わざわざ比較級にすることなかれ
自分が推したいAのために、Bをけなす人がいる。「吉野家の牛丼はすばらしい」だけで済ませておけばいいのに、「松屋なんか、比較にもならない」とまで言う。松屋のファンは、どうすればいいのだ? そんなの人それぞれの好みでしょう。相手の好みを否定することは、相手の人格を否定すること。そんなの、よほど仲のいい相手にしか、ふつうはやりません。

いきなりがっかりさせて、なんのトクがある?
組合(ディスクユニオン)や塔(タワーレコード)などに立ち寄り、買ってきたCDを紹介していると、「それを買うくらいなら、これを買うべき」とわざわざ書く人がいてびっくりしたことがある。なにをエラソーに、いや違った、どうもご親切に。でもねえ、買った直後に「そんなの買うのか」と否定された相手は、どう感じるか、考えてみたことないですか。買う前に口をだすならまだしもさ。
「感動した」と書いている人に向かって、「私は嫌いです」とわざわざ書き込む人も、神経を疑う。嫌いだといちいち表明しなくても、誰もあなたの趣味を気にはしていませんよ。

相手を認めてこそ、会話は成り立つ
いきなり相手の選択や好みを否定するのは、人格を否定するのと同じこと。そしてそうしてしまうと、会話はまず成り立たない。コメントするほうはいい気分かもしれないが、されるほうはムカついている。これは、喧嘩・競争のやり方だ。
もしも自分の意見を通したいなら、まず相手を認めること。相手の選択、相手の趣味、相手の意見を受け入れること。そうでなければ、相手は聞く耳をもたない。「いい買い物されましたね。私もその演奏、好きです」から始めて、最後に「機会があったら、この演奏も聴いてみてください」と自分の推しを出す。これが「説得」の方法論。喧嘩してもマウンティングしても、結末はブロックされるだけ。説得してこそ、あなたも生きるのですよ。

演奏家の私服写真はやめておきましょう
演奏家を紹介すること自体は悪いことじゃない。でも、とくに女性演奏家の私服の写真を投稿すると、反感をもたれることが多い。たぶんその理由は、私服写真が「個人的に親しいこと」を暗示しているから。美人だったり、セクシーだったりすればするほど、反感の程度も大きくなる。野球選手ならユニフォーム姿、女性演奏家ならドレス姿の写真が、やはり自然。プロはプロらしく扱うべき。オフなどでの集合写真なら、自然だが。

「書き込むのが怖い」と思わせないで
詳しい人が多くて、うっかりしたことを書けない、と恐怖心を抱かせるようでは、初心者にやさしくない。コメントするときは、投稿者を思いやることも必要。明らかにFacebookにも慣れていない人の投稿に、山のようにコメントがついただけで、もう萎縮する。いろんな人がコメントしているなら、「いいね」で自分の意見を表明するくらいでいい。そうそう、Facebookの仕様で、古いコメントは折り畳まれている。コメントするなら、過去のコメントをすべて読んでからにするべき。

原理主義、反対
私は性格がいい加減なので、黒白はっきりつけるのも好きじゃない。というか、そうそう黒白はつけられない。「クラシックのグループなんだから、クラシック以外の投稿はするな」なんていう厳しい考え方は、やめておきましょう。だいたい、自分のタイムラインに投稿するつもりで、クラきこに投稿するうかつな人もいるのよ。他人の失敗にはやさしく、自分の失敗には厳しくが鉄則。そしてたまに脱線してもいいでしょう。脱線スレッドも不協和音スレッドもカレきこスレッドも用意してある。これは、発言する機会を増やすため。
「ナチに協力したカラヤンを扱うな」とか、「セクハラ事件を起こしたXXの話題はすべて消せ」なんていうのも、ご遠慮いただきたい。大河ドラマじゃあるまいし。罪を憎んで演奏は憎まずでいい。
そうだ。原理主義的自警団もイヤです。ステージ写真をアップしている人に対して、「撮影禁止のはずだ」と暴れる。日本と海外とでかなり違い、海外ではカーテンコールの写真は撮影Ok、SNSにもどんどんアップして、というルールになっていることが多い。目くじらたてる人、嫌い。「どうぞごゆるりと」と書いているでしょう。

