4月9日に緊急事態宣言という形でロックダウンを「お願い」されてから、5日が経過した。この間に起きたことについて、記録の意味も含めて、つらつらと書いておく。
宣言を受けて、4月10日に東京都が「休業要請」を出した。クラスターを出しやすい夜のお店などが並んでいる。正確を期すため、東京都の資料をそのまま引用しておく。
民主主義の根幹が揺らいでいる
さて、休業のお願いがあると、出てくるのは休業補償の要求である。東京都は独自に中小企業、個人事業主に対して「感染拡大防止協力金」を創設するという。当然の施策だと考えるが、これに対して、「パチンコ屋には補償するな」という趣旨のツイートが流れており、衝撃を受けた。
気持ちはわからないでもない。「パチンカス」(パチンコ依存症患者)をつくっているだけだ。なくてもいいという気持ちもある。業界には闇的な部分もきっとどこかにあることだろう。
しかし、パチンコ店は社会的にも法的にも、営業を認められているビジネスである。そこに個人の「気分が悪い」という価値判断を持ち込んで、「補償に反対」というのは、到底、認められる態度ではない。民主主義の根幹が揺らいでしまうからだ。多様性を認めること、たとえパチンカスであったとしても、その人権を認めることが、民主主義の絶対条件である。
関連して思い出したのが、「祖母がオペラを歌うクラシックの声楽家でした」という友人が教えてくれた、太平洋戦争中の逸話だった。もう、いたたまれない話である。というのも、「いつも敵国の歌をうたっている。スパイだ」などと陰口を叩かれ、子連れの彼女は、空襲警報が鳴っても、防空壕に入れてもらえなかったのだそうだ。
いまの私たちの価値判断からすれば、どうみても人権侵害である。防空壕に入れなかったということは、彼女とその子供たちを「死んでもいい存在」と周囲が価値判断したということだ。
パチンコ店には補償するな、という態度は、これと同じではないか。「最近は、どの家も在宅で、空き巣することができず、売上が激減している。補償してほしい」という違法行為への補償要求なら、「断れ」というのもわかるけれども。
そもそも「価値」を判断できるのか
なにより、価値を判断する、という行為そのものが怪しい。価値は人によって異なる。絶対的な価値など、世の中に存在はしない(ゴールドでさえ、価格は時々で変わる)。
さきほどの声楽家の逸話に絶望してしまうのは、母娘を見殺しにしようとした人々の残酷さに、ではない。オペラ歌手だから、彼女はじつのところ、イタリア語とドイツ語の歌をうたっていたのである。イタリアとドイツと言えば、日本の同盟国じゃないか!
当時、オペラを原語で歌いこなす声楽家は、そんなに多くはいなかったはずで、同盟国からVIPが来れば、彼女は晩餐会の貴重なおもてなし要員として招集され、歌唱を披露し、やんやの喝采を受けたかもしれない人物である。すなわち、日本という国全体からみて、大変貴重な人材だったのだ。
その彼女を、防空壕から追い出した。そしていままた、同じ過ちを繰り返しそうになっている。ここに絶望せざるを得ないのである。
トリアージが危ない
それくらい、個人の価値判断など、あてにはならない。私がいま危惧しているのは、パチンコ店バッシングを許してしまうと、つぎは新型コロナウイルスによる医療トリアージの現場でも、ひどい差別が横行するのではないか、ということである。
COVID-19で危惧されているのは、医療リソースが足りなくなることだ。とくに重症化する患者が多数になった場合、生命をつなぐための人工呼吸器と、それを扱える医療従事者の数が足りなくなる可能性がある。
そうなると当然、トリアージを行うしかなくなる。11人の重症患者に10台の人工呼吸器だとすれば、余る一人をどういう基準で選ぶのか。ここで唯一頼りにしていいのは、年齢だけだ。未来のある若い人から順番に治療していくほかない。ほかの価値判断をもちこむと、すべて差別となるだろう。
裏返すと、「私はこんなにも貴重な人材なのだ」といくら言ったところで、その集団においての最高齢だと、もう見捨てられるほかない、ということだ。隣の若者は、いまは冴えないように見えるかもしれないが、生きていれば、ノーベル賞をとるような業績をあげるかもしれない。誰もここで価値判断など、できるわけがないのである。どんな仕事をしていようと、生命の重さは同じ。年齢以外につけられる順番はない。
昨日も、こんなに自粛を要請されているのに、居酒屋でワイワイやっている中高年の男性を見かけた。運が悪いと、自分がトリアージされる側になるという想像もできないのか、と情けなく思う。この現実を把握する能力があるなら、ともかく出歩かないことだ。感染過剰(オーバーシュート)を防ぐことができれば、まだ、罹患しても助かる見込みがある。
休業補償より生活保証を
東京都は休業を要請した相手に対して、「感染拡大防止協力金」を払う構えを見せているが、混迷を深めているのが国の政策である。休業補償をどうするかで、二転三転しているように見える(企業相手には、すでに無利子の融資制度など、さまざまな支援策が用意されていることも書き添えておく)。
私は、「休業補償」という考え方そのものを改めるべきだ、という意見である。それぞれのビジネスの売上を補償するのは、明らかに財政的に無理だ。そもそも、この状態がいつ収束するかわからないという、大きな問題もある。
それを踏まえると、ベーシックインカムあるいは同様の考え方で、生活を保証する政策を採用すべきだと考える。企業を支援するのではなく、市民を支援するということである。
首相自ら口にしたように、公務員など、急に収入がなくなることのない立場の人もいれば、演奏家のように、コンサートがすべてキャンセルとなり、楽器の個人レッスンも中止せざるを得ず、収入が激減する立場の人もいる。政策のターゲットは後者であるべきだし、だとすると、とるべき手は「外出自粛が続く間の生活保証」であるように思うのだ。
しかも、支援は緊急性も要する。まずは希望者に現金を配布し、そのかわり、確定申告を義務化して、来年春に調整をするという政策はどうか。マイナンバーはすでに国民に告知済であるのだから、消し込みなどの管理はそれでやれるはずだ。