二度目の緊急事態宣言が発出され、さらにそれが延長されるかも、という事態になっている。手帳をみると、2020年1月16日に「国内初の感染者確認」とメモしてあった。もう1年以上になるわけだ。
このままでいいのか? いつまで続くのか、と誰もが思っていることだろう。
政権を批判しても感染者は減らない
はっきり言って、政治にはがっかりしてばかりだ。とくに野党のものの言い方が気になる。国会での質疑応答を聞いていると、「政府・政権を批判する道具」としてコロナを利用しているとしか思えないからだ。野党にとっては、対策がうまくいかないほうが、すなわち感染が拡大するほうがいい、という構図に見えてしまう。
こうしているいまも、命を落とす方も、近親者を亡くして悲嘆にくれる方も、後遺症に悩む方も増え続けているのが新型コロナウイルス感染症である。モリカケ桜と同じようなアプローチをするのは間違っている。人の命がかかっているのだ。誰が悪い、何が悪いという議論よりも、「もっとこうしてはどうか」という議論をしていただきたい。与党も野党もないと思う。責任追及は、感染拡大を抑えこめてから、ゆっくりやればいい。
「早く経済対策をせよ」「GoToキャンペーンはまだか」と批判し、実行したら「そのせいで感染拡大した」と批判するようでは、立場が気楽にすぎる。「我々が政権をとったら、感染対策をうまくやる」と言われても信用できない。いまはウイルスと戦争中なのである。あれが悪いそれが悪いではなく、「与党と一緒に感染拡大を防ぎます」「生活を守ります」というのが、正しい態度ではないだろうか。ウイルスに支持政党があるとは思わない。与党の失点をカウントするより、自分たちのすばらしい提案で点数を稼ぐほうが好感をもてる。
これはテレビ局に対しても言いたい。第四の権力たるマスコミは、政治権力を監視するのが大きな役割のひとつだ。しかし、豪雨予想で「命の危険がある。いますぐ避難を」と連呼するのと同じように、いまは感染拡大を防ぐための基本的な知識を連呼するべき段階だと考える。
感染拡大がとまらない原因のひとつは、自分たちの番組づくりにある、という自覚をもつべきだ。電波資源は私有財産ではない。国民の財産であり、だから免許制で割り当てられているだけである。一日中、マスクの正しい扱い方や手指消毒のやり方、換気のテクニック、黙食の勧めなどを放映してもいいくらいだ。
マウスシールドの効果(がないこと)の可視化などもいいだろう。ビジュアルで情報を伝えられる自分たちの特長を生かして欲しい。お笑い芸人や似非学者のコメントが、なんの参考になる? まっとうな医学者のまっとうな意見を編集でカットするくらいなら、素人のコメントをカットすべきだろう。
人的リソースの浪費は利敵行為
つくづく感じるのは、経済的合理性は危機に弱い、という事実だ。「ムダ」を削いでいくと、緊急事態に対処できなくなる。入札でひたすら安く請け負うところを選択しているうちに、地元の土建業者が淘汰され、道路復旧や除雪作業を引き受ける業者がいなくなる。医療も話は同じだった。
安穏に「ムダ」を削りまくったところにやってきたSARS-CoV-2である。保健所も厚生労働省も猫の手も借りたい状況だろう。神奈川県で自宅療養者に貸し出すパルスオキシメーターの30%が未返却というニュースが流れていたが、そんなの、「返却してください」と催促する人的リソースがないからに決まっている。優先順位が低いだけの話だ。
この現実を把握できていれば、そして「感染拡大の責任を問うのではなく、感染拡大抑止に我々も協力する」という態度であれば、当然に、議会で質問する内容をもっと吟味するはずである。後ろ向きの批判や悪魔の証明を求める質問で、官僚に答弁準備をさせるのは、緊急事態に対処する人的リソースをいたずらに浪費するだけ。はっきり言うが、これは国家的損失だし、利敵行為である。
明らかに不勉強な方が、研究成果も実績も十分な専門家の中の専門家に対して、恫喝するような、責任者を吊るしあげるような、ひどいときは犯罪者に尋問するような言い方をするのも気になって仕方がない。「参考人」として来ていただいているのだ。医学にも疫学にも微生物学にも素人のあなたは、教えを請う立場にあるという基本的な事実を忘れるべきではない。
そんな対応ばかりしているから、「研究を優先したい」と参考人招致を断る専門家が出てくるのだ。人の時間をなんだと思っているのか、ということである。専門家の立場からすれば、自分が出ることで必要な情報が周知され、感染防止に役立つなら行く、そうでないなら行かない、と判断するに決まっている。
