歴史と病のカルテを読む

1987年6月19日に、『病気の社会史』の著者・立川昭二(北里大学教養部長・当時)氏にインタビューした記事(月刊『アドバタイジング』掲載)です。このとき、私の念頭にあったのは、エイズという新しい病気でした。新型コロナウイルス禍に見舞われているいまも、この内容は参考になると考え、緊急公開します。


ゲスト:立川昭二/聞き手:古瀬幸広(1987年6月19日)


プロローグ

ときに、病は社会を動かし、社会は病をつくる。

産業革命が生んだスラムは、疫病流行の温床となり、戦後の工業化社会は公害病を現出した。中世のペストの流行は、ユダヤ人虐殺という結果を生み、近世の梅毒の流行は、ピューリタン興隆のひとつのきっかけとなったという。

歴史に微妙な影を落とす病。それは、脇役ではあるが、忘れることのできないものである。「人は病むとき、その人の本質をもっともはっきりと表す。人間社会もまた、疫病や飢餓におそわれたとき、その社会特有の構造をもっとも鮮やかに露呈する」

と、立川氏は『病いと人間の文化史』において述べる。疫病や飢餓とは無縁になった現代日本においても、あらたなる病が登場し、社会に影を落としていることに変わりはない。

果して現代医学によって、私たちは幸福になったのかどうか……平均寿命は確実にのびているが、その一方で、薬害が問題になるとともに、安楽死や人工受精など、私たちに「生とは何か」「死とはなにか」を問い続ける問題はなくなってはいないのである。

科学万能の神話が生き、様々な疫病を克服してきた今日でも、病はなくならない。ガンやエイズなど私たちに大きな影響を与えずにはおかない病もあるし、先進国では胃潰瘍や高血圧症の“子供”が増えているという驚くべき事実もある。

おそらく、これからも病がなくなることはないだろう。エイズのような、新たな病が登場しているいま、これからの医療のあり方を考えるうえで、過去の痛みを知ることが大切だと思う。

【 Log in 1987/ 6/19 16:42  】

━━ 先生の『病気の社会史』をとても興味深く読ませていただきました。「知られざる過去」というか何というか、疾病に注目するだけでも、歴史を読むことができるのが面白いですね。

立川 ありがとうございます。

━━ とくに、遡及主義に陥っていないところに感銘を受けました。過去を振り返るとき、わたしたちは往々にして、「現代の常識」からものを見てしまう。「地動説を唱えたガリレオは正しいが、それを理解しなかった連中はばかだ」って感じで……これが私は好きではありません。

立川 ええ、私も嫌いなんですよ。そもそも現在が最高なのかというと、おおいに疑問ですよね(笑)。過去そのものにとても興味があるけれど、「現在から見た過去」には興味はありませんね。むしろそういう態度には反発してしまいます。

━━ どこか過去の人々をばかにした感じがありますよね。あまりに工業化以前と以後とが違うからでしょうけれど……。

立川 そうですね。ところが、よく考えてみると、SDIだなんだという時代になっているにもかかわらず、「痛い」とか「痒い」とかいった身近なことには、あまり科学は役にたっていない。

━━ そもそも、風邪を一発で治す薬がありませんものね。

立川 医療がものすごく発達していることは事実だけれど、それで、我々が病気から完全に自由になったとは言えないですからね。

社会の象徴としての病

━━ 私たちは、ただ漠然と、「現代のように医学が発達していなかった頃は、病気をすると大変だったんだろうなあ」ぐらいにしか思っていませんが、思い違いをしているような気がします。

立川 たしかに現代は医学の発達で、とくに先進国においては、疫病でばたばたと人が死ぬことは常識の外になりましたが、一方で、エイズのようにまた新しい病が生まれている。現代医学の発達を単純に喜べないのも、私が過去に興味を持ったのも、そういう理由からですね。

━━ とくに興味をそそられるのは、その時代に暗い影を落とす特定の病と、それに対する民衆の“反応”です。基本的に、流行しつつ、しかし、治るてだての見つからない病気に対する反応が、興味深い。

立川 ええ、たとえば中世ヨーロッパは、疱瘡に腺ペスト、麻疹、結核、ジフテリア、疥癬、炭疽病、トラコーマ、インフルエンザ、舞踏病などに悩まされていましたが、これらを凌ぐ恐怖の対象となっていたのが、癩病です。

