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昔話01「PCとの出会いと直感」

1979年、大学には運良く現役で合格できたので、1981年に駒場から本郷に移動(進学)した。文学部で希望の講義をとったが、ひとつ誤算があった。ペルシア語の最初の講義に顔を出したら、学生が私ひとりで、やめられなくなってしまったのある。

先生は東京外国語大学の黒柳恒男教授。仕方がないからつきあったが、おかげで、1週間にサンスクリット語(原実教授)、パーリ語(早島鏡正教授)、チベット語(山口瑞鳳教授)、ペルシア語を同時にやることになり、予習で徹夜の毎日が続くことになる。しかも小人数講義(ペルシア語は1対1)。これは本当にきつかった。

とくにインパクトがあったのがチベット語で、山口教授の手書きテキスト(ジアゾコピー)しかない。このときに出版の矛盾に気がついた。チベット語は学術出版にさえのらない。

「いったいどうすれば、この知識を共有できる時代が来るのか」と思いながら本屋に立ち寄ったら、『Z80機械語入門』という書籍が目にとまり、なぜか買ってしまった。じつは教養学部時代も計算機の講義は忌避したので、コンピュータのことは、この書籍に出会うまで、まったく知らなかった。「マシン語? なんだそれ」という感じで手にとったら、おもしろくて買ってしまったのである。

これが1981年4月の話だ。5月にはビジネスショウがあり、富士通がついにFM-8でPC市場に参入ということが大きなニュースになった。私のような文学部生でも、バイト代をためれば買える価格だ。思わず節約して、買ってしまう。Z80のマシン語で予習しているので、選択肢はMZ-80B(シャープ)しかなかったのである。正確には覚えていないのだが、おそらく購入は1981年の6月くらいだったと思う。

「教科書の共有」という直感

『Z80機械語入門』を読んで、欲しくて欲しくてたまらなかったPC。やっとMZ-80Bを購入し、楽しくマニュアルを読んだ。これが最初に触れたコンピュータである。私には二つほど直感があった。

  • みんながPCをもつようになれば、研究室のコンピュータと電話回線でつなぐことで、チベット語の教科書なども共有できるようになる
  • 知識を教え込めば、サンスクリット語の翻訳もできるようになる

MZ-80Bカタログ
とはいえ、まずはコンピュータのことを知る必要がある。買ってすぐに、プログラミングをやりだした。生まれて初めてのコンピュータ体験だったが、『Z80機械語入門』を読んでいた成果か、とくに悩むことなく、3日ほどで思い通りに動かせるようになった。

最初に書いたのは、サンスクリット語の活用を知るプログラム。次に書いたのがオセロのプログラム。オセロのプログラムはカンタンなロジックを組んだだけだったが、下宿に遊びに来る友人たちはこいつに連戦連敗。なかなか気持ちよかった。

PCを購入したのは、安田講堂の下にあった大学生協のパソコン売り場だった。当時はBBSもまだなく、雑誌も『アスキー』『I/O』『マイコン』くらいのもの。パソコン売り場は貴重な情報源で、そこで顔をあわせる学生とは自然と挨拶をするようになった。1981年秋には、工学部生の粕谷昌朗君と理学部生の吉村伸君らと仲良くなり、いろいろ教えてもらった。

粕谷君はPC-8801、吉村君はFM-8のユーザーだった。CP/M-80を教えてくれたのも彼らで、私はバイト代をためて5.25インチ・フロッピードライブを買い、CP/Mを走らせた。高かったな。たしか33万円だった。しかもメディアが1枚2,200円で、10枚単位で買うのに「勇気」がいった時代だ。

いまの学生たちはめぐまれている。