質問をいただいた。
<それなら何故多くの研究者が『コロナワクチンは危険だ』と判断しているんでしょうか。我が国の審議会には安全だという研究者のみが入っています。それはフェアじゃないと思います。>
もう少し言葉を補うと
「ワクチンは危険であるという研究者も多いのであるから、彼・彼女らを交えて公正に議論して判断するべきなのに、ワクチンは安全だと主張する研究者だけで審議会を構成している。これは出来レースであり、アンフェアだ。したがって審議会の結論は信用できない」
ということだろう。
判断の材料は意見ではなくエビデンス
「ワクチンは危険だという研究者が入っていない」「フェアじゃない」という意見をするくらいだから、国の審議会(厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会)は「主義主張を戦わせて判断している場」という想像をしているようだ。この認識がそもそも間違っている。
ワクチンについての政策判断は、エビデンスによる判断だ。Evidence Based Practiceの一種である。委員の主義主張ではない。
- 治験結果に基づいて承認
- 成分分析や工場への立ち入り検査などで品質管理
- 副反応疑い報告で健康被害の発生を監視し対応
- 統計を駆使した分析で接種の効果を確認
というループでワクチン接種は管理されている。治験結果が悪ければ承認されないし、品質管理に問題があれば接種中止になる。副反応疑い報告で健康被害の兆候が見つかった場合や、統計分析で効果が確認できなかった場合も接種は中止だ。事実、副反応疑い報告で、若い男性へのモデルナワクチン接種において、軽い心筋炎が発生したことから、接種が中止されている(若い男性には途中から他のワクチンを接種している)。
そしてとても重要なことだが、薬事承認の際に参照した資料や副反応疑い報告の内容、そして効果分析の結果など、審議会で判断のもとになったエビデンスは、すべて公開されている。これをフェア/アンフェアという概念で評価するのは誤りだ。エビデンスのトランスペアレンシー(透明性)が重要なのである。
接種に反対したいなら、エビデンスを出せ
透明性がなぜ重要かというと、エビデンスが公開されていることによって、誰もが判断に異議を唱えることができるからである。主義主張に反対するには、別の主義主張をぶつけて説得するしかないし、そのためにはそもそも委員に選ばれていないといけないが、エビデンスベースの判断に対しては
- 使われたエビデンスが間違っていることを証明するか、あるいは
- 分科会の判断に使われたエビデンスを覆す新しいエビデンスを出す
ことで、審議会の結論に異議を唱えることができる。つまり、審議会委員でなくてもワクチン接種を中止に追い込むことは可能なのだ。というのも、判断材料となるエビデンスは、審議会とは別の世界で積み重ねられているものだからである。それが医学論文の世界である。
接種に反対したいなら、「ワクチンは危険で、接種を中止すべきであること」を証明する研究論文を発表すればいいのである。世界の研究者の誰もが「この研究はすごい!」と嘆息するような内容で、その結論が科学的コンセンサスとなれば、厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会はそれを無視することはできない(無視をすれば、国を被告とする国家賠償請求訴訟で負ける確率が高くなる)。
現実にはどうだろう。「ワクチンは危険だ」と主張する一般向け書籍や動画や講演会(など、お金を稼げるコンテンツ)は多数だが、医学論文はほとんど出ていないし、発表されたと思ったら、統計分析の誤りなどを指摘され、mRNAコロナワクチンで心臓関連死が増加すると結論した論文も、がんが増えているとした論文も撤回処分だ。これでは審議会の結論を変えさせることはできない。
製薬会社が支配するのは無理
なお、こうした撤回を「製薬会社からの圧力」で説明するのは陰謀論である。撤回理由が理不尽なものなら、世界の研究者から批判が集まる。論文誌にとっては自殺行為だ(論文誌は複数ある。選択肢があることが独裁的権力の跋扈を防ぐ好例だ)。撤回処分になった論文も公開そのものは続くから、論文著者が正しいのか、撤回にした論文誌の判断のほうが正しいのかは誰もが確認できる。
また、いまどきは査読前の論文を公開する仕組みもあるので、「製薬会社からの圧力」を受けても問題なく公開できるし、内容が素晴らしければ査読前から拡散もされる。現実に製薬会社が圧力をかけることは不可能な仕組みだ。
Evidence Based Practiceはインターネットが実現した「個人でも世界を相手に発信できる仕組み」によって、別の次元に進化したといっていい。家にいながらにして、審議会で判断に用いられた資料を入手できるし、その批判を個人がブログで発表することも可能なのである。
ともかく、
「ワクチンに反対したければ、たしかなエビデンスを出せ」
に尽きる。一審で無罪となっても、新しい証拠の提出で二審では有罪になることもある。それをせずに、論文のチェリーピッキングを繰り返し、「危険だ」というポジショントークを続けるほうが、フェアではない。