━━ ハンセン病とも呼ばれるやつですね。

立川 そうです。一八七三年に、ノルウェーのハンセンが見つけたライ菌によっておこる慢性伝染病です。

━━ 潜伏期間が長かったため、誤解が多かったようですね。いまでは化学療法、物理療法に外科手術があって、重症者でも完治するようですが……。

立川 そうそう。数年から二〇数年の潜伏期間があるうえ、家族内伝染が多いため、遺伝病と誤解されてきたのですよ。ライ菌は感染力が非常に弱いのですが、幼少期に接触感染してしまう。ライ病はもともと熱帯地方の疾病なんですが、中世初期に西欧に侵入します。たぶん、十字軍が運んだんでしょう。この病気の不幸なところは、見た目が極めて醜悪になることと、身体の一部が腐ってゆくので、腐臭を漂わせるということです。皮膚病患者は嫌悪感を持たれますから。

━━ そこに、「遺伝病である」という誤解が加わるわけですから、患者の悲劇は容易に想像できますね。同じことは現代にもある。

立川 いや、もうひとつ、中世ヨーロッパですから、キリスト教会が加わるわけです。ライ者は社会的異端者であり、制裁を加えるべきものとし、社会から隔離してしまうわけです。

━━ ラザレットですね。

立川 正式にはレプロサリウムといいます。これは「レプラ(ライ病)の病舎」という意味です。病舎といっても、治療をする設備はほとんどありません。ライ者が生きている間、収容しておくキャンプですね。これが普及するのは、一一七九年にラテラン会議の布告が出てからです。

━━ まさに、患者を社会の異端者として追放・隔離し、社会的制裁を加えるわけだ。

立川 キリスト教会にとっては、大義名分もあったわけですよ。モーセの戒律に、ライの診断と、ライ者の禁止条項・祭儀規則などについて細かい規定があるんです。旧約聖書「レビ記」の第一三章に「その人は汚れた者であるから、離れて住まなくてはならない」と明記されている。

━━ なるほど。この話は、とても「昔話」にはできないものですね。いまでも、ひとつ間違うと似たようなことをやってしまう危険性を否定できない。

立川 社会的制裁を加えることのほかに、スケープゴートをでっちあげることもありますよ。一三四八年に、黒死病、つまりペストがヨーロッパを襲ったときは、ユダヤ人がスケープゴートにされた。「キリスト教徒の敵が、毒物をまいた」というわけですね。これで、ナチス政権下におけるのと同規模の迫害をユダヤ人は受けているんです。一三四八年九月のジュネーブを発端に、あちこちで虐殺されているんです。

━━ ああ、日本でも似たような事件が関東大震災のときにありましたね。日頃の悪感情が、パニックによって表面化する……忘れてはならない歴史のひとつだと思います。

立川 そうですね。黒死病の流行は、こうした教訓を残すとともに、歴史にとても大きな影響を与えた。中世を崩壊させた主たる原因はこれだ、という主張もあるぐらいです。

━━ ライ病と違って、感染力が強いので、社会に深刻な影響を与えたんでしょうね。

立川 まず、人口が激減しましたから、中世の荘園経済と農奴制度の没落に拍車をかけることになりました。神の教えがこれに無力であったことから、教会の権威を失墜させることになった。さらには、ヒポクラテス以来のギリシア・ローマ古典体系の権威も地に落ちてしまった。ルネサンスに始まる解剖学は、近代を規定するひとつの要素として挙げられるものですが、こういった、「実証しよう」という精神を、黒死病が作ったのだと言えなくもないでしょう。

━━ 歴史の影に病気あり、ですね(笑)。

病と「癒える力」

━━ 私は、近代医学の功罪というものを考えることがあります。顕微鏡の開発から細菌学が発達し、近代医学は急速な進歩を遂げた。これによって、随分と生命は助けられていることは事実です。

しかし、逆に、近代医学が「頼り」になりすぎていることに疑問を感じることがあります。日本人は薬好きだと言われますが、これが近代医学信仰の弊害の一つではないかと思うんですよ。

立川 う~ん。医学に頼りすぎている面があることは事実でしょう。でも、薬についてはどうでしょうか。といいますのは、日本人の薬好きというのは、いまに始まったことではないんですよ。

━━ たしかに、家康の薬好きなんか有名ですね。

立川 ええ。ちょっと歴史を振り返ると、日本人は江戸時代から薬好きですね。

━━ 戦乱の世が終わり、平和になり安定してくると、自分の健康が関心事になるということでしょうか。

立川 政治も経済も安定してきた元禄の頃からですね。養生書なんかがたくさん出版されて、ベストセラーになる。みんな自分の健康が関心事になるわけです。

━━ しかし、江戸時代の薬好きと、現代の薬好きとは違うような気がします。薬そのものの性格が変わっているのではないかと思うからです。江戸時代は、服用するのは漢方薬で、薬の名前を見ると「○○散」とか「××丸」というのが多い。