「ファクターXは幻想」説
ところで、欧米の感染大爆発に比べると、日本の感染拡大は抑えられていたから、半年前は「ファクターX」がさかんに議論されていた。BCG接種説などもそのひとつだ。しかし、この冬の感染爆発と重症化率などの数字を見ると、そもそもそんなファクターXなんてものは、なかったのではないかと思う。
結局、「その場に感染者がまじることによるリアルタイム感染」がある程度増えてくると、感染爆発してしまうのだ。半年前のわが国は、感染経路がまだ追えており、リアルタイムに感染者と同席する可能性は小さかった。気にすべきは接触感染のみだったのである。
もういまの日本は異なる。イベントで1,000人集まると、不顕性感染者が数名はまじっていると覚悟すべきだ。喫茶店などで実施されたカラオケ大会のクラスターが次々と出ていることが示すように、もう「友人の友人」には感染者がいる、という状態である(念のためだが、カラオケボックスでのクラスターはまだ報告されていないと思う。喫茶店でのカラオケとカラオケボックスの違いは、換気基準の相違である)。
こうなるともう、なかなか感染拡大を止められない。ファクターXなんてものは、幻想だった。たんに、靴を脱ぐ、毎日入浴するといった生活習慣もあり、昨冬から昨春にかけては、リアルタイム感染が抑えられていただけだと私は思う。日本人は集団免疫をすでに獲得している説にも懐疑的である。気がつくと、重症者が増え、20代の若者の死亡例も出てきている。
もはや、「隣の隣は感染者」だと考えて行動するほかない段階である。食事をするなら換気のいいお店。料理が出てきたら黙々と食べ、片づけてから、マスクをして談笑する。これがいまだけの新しい食事のマナーだろう。
緊急事態宣言が出ているのに、20人の大人数で弁当会食をしたことを批判された某政党の政治家が、「食べたのは1,000円の弁当。それで『会食』と言われても……」と反論したのを見て(当該記事)、感染防止策を「理解してもらう」ことの難しさを改めて感じた。
この場合、正しい反論は「20人で食べたけれども、黙食(仏教用語としては「もくじき」)に徹したし、換気も頻繁にやった」である。料亭のようなところで高価な料理を食べることを避けろ、と言われているのではない。「話しながら食べる」ことがリスクだという話である。食事しながらだと、どうしてもマスクをとってしまうし、話せば料理に飛沫をとばす。そもそも部屋に20人も入るのは「密」である。なにも理解していないことが言い訳で露呈する。残念なことだ。
対策に穴があると考えるべき
感染拡大の責任は、全員にあると考えるべきだと私は思っている。ひとりひとりが感染を防いでいれば、この病気はひろがらない。感染したタレントが首をひねっていた。「手洗いをし、マスクをし、万全の対策をとっていたのに、なぜうつったんだろう」と。申し訳ないが、「万全」じゃなかったから、感染したわけだ。
さすがに1年が経過し、この病気についていろいろとわかってきた。まず、「3密を避けろ」と日本の研究者たちがいち早く指摘したのは、じつに正しかった。結局、海外も「3C」(Closed spaces/Crowded places/Close-contact settings)を避けろと追随している。その上で、もちろん対人関係では距離をとり、マスクをして飛沫をとばすのを抑え、換気をし、手洗いを頻繁にする。これが現行の対策である。
それでも、感染拡大がおさまらない。ふつうに考えて、その理由は対策に穴があいているからである。その穴には、次の3種類があると思う。
- まったく対策になっていない、という穴
マウスシールドでオペラ練習している写真を見て、卒倒しそうになった。しかも、窓がなく、換気しづらい地下の練習場である(後日談として、やはり感染者が出たという)。 - ふと気がゆるんだ瞬間に生じる穴
喫煙室や、スポーツクラブの更衣室でのクラスターがこれに該当する。ついうっかり密にしゃべってしまった、というやつだ。どちらも無言で通せば、感染はしなかった可能性が高い。 - 対策すべきなのに、それが必要と周知されていない穴
家族が鼻をかんだティッシュなど、対策が必要な筆頭だけれども、その危険性については周知されていない。そろそろ花粉症の季節だ。何割かは、そこに新型コロナウイルスもわんさかいる。
順に補足していこう。
「やったつもり」がいちばん危ない