反ワクチン派こそアンフェアな議論をしている
私はワクチンが安全だとは考えていないし、「安全だ」と言ったことも書いたこともない。接種するときは遺言書を書いておこうかと思ったくらいである。ゼロリスクはあり得ないからだ。たった1枚購入した宝くじが、一等に当選することもある(後述する)。
それでも接種をしたのは、
- ワクチン接種によって死亡したり健康被害を受けたりする確率
- ワクチン未接種で感染した場合に死亡したり健康被害を受けたりする確率
を比べてのことだ。リスクの大小での判断である。「ワクチンは危険だ」というなら
- 接種して感染するより、未接種で感染するほうが健康被害は少ない
ことを証明しないといけない。新型コロナに感染することを前提として、どちらのほうが、よりリスクが小さいのか、という話である。
しかし、現実にはbを無視して、aだけで危険性を訴えている。これがフェアな議論だろうか。もしも、「ワクチンを接種しないほうが、被害が小さいこと」が期待できるなら、誰もワクチンなど支持しない。フェアな議論をしたいなら、bの未接種での被害の大きさを無視しないことだ。そして、未接種で感染するほうが健康被害が少ないことを証明することである。
mRNA新型コロナワクチンを接種していなかった国もある。中国だ。そして被害はかなり大きい。2022年12月に中国は初期から実践してきた「ゼロコロナ政策」(感染者とその周辺の住民をとじこめ、隔離する政策)を放棄したのだが、直後からオミクロン変異体が大流行し、たった2か月間で人口の8割が感染し、187万人(人口比で日本の16万人に相当)もの人が命を落とした。この事実は、「オミクロン変異体が弱毒化し風邪同様になった」というのは虚偽であることも示す(mRNAワクチンが効いていただけである)。
cf.
■Excess All-Cause Mortality in China After Ending the Zero COVID Policy
https://doi.org/10.1001/jamanetworkopen.2023.30877
mRNA新型コロナワクチンが危険であり、接種を中止すべきであるというなら、最低限、mRNAワクチンを接種していなかった中国の被害が、日本よりもはるかに大きいことについての説明がいる。
「ワクチンをうつたびに感染者が増え、超過死亡も増えている」
という言説も目立つが、これもアンフェアな意見である。感染の波がやってくることに備えてワクチンを接種したから、タイミングがあうのは当然だ。この主張を通したいなら
「そこでワクチンをうたなければ、感染者も超過死亡も増えなかった」
ことを証明できないといけない。ヨーロッパを対象にした研究で、「ワクチン接種率の高い国のほうが、超過死亡が少ない」ことが確認されているから、この事実をひっくり返すエビデンスの提出が求められる。
cf.
■Comparison of vaccination and booster rates and their impact on excess mortality during the COVID-19 pandemic in European countries
https://doi.org/ 10.3389/fimmu.2023.1151311
■Impact of COVID-19 on total excess mortality and geographic disparities in Europe, 2020–2023: a spatio-temporal analysis
https://doi.org/10.1016/j.lanepe.2024.100996
マスクの議論でも同じだ。「2020年はあれだけみんながマスクをしたのに、感染の波を抑えられなかったから意味がない」という。フェアな議論にしたいなら、「マスクをしなくても結果は同じである」(あるいは、しないほうが結果がいい)ことを証明しないといけない。
参考までに、マスクをしなかったスウェーデンとマスクをした日本の新型コロナ死者数を比較したグラフをみてみよう。これでも「マスクをしても増えるんだから、しなくても同じじゃん」と言えるだろうか。
「安全」と「ゼロリスク」は異なる
ワクチンの議論が迷走しやすいのは、「安全」の定義が曖昧だからである。安全にはグラデーションがある。飛行機やクルマは安全だろうか。あるいは電車はどうか。バンジージャンプはどうだろう。自宅にひきこもっていても、大地震でケガをすることがある。私たちは相対的な安全の中で暮らしており、絶対的な安全(ゼロリスク)は保証されていない。
ゼロリスクは目標ではあるものの、現実解ではないということだ。ゼロリスクを求めるなら、飛行機もクルマも禁止すべきである。徒歩移動も自転車移動もやめておいたほうがいい。包丁やハンマーなども販売禁止にすべきだろう。現実の生活において、私たちはリスクを確率でとらえつつ、確率の低い選択を優先することで、「相対的な安全」を確保している。赤信号で止まるのは、無視すると事故を起こして第三者に被害を及ぼすリスクが高くなるからだ。しかし、クルマを運転する以上、ゼロリスクではない。
