夏の甲子園の予選が始まっている。果たして、160km/hピッチャーの佐々木朗希君(大船渡高校)を甲子園で見ることができるのだろうか。きっと今年は、予選から注目を集めるだろう。
出世ルートを作った点は評価
一方で、高校野球には「納得できない」ことも多々ある。美談をつくりすぎるマスコミもどうかと思うし、いまだにほぼ全員が丸刈りというのも異様だ。不祥事で出場辞退というのも、連帯責任が過ぎる。暴言・暴力も珍しくないし、「日本陸軍の伝統が最後まで残っているのが高校野球だ」と表現したくなる。
それでも、甲子園はとてもいい。球児に出世ルートを提供しているからだ。クラシック界のコンクールと同じである。出場し、ファイナリストに残るなどの活躍を見せれば、世に出るチャンスとなる。こういう出世ルートは、たくさんあったほうがいい。若い当事者にとっては希望である(もちろん、コンクール歴はなくても、甲子園出場歴がなくても、活躍している人も多数いることも覚えておきたい)。
心配なのは熱中症
しかし、とても心配なこともある。熱中症だ。もはや、「私の若い頃は水も飲まずに頑張ったもんだ」という昔話は通用しない。それくらい、暑さが過酷になっている。頑張りすぎて、命を落とす球児が出ることを覚悟しなくてはならない情況だと思う。そこまでではなくても、頭がボーッとしたところに打球が飛んできたりすれば、エラーで試合を壊すかもしれない。
かといって、球児たちの夏休み以外に開催の選択肢はなく、頭を抱えているのではないかと想像する。いや、私には二つの提案がある。
ひとつの方法は、サッカーのような予選リーグと決勝トーナメントに分けて開催し、甲子園は決勝トーナメント(ベスト8)以上に限定して開催することだ。夏休み期間中に、地域ブロックごとの予選リーグを開催して、8チームまで絞ればいい。これなら、甲子園では最大3試合の開催だ。中3日あけたとしても1週間で終わるから、甲子園の秋開催も可能だろう。難点は、阪神タイガースが優勝できない言い訳(死のロード)がなくなることだけだ。
ナイトゲームの活用を
もうひとつの方法は、試合を「早朝から2試合」「夕方から2試合」にすることだ。つまりはナイトゲームを併用して、炎天下でのプレーを避けるということである。
そしてこれは、電力需要を抑制するにも役立つ。「炎天下の午後2時に、多数がエアコンの効いた部屋で甲子園を観る」というのは、電力供給側にとっては地獄のような話である。それに比べれば、ナイトゲームの時間帯に電力を使ってくれるほうがいい。この話をきちんと理解してもらうことが、これからの日本のためにとても重要であるので、詳しく説明する。
ピークを抑えることが大切
市民生活も企業活動も、電力が支えているのが現代社会である。停電になるといたるところで損失が発生する。だから、電力供給側にとっての恐怖は電力が不足することだ。発電能力は常に需要を上回っていないといけない。原子力発電に頼らざるを得なかったのは、このためだと言っても過言ではないだろう。
その一方で、電力需要には波がある。昼間はさかんに使われるが、深夜になると需要が激減する。ピーク需要が大きくなればなるほど、電力供給のマネジメントは難しくなる。ピークにあわせなくてはならないが、あわせると、夕方以降、朝まで能力の大半が遊んでしまう。
だからともかく、電力に関しては、ピークを抑える努力をすることが、なにより大切だ。「脱原発」を口にするなら、なおさらである。ピークをもっと抑えれば、原発の再稼働は不要になるかもしれない。統計数値を出すまでもなく、日本の電力需要のピークは、エアコンがぶん回り、企業活動も活発な真夏の午後2時頃だ。ここに夏の甲子園がぶつかっているということである。
電力をもっと理解しよう
私自身の立場は、「時間をかけて脱原発を実行する」である。いますぐすべての原発をやめろ、と口にしたいところだが、その前に、ひとつひとつの努力を重ね、ピーク需要を減らさなくてはならない。ひとりひとりが、電力について、もっと理解を深める必要があると考えている。
3.11のあとに飛び交った意見を読んで、その思いを強くした。なかでも「コンビニの深夜営業をやめろ」という意見にがっかりした。深夜は電力が余っているから、そこでやめる必要はないし、そもそも閉店したところで、店内の冷蔵庫・冷凍庫は動いているから、たいした節電効果はない。むしろ言うなら、「13時から15時の間、コンビニを一斉休業にしろ」、あるいは「13時から15時の間、冷蔵庫・冷凍庫の扉をあけるのをやめろ」だ。
ほかにも、やれることはある。家庭内を直流化するとか、寿命のないバッテリを開発するとか、コジェネ発電と再生可能エネルギーの利用を中心とした分散型電力供給システムを普及させるとか、である(これについては、東京大学のナノテクノロジーのプロデュースもあり、いくつかのプランをもっている)。
まずはピーク需要を減らしてこその、脱原発である。
「サディストな傍観者」になってはならない
高校野球に話を戻すが、気になるのは、高野連とファンが「サディストな傍観者」になっているのではないか、ということである。熱中症になんの対策もとろうとしないのもそうだし、「フェンスに激突し、骨折しながらの好補」や「連投につぐ連投で肩をこわした悲運のエース」を楽しんで消費していると言っても、過言ではない。
頭からぶつかってもケガをしないフェンスにすればいいだけでしょう。そして、上で紹介した試合スケジュールにすれば、エースの連投も避けることができる。打てる手はあるのに、なにもしないのだから、「ケガをしながらプレーする球児」をショウ化するのが高野連という組織であり、「かわいそう」といいながら、サディスティックに楽しんでいるのがファンだ、ということになる。
高野連が自ら改革できない組織なのであれば(残念なことに、日本の組織はたいていそうである)、こういうところをきちんと指導してこその文部科学省の存在、ではないか。球児と電力を守り、脱原発に貢献する英断を期待したい。