会』や『シャドウワーク』が取り上げられるのみで終わった感じだ。彼の現代社会批判は、インターネットがすっかり普及したいまこそ、再度読み直されるべきだと思う。

余談

World Wide Webの開発者は当時CERN(欧州物理学研究所)にいたエンジニアで、MIT出身のTim-Berners Lee氏だが、彼と一緒に仕事をしていた人に、「どうしてWorld Wide Webなんていう名前をつけたんでしょうね」と尋ねたことがある。

「ティムが喫茶店で思いついたんだよ。WWWと略すと発音しづらいから、「変えよう」という話もあったんだけれど、その時すでに世界中に広まっていて、too lateだったんだ」

という返答だった。ハードウェア分野での20世紀最大の発明は、いまも制御用途に向けて生産され続け、累計生産個数が2億個をこえているZ-80というマイクロプロセッサだが、ソフトウェア分野での20世紀最大の発明はWorld Wide Webだろう。私はノーベル平和賞に値する業績であると思っている。

奥付

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「古瀬幸広のoff side 2002」 No.48(通巻85号)

2002年12月06日発行