穴だらけの対策をしながら、やったつもりになるのが、いちばん危ない。たとえば、ウイルスを不活化する能力のない濃度のアルコール消毒液を使いながら、手指を消毒したつもりになっている例だ。「これで安心」とあれこれやってしまうと、じつに危ない。
アルコールでいうと、濃度70%以上95%以下のエタノールであることを確認して使う必要がある。ケチケチして、水を足して使うなんていうのは、厳に慎まなくてはならない。化学物質は濃度が重要だ。
石鹸による手洗いでも、ウイルスがひそむ爪の間をしっかり洗う必要がある。水で流すだけでも、ウイルスを減らす意味はある。水でもいいから、頻繁に手洗いすべき、という学者もいるし、その通りだと思うけれども、石鹸があり、時間もあるなら、丁寧に洗うにこしたことはない。
そして最初から意味のないことを、対策だと思って実行するくらい、ナンセンスなことはない。代表例が、マウスシールドと空間除菌だ。そもそもマスクが推奨されるのには、二つの意味がある。第一は、飛沫・エアロゾルの多くをブロックするということ。第二は、自分が飛沫を周囲にまき散らすという迷惑を防ぐということである。
マスクのかわりにマウスシールドをしている例もよく見かけるが、クシャミや咳をするところを想像してみればいい。飛沫を周囲に飛ばしまくるのも、エアロゾルを吸いこむのも防げるわけがないだろう。感染者がクシャミをすると、数千個から数百万個のウイルス入り飛沫(droplet)が吐出されるという。
オペラの練習では大きな声が当たり前だ。しかも継続して何人もが声を出す。それをマスウシールドでやるのは、プロとして失格だろう。情弱にもほどがある。埼玉県で起きた劇団練習の大規模クラスター(91人中76人が感染)でも、感染者がマウスシールドで練習に参加していたことが判明している。そのニュースを読んでいるはずなのに、まだマウスシールドでオペラの練習かと、暗澹たる気持ちになる(責任者は団員を守る意思がないのか? 声楽家が罹患して重症化したら、二度と舞台に戻れないかもしれないのに)。
空間除菌は「効果があるなら、除菌だけじゃなく、除人にもなる」に尽きる。二酸化塩素やオゾンなど、さまざまな空間除菌製品が宣伝されているけれども、よくよくエビデンスをみると、「180分間で浮遊ウイルスを99%不活化」だったりする。隣の人がウイルスを吐出すると、(マスクがなければ)0.1秒で鼻の中に入ると言われているのに、180分間がかりでのウイルス不活化では、ものの役に立つはずもない。
さきほども書いた通り、化学物質は濃度が重要だ。濃度を濃くすれば、感染防止に役立つ、もっと短い時間で効果を出せるだろう。ただ、その濃度にすると、室内にいる人間にも影響が出る。呼吸器障害が考えられるほか、下手をすると死亡することもあり得る。だから薄い濃度で提供しているわけだが、そうなると不活化に時間がかかりすぎ、実効性は疑わしい。わかりやすく説明されている例があったので、リンクを貼っておく(画像診断医k「空間除菌や消毒薬噴霧のカラクリ教えます」)。
ついうっかり、は人間の常
2の「ふと気がゆるんだ瞬間に生じる穴」も見過ごせない。フィットネスクラブのクラスター事例は、更衣室でのおしゃべりが原因だったという。ほっとしたところで、ついうっかり、マスクをとったまま話しこむ、というのが危険なのだ。喫煙室クラスターも話は同じである。専門家たちは、これを「居場所の切り替わりに注意」としてまとめている。
しかし、これは責められない。これが人間である。心のどこかに「失礼だ」という感覚もある。「お客さんの中には、わざわざマスクをとり、飛沫感染防止シートも手でめくって、話しかけてくる人がいる」と店員が恐怖体験をつぶやいているのを読んだことがある。そうしないと失礼だという気持ちがあるのではないか(こういう方にかぎって、「感染するかもしれないので、シートを元に戻し、マスクをして話してください」というと、「私が感染者だというのか! 失礼じゃないか」と怒りだしそうなところが厄介)。
ちょっとどうにもならないな、と思うのが、マスクの真ん中をつまんで、位置を修正する人がきわめて多いことだ。もしもマスクがウイルスをブロックしてきたとすれば、そこにウイルスが集まっている。わざわざスイートスポットを指で触って平気という感覚がわからない。
なくて七癖のひとつだと思う。かつ、次の瞬間に、その指をなめて書類をめくったりするわけだ。鼻を出している人も目立つ。つまりマスクをしても、そのマスクの取り扱いを間違えると、やはり感染リスクは残る。最後まで気を抜かないことである。