立川 そうそう。病を「散らす」わけですよ。

━━ ところが、現代の薬は、散らすのではなく、病の原因をやっつけてしまうものです。いや、少なくともそう信じられているものですね。ここに問題があると思います。 たとえば、日本人は、薬も好きですが、注射も好きですよね。注射をしてもらわないと診察してもらった感じがしない(笑)。診療イコール注射という感覚が強い。さらに、薬はわけのわからないカプセルになっており、名前もアスピリンのようにパッと聞いて意味のわかるものではない。

立川 そういう面はありますね。結果として、自分で病を「癒える力」が、現代人に欠けているような感じがしてなりません。歴史をやっていてとくに思うのはここですね。病に対する抵抗力というか自己回復力というか、自らを治癒しようとする力を、現代人は放棄しているように思う。

━━ そこが近代医学、ひいては近代科学への信仰だと思います。近代医学は、病の原因を解明し、それを取り除く。その象徴が薬であり、注射だと思うのです。

漢方薬は、基本的に「病の原因を叩く」ということをやらない。人間は助けてもらうだけで、あとは自分で治すわけです。一方、近代医学は、病の原因を“科学的”に解明するとともに、それを取り除くための薬を調合する。その成果があまりに華々しいために、薬に対する信仰が生まれているのではないかと思うわけですよ。現実には、たとえば風邪を叩く薬もないし、水虫を叩く薬もないし、ガンを叩く薬もないにもかかわらず、です。

立川 そうかも知れませんね。近代医学の基本は細菌学で、「そこにバイ菌があるから殺せ」という考え方です。でも、そんな単純なものではないと思いますね。「病は気から」というのは、たしかにあるんです。これは免疫機構とも関連していると思いますよ。

━━ 細菌学というものが、とてもキリスト教文化にアピールしたのではありませんか。異教徒へのキリスト者の態度と、細菌に対する態度が似ているように思います。こう決めつけるのは危険ですが。

立川 いや、その面はあると思いますよ。ライ者を隔離してしまう発想も、異教徒への態度と連関があると言われています。病と死を汚れとみる見方は太古からあったし、患者を排除し、差別する考え方も昔からあったんですが……。

━━ 病気の原因を解明しだしたときから、へんな言い方ですが、「病に疎外される」ようになった感じがしますね。

立川 ええ。近代医学のおおもとに機械論があります。生命科学も進化論・遺伝学・生化学・分子生物学と進んできたし、医学も細胞病理学・外科学・細菌学・化学療法と発展してきた。いずれも機械論的方向ですよね。その文脈の上で、私たちは「人間ドック」などという言葉を平気で使うようになった。自分自身を機械として扱うことを肯定しているわけですよ。機械文明の裏に、自然破壊や人間疎外があるのと同じように、近代医学には薬害や機械的な生や技術的な死などもあるということを忘れるべきではないと思います。

━━ う~ん。それは安楽死の問題ともかかわりがあることですね。

立川 ええ。技術的な生があるんですから、技術的な死も当然あり得る。死についてもう一度よく考えなおさなくてはならないと思います。

病と日本人

━━ さて、もともと病院は、ライ者を市壁外に隔離するラザレットと、市壁内に設置された宿舎であるホスピティウムとが起源となっている。そして、その裏に、キリスト教文化がある。日本人の病に対する感覚は、これとはかなり違いますね。

立川 もちろんそうですよ。たとえば、昔の名残りとして挙げられるのは、お見舞いや付き添いですね。これは日本独自のものですよ。

━━ あ、そうなんですか。

立川 ええ。日本人は、病気はその人だけのものとは考えない。一族、あるいは共同体のイベントなんですよ。滝沢馬琴の孫が疱瘡になったときなども、ものすごい騒ぎになって見舞いが殺到するわけです。

━━ 病に対するとらえ方の問題でしょうね。

立川 そうでしょう。見舞いといっても、いまのように果物カゴを置いてゆくようなものではなくて、病人を真ん中において、車座になってお酒を飲んでいたんですからね。

━━ 祝祭空間ですね。まさに。

立川 昔の習慣を見ていると、病を叩くのではなくて、迎えてなだめて、慇懃無礼に病を追い返そうとしていたことがわかります。

━━ 病は、その土地全体の問題でもあったんでしょうね。

立川 ええ。その土地にふりかかってきた病の空気を、清めようとしたのではないかと思いますね。面白いことに、この観念はいまでも抜けきっているわけではない。

━━ そういえば、エイズ騒ぎのときも松本や神戸が被害に遭いましたね。松本から旅館に予約をとると断られたとか、松本ナンバーの車で県外に行くとお店に入れなかったとか……。

立川 その土地全体が汚れていることになってしまうんですよね。本当は、東京の方が汚れている可能性は高いのに(笑)。

━━ どうも、日本に近代医学が入ってきて、病院制度が確立されてから、中途半端におかしくなった面があるような気がしてなりません。さきほどの薬への信仰と、それによる「癒える力」のダウンもそうですが、病院そのものも考えなおす余地がありそうですね。かえって、現代西欧の方が、患者を隔離してしまう発想への反省からか、完全看護が行き届いているし、病院もとてもきれいになっている。