宝くじで説明を試みよう。2000万分の1の一等当選確率からいえば、「いくら買っても一等は当たらない」と考えるほうが正しい(60億円使って2000万枚を買い占めれば話は別)。一等を事故だと考えれば、宝くじは安全であると言っていい、しかし、たった1枚の購入で当たることもある。最初の新型コロナワクチン接種のときに、遺言書を書くかどうか迷ったのは、「この1枚で一等が当選したらどうしよう」というレベルの危惧である。どちらも可能性はゼロではない。
現実の数字を確認しておこう。4.3億回接種をした2025年春の時点で、新型コロナワクチン接種後に亡くなった2,283人のうち(黙祷)、因果関係が明確なのは2名である。そして、因果関係を否定できる方が11名だ。2,269例については、評価不能な状態である。
健康被害救済制度は「救済」が目的なので、2,269例のうち、「ワクチンが無関係であることを証明できない例」については救済対象にしている。補償されたからといって、因果関係が認められたわけではない。
予行演習での被害
新型コロナワクチンの接種券が手元に残っていたら、読み返してもらいたい。予防接種健康被害制度が紹介されており、「極めて稀ではあるものの、なくせない」と明記されている。注目ポイントは、「なくせない」の一言だ。ゼロリスクではない宣言である。
最初から言い訳をしているように感じるかもしれないが、現実になくせないというのが事実である。ワクチンの基本原理は、
- 軽く感染させるか、あるいは軽く感染したのと同じ状態をつくり
- 病原体の抗原を免疫に経験させて抗原抗体反応を生じさせ
- 獲得免疫(Acquired immunity)を得る
というもの。まさに予行演習であり、目的は二つある。第一は、病原体の顔つきを教えることだ。未知の病原体に対して、ヒトの免疫は「こいつは悪いやつだ」という経験値がないから、しばらく様子をみてしまう。ウイルスはこの様子見の間に、がつんと増えてしまう。「この顔にピンときたら要注意」と、新型コロナの顔つき(新型コロナウイルスではSタンパク質)を教えておくことで、ウイルスの侵入と同時に免疫が即応できるようになるわけだ。
目的の第二は、予行演習で「相手に効いた武器(抗体)」を見つけ、在庫しておくことである。ワクチン未接種での感染と比べると、
- 侵入者がいいやつか悪いやつかを経験で判断する時間がなくなる
- 侵入者にどんな武器が効くかを試行錯誤する時間がなくなる
という二つの時間短縮効果があるわけだ。
新型コロナウイルスは「8時間ごとに1,000倍」という増殖スピードだから、時間短縮が効く。1個のウイルスが1,000倍となり、次の8時間でそれぞれがまた1,000倍になるから、増え方は1,000の階乗だ。対応が遅れ、大量に増殖されると、感染する臓器が増え、感染細胞が増え、大量のSタンパク質とNタンパク質に見舞われる。勝負は、いかに早くウイルスの増殖をとめられるかだ。水際でとめられれば感染しないし、感染しても即応できれば発症しない。そして、大量増殖を防げれば、重症化しづらい。
ところが、大変残念なことに、少量の抗原を使う予行演習でさえ、健康を害する人が出てしまうことがある。「稀ではあるものの、なくせない」というのは、そのことを指している。そして、ここで「なくせないなら、接種中止だ」と主張するのはアンフェアだ。「ワクチンで健康被害が出る人も、ノーワクチンで感染するのは問題がない」ことを証明しないと、フェアな議論にはならない。
ワクチンはどこまでいっても「未接種での感染被害」とのリスク比較で選択されるものであり、Betterな存在でしかない。Bestはワクチンを接種せず、新型コロナにも感染しないで過ごすことである(現実には感染しないで暮らすことは無理だから、新型コロナワクチンには意味がある)。
「重大な懸念はない」の意味
ワクチンについて語る「本物の専門家」は、うかつに「ワクチンは安全だ」などとは言わない。「重大な懸念はない」という言い方をしている。その理由は、ワクチンがゼロリスクというのはあり得ないからであるが、この「重大な懸念」の意味を解説しておく。「人が亡くなっているのに『懸念がない』とは何事か!」と怒る人もいるからだ。
ワクチンにおける重大な懸念とは、以下のような状態を指す。
- 接種したほうが、感染被害が大きくなる場合
- 接種によって、何らかの病気のリスクが高くなる場合
mRNA新型コロナワクチンについては、圧倒的多数の研究報告によって、接種を続けたほうが、新型コロナ感染による重症化や後遺症を防ぐ効果があり、帯状疱疹やがんやダイアベティス(糖尿病)や心血管系の病気になるリスクも(無防備な新型コロナ感染に比べると)低いことが示されてきた。
フランス全土の18‐59歳の2800万例を追った研究では、mRNA新型コロナワクチン接種者は4年間の全死因死亡リスクが25%低下しており、すべての主要な死因において死亡リスクは未接種者よりも低かった。
cf.