女性へのメッセージは、ほんとやめてくれ
ルールで触れたけれども、メッセージや友達申請はクラきこへの営業妨害ですよ。そういう一部の人のために、投稿しなくなったり、コメントしなくなったりするんですから。
こういうコミュニティでは、さらりとした人間関係をデフォルトにして、「気がついたら仲良くなっていた」が理想。そうでない場合は、無理が出る。親しくなろうとして、逆にブロックされるなんて、ナンセンスすぎる。上手にやってください。複数の女性から「この人からのメッセージがしつこくて困ってる」と相談されたら、退会措置をとらざるを得なくなるわけよ。
「被害者」に話を聞くと、アドバイスや露骨な誘いがメッセージで飛んでいるようだ。タチが悪いのは前者で、本人はたぶん善意なんだろうが、相手にとっては、上から目線の価値観の押しつけである。「私のほうが専門なんだけど」と舌打ちしていたりするわけだ。メッセージで偉そうに説教するオヤジが歓迎されるはず、ないでしょう。
後者は、もっとタイミングを意識したほうがいい。いきなり友達申請して、いきなりタイムラインを覗き込んで、「私も同じ趣味をもっています。こんど一緒に行きましょう」と言われても(実話)、相手は恐怖心しかもたない。たいして親しくもないのに、私生活にズンズンと足を踏み入れてこられる感覚になるからだ。まずはグループのコメントで、さんざんやりとりして、打ち解けてからだよ。

自慢しても、モテないよ
もう数年前になるが、「演奏会が終わり、拍手をしていたら、隣の男性からいきなり『こんな演奏に拍手するなんて、たいした演奏を聴いたことがないんだね』と声をかけられた」というコメントを読んで、椅子から転げ落ちそうになった。それに反応したら、次は「今度、とびきりの演奏会に連れていってあげるよ」というセリフを用意していたと思われるからだ。
いや、ないでしょ。無理無理。どうして「いい演奏でしたねえ」という共感から、始めないのかね。知識自慢しても経験自慢しても、モテないって。「ヘッドライトがつかなかったの」という電話をもらったら、「バルブを確認しろ」じゃなくて、「大変だったね」とまずは反応すべきなんだよ。なお、モテたことのないお前が言うな、という反論は受け付けません。絶賛反論規制中。

演奏家とFB友達になりたがるのが、わからない
入会申請があると、いちおうタイムラインをチェックする。新興宗教の方とか、情報がなにもない方とか、たくさん投稿しているのに、いいねがひとつもついていない人とかは、入会はお断り。それとは別に、友達リストに女性演奏家ばかり2,000人ほど並んでいる人なども、お断り。コレクターですね。だいたいこういう人にかぎって、タイムラインに演奏会に行ってきたという投稿がない。
演奏家は人気商売なので、友達申請されたら断りにくい。それでも承認するってことは、その時点で「FB友達」=営業リストにしかなっていないということ。本当に会って、友達になってから、申請するのならわかる。「クラきこに投稿すると、友達申請がやたらときてウザイ」なんて、言われたくないでしょう? 会ってもいない、親しくしているわけでもないのなら、フォローにしておけよ。

「管理人」とアゴで使うのはやめてほしい
そもそも「管理人」とか「管理者」と言われること自体、好みません。ここはコミュニティです。サービサーとクライアントではなく、みんながメンバーなのです。「管理人なんだから、あなたは黙ってろ」(黙々と掃除だけしてればいいんだ)とか、「おい管理人、なにやってるんだ」(ゴミが落ちているから早く拾え!)などと怒鳴りつけられたことが過去にあり、その日からしばらくは落ち込んでましたよ。
利用料を私がいただく関係(ビジネスサービス)なら、「そこにゴミが落ちているからきれいにしろ」と言われても我慢する。そうじゃないでしょ。「ゴミが落ちています。なんとかしていただけませんか」と言われたいし、「私が拾っておきました」と言われたら、もっとうれしい。コミュニティは、全員が当事者です。全員が与える人であり、受け取る人です。

誰もが安心して投稿でき、楽しめるグループへ
これからどうしていきたいか。ともかく、誰もが安心して書き込めることがいちばん。その「誰も」の中には有名演奏家も含む。投稿した瞬間、メッセージや友達申請が殺到したり、あるいはネガティブな批判を書き込まれたりするようでは、迎えいれることができない。
過去、演奏家と聴衆が、同じ場を共有して、コミュニケーションを深めていったことが、ありますか。ありませんよね。クラきこはその可能性を秘めていると思う。すでに、グループで知り合った人が演奏家を招いて、継続的な演奏会を開催したり、音楽祭をやろうという話でもりあがっていたりする。すべてその萌芽。大事に育てていきたいし、そのためには、全員の自覚が必要なのです。

まずは、メッセージではなくコメント、友達申請ではなくフォローから!
そして、古い録音の話題もいいけれど、新しい録音、新しい演奏、いまを生きる演奏家も聴きましょう。

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