立川 そうなんだ。ちょっと皮肉ですね。

━━ それはさておき、さきほど養生書が江戸時代にたくさん書かれた話をなさってましたが、日本人の健康への関心の高さはどうなんでしょうか。

立川 高い。たしかに高いです。これは江戸時代からですが、日々の健康が重大な関心事になる。

━━ 平賀源内が「土用のうなぎは精がつく」と宣伝してから、とたんに売れ始めたという話もありますしね。

立川 ええ。たとえば、いまスタミナドリンク類が人気ありますね。あれも実は明治時代からあるものですよ。

━━ 漢方薬を煎じて飲むという習慣が、スタミナドリンクを育てているのではありませんか?

立川 それもあるでしょう。でも、それだけではなくて、日本人は「滋養」という言葉が好きだし、実に健康のことをオープンにしゃべりますね。

━━ たしかに、「最近カゼ気味で」なんて平気な顔して会話しますね。

立川 よく「日本人は勤勉でよく働く」と言いますが、調べてみると、病欠はとても多いんですよ。病欠率は異常に高い。「疲れた」なんていうのも、すぐ口にしますしね。

━━ そうかも知れませんね。病気と親戚の死は大義名分になりますからね(笑)。

立川 これは江戸時代からそうですよ。感冒にかかったときは、出仕に及ばず、だったんですから。

━━ なるほど。こうしたことを踏まえた上で、いま病への意識を考えなおす必要がありそうですね。

立川 ええ。医学が発達した今日だからこそ、過去の人々の痛みを追体験しなくてはならないのではないかと思います。医療の機械化・技術化によって、病気を真剣に見つめることもなくなってしまった。病気にかかるということは、生きている証のひとつでもあるんです。いまふたたび、病に対して主体性と自律性を回復しなくてはならないのではないでしょうか。現代人は、近代科学の遺産である現代医学に頼るあまり、これを忘れてしまっているんですよ。

【 Log out 1987/ 6/19  18:24  】

エピローグ

人は病に対峙するとき、極めて不安定な心理状態におかれる。たとえそれが風邪をこじらせただけのものであっても、である。それゆえ、ユダヤ人虐殺のような悲劇が起こりやすい。

近代医学の最大の功績は、病の原因を明らかにしたことである。これによって、いわれなき被害を受ける可能性は少なくなった。

が、同時に、近代国家システムでは、国家が病の予防を口実に個人の生活に介入しやすい。コレラが猛威をふるった明治時代には、政府は警察行政に伝染病対策を組みいれていた。サーベルを持つ警官の手に、コレラ防疫の役割が回されたのである。

結果は火をみるより明らかだ。当時の民衆は「コレラそのものよりも、消毒・隔離の名のもとに、有無をいわさず家屋のすみずみまで踏みこんでくる警官の方を恐れた」という(『病気の社会史』)。

おそらく、人間が存在する限り、病もなくなることはあるまい。そして、再び同じ過ちを犯さないで済むという保証もない。エイズが社会問題となっているいま、病について問いなおすことが必要であると思う。「もとより病気の歴史は、おも苦しく、うす暗く、痛ましい。しかし、いかに痛ましくとも、それに目をとざすことはできない。文明の光と影、歴史の明暗をみきわめるうえで、病気の歴史はひとつのするどいレンズとなる」(『病気の社会史』まえがきより)

ゲストプロフィール

立川昭二(たつかわ しょうじ)

北里大学教養部長(当時)▼一九二七年東京生まれ▼徴兵されそうな頃、死を目前に奈良、京都を旅行し、歴史に興味を持つ。そのまま、終戦を迎える▼一九五〇年早稲田大学文学部史学科卒業▼当時はまだまだ注目されていなかった科学史を志す。とくに病の歴史に注目した疾病史で独自の領域をつくる▼「一〇歳の頃に父を失ったことが、死に対する意識を形づくったのかも知れませんね」という▼だが、科学史・疾病史の分野は長く注目されず、不遇な時代が続いた▼「でも、貧乏することは大切ですよ。クルマで行くところを歩いてゆく。そこでモノにぶつかり、発見があるからこそ面白い」と振り返る。実際、氏の研究には足でかせいだものが数多い。徹底した興味が独自の領域を作ったといえるだろう▼一九六六年北里大学教授に就任。一九八〇年より現職▼人間の隠れた側面に興味を抱き続ける六〇歳▼主な著書に『病いと人間の文化史』(新潮選書)、『病気の社会史』(NHKブックス)、『からくり』『歴史紀行・死の風景』(法政大学出版局、第二回サントリー学芸賞受賞)などがある。