COVID-19 mRNA Vaccination and 4-Year All-Cause Mortality Among Adults Aged 18 to 59 Years in France
https://doi.org/ 0.1001/jamanetworkopen.2025.46822
「接種者は2年後に死ぬ/がんになりやすくなる/うてばうつほど感染しやすくなる/免疫不全となって他の病気で死ぬ」とワクチンの害を宣伝してきた人たちは、この研究結果を否定する論文を書く必要がある。でなければフェアではない。
全年齢層に接種したことが理由
ワクチン接種後に亡くなる方がいるのは現実である(黙祷)。ただ、注意しなければならないのは、「健康な人にうつワクチンだから、それで死亡するのは許せない」という言説は間違っていることだ。新型コロナワクチンについて言えば、「健康ではない多数」にうっているから副反応疑い報告が多いのである。
従来のワクチンと比較して健康被害認定数が多いことから、「戦後最大の薬害だ」という意見が多いが、10歳までにうつワクチンと、100歳にもうった新型コロナワクチンの数だけを比較するのもフェアではない。10歳には老衰状態の人もアル中で肝臓が弱っている人も、ヘビースモーカーで肺が弱っている人も、ダイアベティスの人も動脈硬化で心筋梗塞や脳梗塞寸前の人もがんの人も腎臓病の人もほぼいない。突然死する人も少ない(日本は毎日、約200人が突然死する国である)。
フェアな比較に必要なのは、条件を揃えることだ。従来のワクチンに比べて、圧倒的に新型コロナワクチンがひどいというなら、新型コロナワクチンにおいても「10歳までの接種で生じた健康被害認定数」を数字として出す必要がある。80歳以上の高齢者に接種したあとの死者数を、10歳に接種したあとのそれと比べて、前者のほうが圧倒的に多いといって騒いでいる。それは当たり前の話だ。「初期ロットは致死率が高い」というのも同じである。2021年2月、高齢者から接種を始めたのを忘れたのか。初期ロットの多数は、高齢者に限定して接種されている。その後の致死率が高いのは当然の結果だ。
運命から因果関係を見いだす
60億円使って2000万枚の宝くじを買えば、一等に当選するのは必然である。そうでもしない限りは、基本的には運命だ。リスクの小さいほうを選択していても、必ずしも結果をともなわない。ここが苦しいところである。よかれと思って接種した新型コロナワクチンで後遺症に悩むこともある(お見舞い申し上げます)。
昨年、これを象徴する悲しい事故があった。
プレミアリーグのリヴァプールで活躍していたディオゴ・ジョタ選手(28歳。ポルトガル代表でもある)は、「飛行機は事故が怖い」(自動車事故なら生き残り、かつ、選手を続けられる可能性もあるが、飛行機事故だと絶望的)という理由で自動車移動を選択していたが、スペイン北西部ザモラ近郊の高速道路で交通事故をおこして亡くなった。2025年7月3日のことだ。
追い越し時に後輪のタイヤが破裂し、車両が制御不能となって路外に逸脱し炎上するという単独事故だったようだ。本当になんともいえない気持ちになるが、いかんともしがたい。そして、「飛行機を選択していれば亡くなることもなかった」という保証もないのだ(結果論としてはその通りなのだが)。
研究者たちは、こうした被害を受けた人たちを例外として切り捨てることなく、研究を続けている。運命としか思えないものから、何らかの因果関係を見いだす作業である。事前に「ワクチン後遺症になりやすい人」がわかれば、接種の精度を高めることもできるはずだ。ゼロリスクは永遠の目標である。
しかし、リスクを小さくするために行われた研究の一部を切り取って、反ワクチン運動に利用する例がとても多い。標準接種量の300倍のワクチンをマウスに注射しての薬物動態試験の結果だけを切り取って、「ワクチンで不妊になる。危険だ」と騒ぐ。残念だし、アンフェアこの上ないと思う。
ワクチンをめぐる国の判断を批判するなら、厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会が公表しているエビデンスのすべてに目を通しておくことだ。これは最低限の礼儀である。憶測だけで批判するのもフェアではない。
この記事とあわせて、近著『制御不能――新型コロナウイルスの不都合な真実』(あけび書房、2025年)をお読みいただきたい。mRNA新型コロナワクチンをなぜ支持しているのか、追加接種をなぜ推奨するのかを理解していただけると思う。とくに第4章に注目である。