床とゴミの処理が穴
3の「対策すべきなのに、それが必要と周知されていない穴」を説明する前に、これまで注意喚起されてきた感染防止策をまとめておく。
- 頻繁な手洗いとドアノブなど手の触れるところの消毒
- ソーシャルディスタンシング
- マスクやフェイスシールド(目を保護するのも大事)
- 頻繁な換気(エアロゾル感染を防ぐ)
以上である。私は大きな抜けがあると思っている。ソーシャルディスタンシングが有効なのは、距離をとると、その間に大半のウイルス入り飛沫(droplet)が下に落ちるからである。その、落ちた床のdropletは放置されたままだ。しかも、SARS-CoV-2はモノの表面で何日も感染力を保ち続ける。
不安なのは、飛沫の唾液が乾燥した後である。感染力をもったSARS-CoV-2が再び舞い上がる。人が歩くだけでも舞い上がるのに、日本人はきれい好きだから、毎日のように掃除機をかける。学校ではみんなで掃き掃除をする。結果、ウイルスを部屋中にまき散らして感染リスクを増大させる。
私は昨年暮れのこの写真を見て驚愕した。みんな、怖くないのか。そして新聞はどうして平気でこんな写真を掲載するのか。年末恒例の「煤払い」の様子だ。
危機感のなさにあきれるばかりだ。ここに不顕性感染者がいなくて本当によかった。前日に感染者がいて、僧侶と一緒にお経・お念仏をとなえていたりするだけでも、感染リスクは高まる。ともかく、こんな危険な作業をするのに、軽装に過ぎるだろう。この冬に不特定多数がやってくる場所の床掃除をするなら、これくらいの服装はしなくてはならない。
ゴミ処理も、いまやリスクが高い。鼻をかんだティッシュがウイルスだらけ、という可能性があるからだ。こちらも、鼻水が乾燥してくると、ウイルスが浮遊する恐れがある。防護服までは大変だから、まあ、マスクとゴーグルで目・鼻・口を守ってそおっと近づき、上から袋をかぶせ、そおっとゴミ箱を反転させて袋に入れ、そおっと密閉する。そして手を徹底的に洗う、というやり方になるだろう。
自宅療養の感染者への対応も、ゴミ処理が鍵になると思う。部屋にこもってもらい、隔離する。タオル類は分け、洗濯物は自分で洗濯機につっこんでもらい(あるいは部屋に隔離し)、食事は使い捨て容器での提供とし、部屋の外に置く、など、留意すべきことは多々ある。トイレを使うときはマスクと手袋をし、男性も座って静かに用を足して、蓋をしてから流す。
ここまでやっても、ゴミ処理をうかつにやると、やはり家庭内感染が起きてしまうだろう。この冬の感染者の内訳をみていると、家庭内感染が増えている。基本的に家庭は「密」な環境であることが大きいと思うが、床とゴミの処理に穴があいていることも、その大きな理由かもしれない。
ウイルス入りの飛沫の大半が下に落ち、そしてそこで長くウイルスが感染力を保つ以上、うかつな掃除、うかつなゴミ処理は危険だ。日本の感染予防策には大きな穴があいていると私は考えている。小学校や中学校で、生徒に教室掃除をさせるのも、見直したほうがいい。
感染予防策に床対策・ゴミ対策という二つの大きな穴があいているというのは、私の仮説である。そしてこの仮説に基づき、解決策も用意した。昨年開発したMISTECT(床対策に向く)と、つい最近発売したBNUHC-18(生活環境の除菌とゴミ処理に向く)である。
それぞれの詳細はブランドサイトを参照していただくとして、ここで指摘しておきたいのは、床対策もゴミ対策も既存の消毒剤では対応しきれない、ということである。アルコールを床に広く噴霧すると、爆発・炎上の危険がある。次亜塩素酸系の薬剤は扱いが厄介だ。次亜塩素酸ナトリウムはスプレー式で使うと、吸いこんでの肺炎もあり得る。次亜塩素酸水は、汚れに反応してしまうので、事前に床もゴミもきれいにしておかなければいけない。
また、アルコールも次亜塩素酸ナトリウムも、唾液や鼻水まみれのティッシュに使ったとして、ウイルスを不活化できるかどうかは、かなり謎である(体液で失活する可能性がある)。こんな基本的なことさえ、つまびらかになっていないのは、かなり不満だ。
私は、薬機法を時限立法でもいいから見直すべきだと思っている。医薬部外品だろうが雑貨品だろうが、国が試験して効くものは新型コロナウイルスの消毒に使えるべきだし、「ウイルスに効く」かどうかではなく、「感染予防に効く」かどうかを国の機関で試験して、認証して、それをリスト化して公表するような仕組みがあってもいいだろう。